一章_15
倒れた二人のうち、上体を起こしたのはバクトアだった。ドクドクと肩から血の流れる左腕をダランとさせ、右手に剣を持ったバクトアは立ち上がり、未だ倒れているギルを見ると全身を震わせ、目に涙を溜めて天に向かって獣のように吠えた。
「勝った!! 勝ったぞ!俺は勝ったんだ!! ギルランダイオに!あのギルランダイオに俺は勝ったんだ!! うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
ほとんど同時に相手に剣を入れた二人だったが、ギルの剣はバクトアの鎧によって止められ、バクトアの剣は農夫の格好で鎧も何も着ていないギルの左肩に入り、そのまま遮るものもなく深々と体内を通って右の脇腹辺りに抜けていた。
バクトアの目に映る憧れの英雄ギルランダイオは瀕死の重傷であった。どう見ても、どんな優秀な治癒魔法の使い手がいても助からないだろうと思われた。もしかしたらギルランダイオと並ぶ英雄の一人、癒しの聖女でも居れば話は別かもしれないが残念ながらここには居ない。
ギルに近づいたバクトアは剣を持つ右手にグッと力を籠めると、目を瞑り大きく息を吐いてからゆっくりと目を開ける。
「ギルランダイオ殿…… 今、楽に――」
バクトアが剣先をギルの胸元にもっていくと、ギルは「ごふっ……」と一度多量の血を吐き、苦しそうな息遣いで「……この、まま――」と言った。
「妻の…… 好き、だった…空…… さ、三人で… ね、寝転がって… 見た…… このまま…… 空を……」
剣を収めたバクトアはギルに向かってゆっくりと一礼した。そんなバクトアの様子を視線を動かして見たギルは血の流れる口を開く。
「バクトア…… 一つ、頼み…が、ある」
名を呼ばれたバクトアが驚いてギルを見、「なんなりと」と答えるとギルは少し安心したように言葉を続ける。
「娘を…… サラ、を…… 頼む……」
言われてバクトアは、ギルが自分を相手にしている暇がないと言っていたことを思い出した。おそらく娘を心配して探していたのだろうと。
「かしこまりました。 ご息女、サラ殿は見つけ次第必ずや保護致します。どうかご安心を」
バクトアの返事を聞いてギルは「すまんな……」と言って微かに笑った。少し剣を交えただけだが、なんとなく相手の性格というものは分かる。この男が請け負ってくれるなら間違いはないだろうという安堵からギルの口は少し軽くなる。
「甘えた、がりで…… ちょっと、手の、かかる。 可愛い、むす、め、だ…… 妻に、よく、似て……」
「はっ! すぐに部隊に戻り、ご息女の消息を確認いたします!」
バクトアはギルの言葉を遮るように、まるで上官に応えるように返事をした。信頼してほしいという気持ちがバクトアにそのような行動をさせた。そして出来ることならもう喋らず少しでも長い時間、家族との思い出の中に浸って安らかに逝ってほしいとバクトアは願った。
ギルに背を向けたバクトアは数歩歩く、そのバクトアに愛馬が近づいてくる。愛馬と並んだバクトアは一度振り返って、ギルに聞こえるかどうかといった声量で「ギルランダイオ殿…… 我が師よ、どうか安らかに」と口にすると馬に跨り駆け去った。
部隊に戻ったバクトアは馬を飛び降りるなり駆け寄ってきた兵に問いかけた。
「部隊の収容は?」
「はっ! アルケライオス様の配下に数名の不明者が出ておりますが、おおよそ完了しております」
「そうか。 捕虜は?」
問われた兵は一瞬言葉を詰まらせたあと「ほ、捕虜は――」と話し出す。その間にもバクトアの怪我を見た他の兵達はバクトアの鎧を脱がせ止血を始め、治癒魔法の使える兵が慌てて駆け寄ってきていた。
差し出された水の入った木製の器を手に取ったバクトアは、しかしそれに口を付けることなく報告を聞く。
「――おりません。 アルケライオス様の兵が…… 我々も止めに入ったのですが、アルケライオス様の皆殺しにせよとのご命令を盾にされては……」
「なんだと!?」
「しかしアルケライオス様の手兵自体は少数ですので、村人の多くは逃げのびていると考えられます」
「……その、逃げのびた者達の中に若い娘は居たか?」
静かな怒りを湛えるバクトアの迫力に、兵はたじろぎながら「いえ、私は…… お前らどうだ?」と他の者達に問いかける。
「逃げる村人の中に一人若い娘、というか女の子供がいたのは確認しました。 ですが、その……」
「なんだ?」
「若い娘が一人、騎兵の数人に乱暴されているのを――」
バキンッ!とバクトアの手の中で水の入った器が弾けた。憤怒の形相に顔を歪ませるバクトアの「連れてこい! 今すぐにその者共を!!」という命令を聞いた兵は腰を抜かしそうになりながらも命令を遂行するため、逃げるようにその場を走り去った。
やがて真っ青になりながら、先ほどの兵が八名の男達を連れてきた。連れてこられた八名は、なんでコイツに呼び出されなきゃいけないんだというのが目に見えるほどの不満顔であった。
「お前達が村の若い娘に乱暴を働いたと聞いた」
怒りを抑え、静かにバクトアは問いかけた。
「何か問題でも? アルケライオス様からは皆殺しのご命令が出ていたはず」
「確かに。 だが、略奪。まして強姦してよいなどと命令は出ていない」
バクトアの言葉を聞いた八名の兵は笑いを堪えながら馬鹿にしたようにクスクスと笑う。
「ふっ…… 皆殺し、それはつまり略奪も許可されているということでしょう?」
「その娘は、どうした?」
「どうした? どうなったってことですかね? さぁ、気持ち良すぎてあの世に逝っちまったんじゃぁねぇでしょうかね? なぁ、お前ら――」
軽快に喋っていた兵は言葉を終えることなく、首と胴が斬り離されていた。首から吹き出す血を浴びた他の七人は腰を抜かし尻を引きずるように後ずさりながら、血塗られた剣を手にするバクトアに向かって非難を浴びせる。
「バクトア!貴様! 俺達は騎兵だぞ!貴族だぞ! 平民ごときが何をする!」
「そうだ、バクトア! 俺達に手を出してただで済むと思っているのか?! 父上に言いつけるぞ、バクトア!」
「だいたい俺達は命令に従って――」
「命令に略奪は含まれていない。 勝手な解釈は困る」
静かに言うバクトアの前で、もう一つの首が飛んだ。
「我々は軍隊だ。野盗ではない。 時に略奪は必要となるが、それは戦略戦術に沿ってなされる行為だ。 命令に違反する行為は方針を立てられた者の想いを無視し、場合によっては軍全体に危険を及ぼす」
もう一つ首が飛んだ。
「重大な命令違反によってお前たちを処刑する」
また一つ首が飛ぶ。
「御父君に知られて困るのはどちらか? 勝手な行動のうえ、村娘を犯して処罰される? 家名の穢れと叱られるだけならまだ良いだろうが、おそらく自裁を迫られるだろうな」
また一つ首が。
「表向きは名誉の戦死としておいてやろう。幸いここにはお前たちが手も足も出ない
また一つ。
「お前たちの行いはティグラネス殿下始め、様々な方々の想いを無にする行為だ。 万死に値する」
残りの首を飛ばし、血の海の中に佇むバクトアに恐る恐る配下の兵が近づいて声をかけた。
「しょ、将軍…… あ、あの……」
「……なんだ?」
「少々、やり過ぎでは……?」
剣を収めながらバクトアはスッと頭が冷えていくのを感じた。
「問題ない」
平静を装い、兵に向かってそう答えたバクトアだったが、内心はやっちまったと少し反省していた。
「殿下の許まで退くぞ」
兵に指示を出したバクトアは、犯され殺された娘ではなく、どうか村人とともに逃げたという娘がギルランダイオの子であってくれと祈った。
その頃、バクトアが去ってから家族との思い出に浸りながら最期の時を迎えようとしていたギルは、青空を見上げていた顔をゆっくりと横に向ける。
霞んできた視界の先に共同墓地がある。そしてそこには三年前に病気で世を去った愛する妻の墓がある。
霞む視界に遠くぼんやりと人の影が浮かび上がる。その人影にゆっくりと焦点が合っていくと妻の姿のように見えた。亜麻色の長い髪の美しい……
「エルザ……」
ギルが呟くとその幻のような人影から声が返ってきた。
「お父さん……?」
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