護国の魔女 ~死者の寄す処~
弥次郎衛門
終章_老帝と魔女のエピローグ
終章_01
一代で大帝国を築いた老いた英雄は病を患い病床に伏していた。意識を失って二日、いよいよかと周囲の者達が覚悟を決める中で老帝は意識を取り戻し、薄っすらと目を開けた。
「あぁ…… 陛下。 お目覚めでございますか? 今、皇太子殿下にお知らせ致します」
そう言った涙目の侍医が弟子の一人に頷くと、弟子は頷き返して静かに部屋を後にする。すぐさま侍医は老帝の脈の確認などをし、少し顔を曇らせる。
周囲が老帝の目覚めに静かな喜びを見せ、老帝の耳を煩わせない程度のざわめきが流れる中で、彼の枕元に座る黒いローブにフードを被った人物のみは驚くことなく、まだ意識のはっきりとしていない老帝に向かって微笑みかけた。フードから覗くのは若く美しい女の顔だった。
「お爺様!!」
荒々しく皇帝の寝室の扉が開かれ、大声を発した四十代後半くらいの背が高く、
「あぁ!お爺様、お目覚めですか?!」
「……少し、静かにせよ」
老帝が横になるベッドに駆け寄り縋りついた男に向かって彼は静かに
老帝が苦笑するの見た周囲の者達は「殿下、お静かに」と彼を少々無理やりに下がらせた。
「……ヴィプサーラ、起こしてくれないか?」
世継ぎである孫の取り乱しようを無視するように老帝は枕元に座る女に視線を向けて声をかける。女は再び微笑み、老帝の背に優しく手をまわして彼の体をゆっくりと起こした。その様子を皇太子は苦々し気な表情で見ていた。
ふぅ……と大きく息を吐いた老帝は言う。
「最期だ。 最期の時は玉座で迎えたい」
最期という言葉を聞いて周囲の者達は、悲痛な表情を浮かべる者、涙を抑えきれぬ者と様々な反応を示すが、皇太子は隠しきれない喜色を漏らして側近たちに「陛下を玉座へお運びしろ!」と慌ただしく指図をする。しかし老帝は「いや、」と手を上げて動き出そうとする者達を制す。
「自分の足で向かいたい。 ヴィプサーラ、肩を」
「はい、陛下」
もどかしい思いで見守る皇太子の視線の先で、ヴィプサーラと呼ばれた女に肩を借りた老帝はゆっくりとベッドから立ち上がり、よたよたと自分の足で歩き始めた。
「玉座の間に火を焚くように。 明るい中で……」
老帝の呟きのような指示に周囲の者達は慌てて駆け出した。最期の時を皇帝として玉座の間で、その景色の中で終えようという老帝の気持ちに応えるために、駆け出した者達は最後のご奉公だと涙を流したのだった。
ゆっくりと時間をかけて、それでも自分の足で玉座の間まで辿り着いた老帝の前で大きな扉が開かれる。室内は指示したとおりに篝火が煌々と輝く、その中を老帝は女に支えられながらまっすぐ玉座に向かって歩いていく。
「あぁ……」
無理をして歩いてきた疲れで、苦しそうな声を漏らしながら玉座に座した老帝は大きく背もたれに体を預けながら言った。
「ヴィプサーラ以外の者は下がれ」
弱った体から発されたとは思えない程はっきりとした有無を言わせぬ声音に周囲の者達は粛々と従ったが、皇太子だけは不快な表情を見せたあとに、当然の如く玉座の横に立つ女を強い視線で睨み、そのあとでようやく渋々ながら退出していった。
玉座の間が二人だけとなり、扉が閉められると老帝は口を開く。
「サラ、顔を見せておくれ」
老帝の望みを聞き、女は黒いフードに手をかけて顔を見せる。フードを取り、まとめていた髪を
ニコリと微笑む顔立ちは十代の中頃ほどの美しくも可愛らしい顔立ち。少女が大人になる直前の、ほんの僅かな時間しか持ちえない不思議な魅力を持った女であった。しかし老帝に微笑みかけるその表情には、どこか年月を経た成熟した女の妖艶さも見える。
「前に、もっとよく見せてくれ。 君のすべてを」
要望に応えて女は老帝の前に少し離れて立つ。そしてローブをはらりと落とし、次々と衣服を脱いで産まれたままの姿となった女は、「どう? ティグ」と言って楽しそうにクルリと一回転してみせた。
豊満とは決して言えないが、形の良い小ぶりの乳房が僅かに揺れる健康的で均整のとれた美しい裸体であった。
「美しい…… 君は出会った頃のままだ…… 変わらず、ずっと美しい…… もう、六十年近くにもなるのか」
「ありがとう、ティグ。 でも、あなたもずっと美しいままよ。 男の美しさって年を重ねて重みと輝きを増していくものじゃない?」
「はははっ、そうかね。ありがとう。 しかし、その宝飾品は邪魔だな。君の美しく輝く裸体の邪魔をしているようだ」
少し驚いた表情を見せた女は自身が身に着けていた宝飾品を見る。首から下げられた金の首飾り、両手の金の腕輪、控えめな宝石の嵌った指輪。それに彼女の耳には小さなピアスもあった。
「でもこれ、全部あなたからの贈り物よ。 外せないわ」
「そうか…… それは残念だ。自業自得であったと諦めよう…… ふふっ」
残念と言いつつも楽しそうな老帝に女は微笑む。
「さて、愛しいサラよ。君との約束の時が来たようだ。 約束通り、私を永遠に君のものにしてくれるかい?」
「えぇ、ティグ」
脱ぎ捨てた衣服の中から短剣を拾い上げた女は鞘から剣身を抜いて玉座に向かってゆっくりと歩く。老帝の前に来た女は左手を老帝の頭の後ろに回して引き寄せ、彼に口づけをし、重ねていた唇を離すと愛おしそうに言う。
「愛しているわティグ、ずっと」
「私もだよ、サラ。愛している。 後はよろしく頼む。君とともにコツコツと地道にやってきたつもりだ。滅多なことでは帝国の基盤は揺るがんだろう」
「えぇ、ティグ。 あなたと共に作り上げた、わたし達の帝国は永遠に多くの民の幸せとともに在り続けるわ。安心して」
女の返答を聞き満足そうに老帝は笑みを深めた。
「それじゃあ、ティグ。 また後で」
そう言って女は再び老帝と唇を重ね、右手に持っていた短剣を老帝の胸にゆっくりと刺し込んでいった。老帝の胸からは血が流れ、口からは「あぁ……」という喜びの声が漏れる。
肘掛けに置かれていた腕がダラリと下がり、老皇帝はこと切れた。
老帝の遺体から体を離した女は、「お疲れ様、ティグ」と優しい声と手つきで頭を撫で、僅かに開いたままの老帝の目を閉じさせた。
脱ぎ捨てた衣服の許に戻り着替えていると、長時間二人きりで籠っているのに業を煮やした皇太子が「お爺様、そろそろ――」と非礼にも扉を開けて来、玉座のありさまを目撃して驚愕の叫び声をあげる。
「お、お爺様!! おのれっ!ヴィプサーラ! 皆、出会え! ま、魔女が! 魔女が皇帝陛下を害したぞ!」
荒々しく扉が開かれ、多くの兵士が入ってきて女を取り囲む。剣や槍を向けられながらも女は平然とローブを着、冷めた表情と声音で皇太子に向かって言う。
「皇帝陛下のお望みよ」
「黙れっ!傾国の魔女ヴィプサーラ! 陛下をたぶらかし、命まで奪うとは!」
皇太子の言葉を聞き、冷ややかな表情をしていた女は不快感に顔を歪ませて言う。
「傾国…とは、聞き捨てならないわね。 わたしがいつ、国を傾けたのかしら?」
「お、お前は長年、陛下の横でよからぬ事を吹き込み続け、夜ごと陛下を誘惑して陛下の健康を害し――」
苦し紛れとでも言うような返答に、女は声を上げて笑い出した。
「あははははははっ! 何よそれ、陛下の
女に嘲笑され、一度たじろいだ皇太子は喚きだす。
「う、うるさいっ!バケモノめ! な、何年も若い女の姿で陛下に取り憑いて殺したバケモノめ! そ、そうだ、確かにお前は陛下を殺したんだ。お前ら、こ、殺せ!この魔女を早く殺せぇ!」
女に向かって指をさし、喚きながら後ずさる皇太子の指示で周囲の兵士の手に力が入る。しかし、彼らが女に向ける槍の穂先はカタカタと恐怖で揺れていた。
それを見た女は妖しい笑みを浮かべ、さぁ刺しなさいと言わんばかりにゆっくりと両手を広げた。「あ、あぁぁぁぁっ!」と恐怖のあまりに兵士の一人が槍を突き出すと、それに釣られて他の兵も狂ったように槍を突き出した。
伝染した狂気によって滅多突きにされた女は妖しい笑みを顔に残したまま、体からダラリと力を抜いて刺さった幾本の槍に身を任せた。
その日、帝都の中を磔にされて槍の刺さった魔女が晒され都内を巡った。「皇帝陛下に取り憑いていた魔女が処刑された!」と叫びながら磔の台座を担ぐ兵士達の周囲で、皇宮内の事情など知りもしない庶民は最初キョトンとした反応であった。
しかし、罪人の処刑というのは庶民にとっては一種の見世物であり娯楽である。あっという間にお祭り気分となった庶民達は、魔女と呼ばれた罪人の遺体に向かって訳も分からず非難の声を上げ、面白おかしく石を投げた。
皇帝の死はまだ公表されていない。庶民は何も知らず、ただ降ってわいたような祭りを愉しんだ。
やがて神輿のように担がれた磔の魔女を先頭にした集団は都内を出て川岸までやってきた。流れの速い川の前で庶民達は声を上げる。
「切り刻め!」
「罪人を流せ!」
「罪深き者を清めろ!」
帝国がまだ中程度の王国であった頃より、罪人は切り刻んで罪とともに川に流すのが風習であった。
魔女はバラバラに切り刻まれた。彼女が身に着けていた装飾品は当然の権利とばかりに磔の土台を担いだり周囲を固めていた兵達が持ち去っていった。しかし、皇帝を刺したと思われた短剣のみは、美しい装飾の施され紅く美しい宝石が嵌ったものであったにも関わらず気味悪がって誰も持ち去ろうとはしなかった。
一人の兵士が、手にするのも恐ろしいといった感じで摘まみ上げ、バラバラとなった魔女が流れていった川に向かって短剣を投げ捨てた。
魔女が流された翌日の夜。川の流れが緩やかになった下流で川面からザパァッと女の裸体が起き上がった。
月の光に照らされて白磁のように美しい肌の裸体は、亜麻色の長い髪を手でまとめてキュッと水を絞ると、屈んで「あったあった」と短剣を拾い上げた。
「バラバラは流石に酷いわ。再生するのに結構時間かかっちゃったじゃない」
魔女は上流に向かって歩き始めながら言う。
「あの人からの贈り物…… 返してもらわなくちゃ」
護国の魔女 ~死者の寄す処~ 弥次郎衛門 @yajiroemon
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。護国の魔女 ~死者の寄す処~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます