014 まさかのお誘い

 フリックスの農園に就職してから数週間。

 その間、私は何ら不自由のない快適な時間を過ごしていた。

 代わり映えのしない日々だけれど、平和で楽しいので気にしていない。


 給料が歩合制となり大幅に上がったことで貯金もできている。

 自分用の口座も開設しちゃう始末で、お金に困ることはなくなった。


 農園も好調だ。

 高価な野菜に絞って作るため、町でも有名になってきた。

 魔法肥料の畑は全ての農家から羨ましがられている。


 ただ、私には一つ気になっていることがあった。

 フリックスの素顔だ。


 最近の私たちは、周囲から夫婦だと思われている。

 結婚していないため、いわゆる「内縁の妻」という認識だ。

 二人で出かけることもあるし、そう思われても仕方ない。


 しかし、私は彼の素顔を知らないのだ。

 数週間も一緒に暮らしていて、未だに一度も見たことがなかった。

 最初は何も思わなかったが、さすがにこうも一緒だと気になる。


 ただ、フリックスは見せたくないようだ。

 その理由は分からない。


 つい先日、素顔を隠す理由について訊ねてみた。

 だが、「素性が知られるとまずい人間なのさ」と誤魔化された。


 てっきり素顔にコンプレックスがあるのかと思った。

 例えば皮膚病や火傷などの痕があって恥ずかしいとか。

 ところが、どうもそういうことではないらしい。


「自分の素顔を恥ずかしいと思ったことはないさ」


 というのがフリックスの言い分だ。

 だったら一度くらい見せてくれてもいいのではないか。

 そう思って頼んでみると。


「気が向いたらな」


 と、ていよく断られた。

 なので、私もそれ以上は訊かないことにした。

 嫌がっているのに食い下がるのもよろしくない。


「よーし、今日の水やりと肥料撒きも終了! よく働いたー! 偉いぞアイリス!」


 自分で自分を褒める。

 1時間にも満たない労働時間とは思えぬ態度だ。

 甘い。あまりにも自分に甘すぎる女だ、アイリス。


「ボルビーのお乳も仕事の前に絞り終わったし、昼ご飯まで自由だー!」


 道具を倉庫に片付けたら家に入る。


「お疲れ様、アイリス。仕事は終わったかい?」


 すると、居間でフリックスが待っていた。

 ダイニングチェアに座って脚を組み、自分で淹れた紅茶を飲んでいる。

 顔の上半分を隠す黄金のマスクは今日も健在だ。


「はい! フリックスさんはどうしてここに? 株式投資でお金を溶かさなくていいのですか?」


「損する前提で話すのはよせ!」


「だって損してばかりじゃないですかー!」


 いつものフリックスならこの時間は株式投資に夢中だ。

 マウスをカチカチしては「クソー!」と叫んでいる。


「株式投資はお休みだ」


「ついに卒業ですか! 浪費癖から!」


「そうじゃなくて、株式市場が閉まっている。取引したくてもできない」


「ほへぇ。よく分からないのですが、そういうこともあるんですね!」


 フリックスは「まぁな」と紅茶を飲んだ。


「ところでアイリス、このあとは暇かい?」


「はい! 暇ですよー! 何かお使いですか? 茶葉ですか? コーヒー豆ですか? それともボルビーの牛乳!?」


 フリックスは「いや」と笑った。


「お使いではないよ」


「だったらどうしたんですか?」


「たまにはデートでもしようと思ってな」


「おー! フリックスさんがデート! まさか他人に興味があったなんて!」


 驚いた。

 彼は友人のペッパーマンと話すのすら面倒がる男だ。

 誰かとデートをする人間には思えなかった。


「失礼だな。俺は好奇心旺盛な男だよ」


「えー! ま、それはさておき! お相手は誰ですか? 私、馬車の手配とかすればいいですか? 伝書鳩を持っていないので、馬屋までボルビーでひとっ走りしてきますよ!」


 両腕をランニングするように振る私。


「何を言っている。俺のデート相手は君だ」


「え?」


「このあとは暇なんだろ?」


「はい」


「だったら俺とデートをしよう」


「……へ? フリックスさんが? 私とデート?」


「俺だと不満か?」


 フリックスの声が鋭くなる。

 顔は分からないが、不満そうなのはたしかだ。


「そんなことありませんよ! ただデートのお誘いをされるとは思わなくて! 意外すぎて頭が真っ白になっちゃいました!」


 そうか、と口角を上げるフリックス。


「それで、どうだ? デートはできそうかな?」


「はい! 喜んでお供させていただきます!」


 私だって18歳だ。

 他の子と同じく青春を謳歌したいと思っている。

 異性からデートに誘われれば自然と胸が躍るというもの。

 たとえ相手が黄金のマスクで顔を隠している変人でもだ。


「では用意をしよう。まともな服を持っていないから、まずは服屋に行かないとな」


「じゃあ私も服屋に行きます! デート用の服を買いたいです!」


「さっそく物のおねだりか。ふ、金のかかる女だ」


「フリックスさんが株で溶かすお金に比べたら微々たるものですよ! それに自分の分は自分で買いますから! こう見えてお金はあるんで!」


「ははは、それは頼もしい。だが、今日は俺に花を持たせてくれないかな?」


「分かりました! ならお言葉に甘えて一番高い服を買います!」


「ふ、いいだろう」


 かくして、今日はこれからフリックスとデートをすることになった。

 お互いに服を買うところからスタートだ。

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