第28章 荒川の決断
荒川澄江は夜勤明けの薄いコーヒーを一口すすり、いつものように記録紙に目を落とした。だが今、彼女の手は迷いなく震えていた。美咲を箱の中から引き上げた夜以来、彼女の内側で何かが決定的に変わっていた。看護師としての細やかな観察眼が教えることは、数字や行為の是非ではなく、「そこに人間がいた」という事実だった。
その事実の前に、職務の線引きは脆く崩れた。荒川は自らの手で小さなきっかけを作り、タイミングをずらし、ログの隙間を生み出した。目的はただ一つ——生きている者を一人でも外へ出すこと。彼女は自分のキャリアと信用を賭け、ひとりの若い命を街の冷たい光へと送り出した。
荒川が動いたとき、彼女の胸には恐れと同時に静かな確信があった。看護師として、人を見捨てないという矜持がその確信を支えたのだ。
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