反復横跳びカモンカモン

 坂の頂上に達した。ブライアンは後ろを振り返ると、曇天の空を貫くように広州の高層ビル群が立ち並んでいた。既に街の喧騒は遠くなっており、風にそよぐ木々の音や見知らぬ鳥の鳴き声、そしてブライアンがルナ・リコリスの地を踏みしめる音がするだけだった。

「街からはだいぶ遠ざかった。ここからは山道だ。体力の消耗には気をつけよう」

「山道と言っても、ルナ・リコリスの上を歩くことには変わらない。俺にとっては、舗装された道より歩きやすい」

 ブライアンが答えると、メイの声が小さく笑った。

 最近では毎夜の夢だけではなく、日中にもメイの声が聞こえるようになった。最初は自身の精神が異常をきたしてしまったのかと考えたが、ブライアンの知り得ぬことまで話すその声が、やがてブライアンの妄想とは思えなくなっていた。それはこれまでも共に生きてきたメイなのだ。科学では説明できないような、ありえないことが起きている。理解はできなくても納得はしていた。

「最近は追手が来なくなったな」

 中華国に入った頃から、刺客の姿を眼にしていない。インダスを出た時点で、既に十人は倒していた。

「犠牲を考え、慎重になっているのかもしれないな」

「慎重に、ね」

「これまで倒してきた刺客は、ほとんどアジア系の奴らだった。おそらくジャポネ支部トーキョーの連中だろう。俺が東に向かっているからといって、中東国、インダス、中華国と出張って犠牲を増やすのも面白くないだろう」

「倒してきた刺客も決して弱くはなかった。いっぱしの暗殺者だった。それらを倒してきた今、君を止めようとするなら物量で押し包むか、搦手からめてを使ってくるか、それとも最強の戦士を投入してくるか」

 メイはブライアンの戦いを共に見ていた。だがメイの姿はブライアンの眼には映らない。

「どれも嫌だな。いっそあきらめてくれれば、もう犠牲を出さなくて済む」

「ボバディ・メディスンは大局を見通す。上層部の決断として、それも考えられる。とはいえ、現場の部隊は納得できないかもしれないな」

「俺が奴らの立場でも、そう思うだろう」

 ナビアプリがこの先、道が下り坂となることを告げた。 

「ブライアン、前方、何かいるぞ」

 メイの声。山道をいくらか降った先。木々もなく開けた地に、小さな子どもが立っていた。

 左右に分けて結ばれた灰色がかった黒髪。ブライアンを見すえる、感情の見えない黒い瞳。身につけている服装は、ブライアンの知る国連学校の制服に似ていた。背負ったリュックサックを併せて見ると、山に遠足に来たエレメンタリースクールの学生のように見える。だが、その小さな身体からは考えられないような殺気を放っていた。

「迷子の子ども、ではないな」

「俺を待ち望んでるのは間違いないようだがな」

 ブライアンは速度を速めることなく、ゆっくりと坂を降り、二メートルほどの距離で立ち止まった。少女は、依然としてブライアンを見すえていた。

「あなたが、ブライアンだね?」

 少女が口を開いた。

「ああ」

「やっぱり。ディスプレイでみたとおりだ。ターゲット、かくにん」

「ボバディ・メディスンか、おまえ」

「そうだよ。わたしは、サニー。ジャポネのコロシヤ。だから、わたしは、あなたをころす」

 サニーが笑顔を見せた。やはり子どもにしか見えない。それでも、放つ殺気は変わらないままだ。

「参ったな」

「油断するなよ、ブライアン。その子、ただの子どもじゃない」

 緊張感を持ったメイの声が聞こえる。

「知っているのか、メイ?」

「ジャポネには、ガンズでもランズでもない特殊な戦闘兵がいる。それはかつてのジャポネにいたとされる伝説的な暗殺者の敬称を受け継ぐ───【コロシヤ】と呼ばれる者。それがおそらく、その子だ」

「コロシヤ、か」 

「だれとはなしてるの?」

 サニーがブライアンの顔を覗き込んでいた。ブライアンは反射的に後方へ飛び退った。

「なんだ、今の。まったく動く気配がしなかったぞ」

「明確な殺気をまき散らしながらも、その動きを追えない。厄介なものだ」

 サニーが考え込むような素振りを見せた。

「そうか。あなたも、わたしとおなじなんだね」

 サニーがゆっくりと距離を詰めてくる。ブライアンは逡巡し、動けないでいる。

「じゃあさっそく、けっとうしよう」

 サニーが腰につけた鞘からナイフを抜いた。ナイフにしては刀身が黒い。ナイフの鋭さは感じられないが、禍々しいなにかがある。

「決闘?」

「そう、けっとう。ハンプーク・ヨコットビ」

 サニーの言い出したことをブライアンは理解できずにいた。先ほどのような気配を消した動きをすれば、ブライアンに対して隙を突いた奇襲もできるはずだ。それが、正面からの決闘を望んでいる。

 ハンプーク・ヨコットビは国家間の揉め事を解決するため、数百年前に定められた国家の代表者によって行なわれる、純然たる決闘である。互いに言い分があったとしても、すべては決闘により決められる。当初は国家間の争いに限られていたが、現代では一個人における決闘も法によって許可されている。ブライアンは実戦での経験は無いが、調練を通じてその作法を学んでいた。もっとも、ボバディ・メディスンに所属しているサニーにとっても、それは同じだろう。

 ブライアンは思考を切り替え、ひとつ息をついた。サニーを見すえる。ガンズとして多くの戦場を経験してきた。その中では、サニーほどの年頃のゲリラの子どもを切り捨てたこともあった。敵は敵でしかなかった。

「覚悟はあるんだな?」

 サニーがステップを踏みながら距離を取った。

「ほんきだよ。ほんき、モンキー、マジホンキ」

「わかった」

 相手が子どもとはいえ、決闘を口にする者を相手に手を抜くことはない。ましてや、コロシヤを名乗る強者だ。

 ブライアンは即座に武器を生成した。相手の得物に合わせ、刃渡りは短く整えた。

「元ボバディ・メディスン、ガンズ、ブライアン。俺のランデブー・ポイントたどり着く場所はまだ先だ。ここは夕焼け過ぎの断頭台おまえの死に場所だ」

 名乗りをあげた。決闘における作法とされていたが、調練では経験がなかった。それでも、ただ心に浮かんだ言葉を紡いだ。

「ボバディ・メディスン、コロシヤ、サニー。ここからは悲しい物語わたしのおはなしブライアン・ラプソディあなたのおはなしはもうおしまい」

 サニーもまた名乗りをあげた。互いに距離を合わせる。互いの間合いに入る。  

痛みをかき分けてハンプーク

 サニーの言葉。サニーが黒のナイフを逆手に構えた。

その身尽きるまでヨコットビ

 ブライアンの言葉。ルナ・リコリスから生成したナイフを握る。

いくよカモン

来いカモン

「「あいって」」

 ブライアンは左足に力を込め、右に跳んだ。サニーもまた右に跳ぶ。互いの間に距離が生まれる。

 右足で着地。同時に力を込め、左に跳ぶ。開始位置を通過する。サニー。同じく跳んでいた。交差。やはり笑っていた。

 左足。さらに力を込める。切り返し、右に跳ぶ。再び交差する。サニーが突き刺すようにナイフを出してきた。ブライアンはナイフを合わせた。鈍い音と共に互いのナイフが弾かれる。力はこちらに分がある。だが、サニーの振りの鋭さは侮れないものだった。

 再び右側に達する。右足で切り返すと、サニーの首筋を狙いナイフを振った。ナイフに防がれた。再び、ナイフが弾かれる。左足にさらに力を込める。速度が上がる。サニーもまだ余力があるのか、同じく速度が上がった。


 ハンプーク・ヨコットビは、決闘者のいずれかが果てるまでその戦いが続けられる。過去の記録による統計ではおおよそ三分ほどで決着がつくとされる。もっとも一太刀で斃されたり、十分を超えても決着がつかなかった記録もある。

 一分半。二人の速度はさらに増し続ける。それは常人の眼には捉えるのが困難な領域に達しつつあった。その決闘はまさに互角。三分を超えたとして、この戦いが決着するとは考えられない。

 二分五十秒。ブライアンのナイフに小さなひびが生じた。ルナ・リコリスにより構成されたナイフは、本質として使い捨ての耐久の無いものだ。ブライアンもそれを認識している。ただ、ハンプーク・ヨコットビにおける耐久力の損耗は、ブライアンの想定よりもだいぶ早かった。そして、ブライアンはそのひびに気づいていない。

 三分。ブライアンのナイフが限界を迎えた。

「ブライアン、錬成しろ」

 メイの叫び声。ブライアンの耳に届いた時には、既にブライアンはナイフを突き出していた。サニーのナイフと触れる刹那、ナイフからルナ・リコリスの欠片が落ちていくのをブライアンの瞳は捉えていた。


 逆手に握ったナイフを振るった。ブライアンのナイフが砕ける。そのまま首筋を狙おうとしたが、サニーのナイフの軌道が乱れる。このまま。体勢の崩れたブライアンの右わき腹。軌道を再構成し、サニーは右手を押し込んだ。

 やっと、殺してくれた。

 えっ。

 いつものように、ナイフがサニーに語りかける。

 殺してくれた。これで悲しい物語はもうおしまい。

 えっ、まだだよ。まだ、おわらないよ。

 もう、おしまい。

 もう、このひとをころすし、わたしのおはなしはまだこれからだよ。

 ううん。あなたは長い夢から、私の呪いから解き放たれる時がきたの。

 どうして? わたしはこのままでいいの。

 ごめんなさい。あなたには、長い間、迷惑をかけてしまった。もう、おしまい。 

 いやだよ。だって、わたしは。

 夢から醒めるの、サニー。あなたはこれからも生きて。この決闘はもう終わり。あなたは、笑顔になって。あなたは、これからを幸せに生きて。


 サニーのナイフがブライアンを薙ぐ。ブライアンが空中で身体をひねってかわそうとしたが、ナイフはブライアンの右わき腹を切り裂いた。

 交差した二人。共に左足から着地し、動きを止めた。

 ブライアンがわき腹を左手で抑える。致命傷ではないが、このまま決闘を続けるのは困難な傷だ。血が左手を染めた。歯を食いしばり、振り返る。

 サニーが右手を見つめる。ナイフが消えていた。十年間、共に生きてきた。共に殺してきた。今はただ、あるかなきの熱だけを感じていた。右手を握る。ふらりと、振り返る。

 二人の眼が合った。共に決闘は終わったのだと悟った。


「ブライアン、君の傷は深い。だがこのまま武器を錬成し、今のあの子の首をはねるのは難しいことじゃない」

「戦意を喪失しているなら、もう敵じゃない」

「訊くまでもなかったな」

 ブライアンが座り込み、デイパックのサイドポケットから無針注射を取り出し、わき腹に打ち込んだ。麻薬の作用により、痛みが和らぐ。止血帯で傷を覆うと、応急処置は終わった。本来ならすぐにでも縫合手術を行なうべきだが、この処置だけでも時間はかかるが傷は治る。手術を受けられるような状況ではないのだ。

「これから、あの子はどうなる?」

 サニーがうつむいていた。

「ブール国連学校の生徒として勉学に励み、目指すべき道を見つけて邁進していく。残念ながら、そんな優しい物語結末にはならないんだろうね」

「コロシヤはコロシヤのまま、か」

「いずれまた、あの子は君を殺しにくるかもしれない。今ここで斬らなかったことが、禍根となってしまうかもしれない。そうしたら」

「それは、今ではない。それだけだろう」

「そうだな。この判断が正しかったのか。それは神のみぞ知る。ロン・サカモトにもわからないだろう」

 ブライアンは立ちあがった。痛みは感じない。歩を進め、サニーの横を通り過ぎる。サニーは立ち尽くしていた。立ちあがったブライアンを一瞥することもない。

「えがおになって?」

 サニーがつぶやいた。

「しあわせに?」

 もう一度、聴こえた。声が震えていた。

 曇天から雨が降り出していた。ブライアンは歩き続ける。強くなる雨音の中、サニーの泣き声がかすかに聴こえてきた。

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