第42章 田中雅子の独白

沈黙の中に宿った、その静かな誓いこそが、彼の人生の最後の灯だった。



私は医師であり、心理カウンセラーとしての顔を持っていた。

 四十五歳——責任者という肩書を背負い、あの施設を設立したのは私だった。若い頃から、患者の痛みを和らげることにだけは真摯でありたいと願ってきた。終末の現場で何度も手を合わせるうちに、「苦しまずに去ること」の価値を深く信じるようになった。それがいつしか、私の仕事であり、使命になっていた。


 だが、信じることと正しいことは常に一致しない。

 施設を運営するうちに見えてきた現実は、私が最初に抱いた理想よりもずっと複雑だった。制度、資金、人の弱さ——それらが入り混じり、時に冷たい決断を私たちに迫った。私自身、患者の尊厳を守るつもりで扉を開いたが、結果的に人の死を扱う「装置」を作ってしまったのではないかと、何度も自問した。


 悟の真剣な目。翔子の震える詩。塩谷さん夫婦の寄り添い。光輝の不器用な優しさ——ひとつひとつが私の胸に刻まれている。彼らは最期を選んだ。そして私は、その選択を見届けた責任者でもあった。私は彼らの痛みを軽くするつもりで手を差し伸べたが、同時に私の手が何かを動かしてしまったのかもしれない。


 施設は閉鎖された。外からの視線と法の介入が、それを終わらせた。私は責務と罪の間で、長い夜を過ごした。告発があり、議論が湧いた。だが声高に叫ぶことが、必ずしもあの日々に寄り添うことにはならないとも思った。責任を問われるべきことは問われなければならない。ただ、それと同時に、あの人たちの最後の「静けさ」を安易に語り直すことには慎重でありたかった。


 私の行為に弁解はできない。だが一つだけ言えるのは、私はいつも苦しみを減らしたかったということだ。結果がどうであれ、その志だけは消えない。今はもう建物はない。だが問いは残る——人は、どのように死を選ぶことが許されるのか。社会はそれをどう支えるべきか。


 私はこれからも、白衣を脱いでも、人の声に耳を傾け続けるだろう。責任者としての過去は重く、忘れることはできない。だが声を聞くという行為だけは、私に残された仕事だと思っている。その仕事を通じて、少しでもあの夜の記憶に誠実に向き合いたい。


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