第一部 2話 ホワイトヴィラン
すっかり暗くなった線路沿いの道。
部活で遅くなった俺と幼馴染の奈乃香は通学路を速足で歩いていた。
「あ、降って来た……」
「……間に合わなかったか」
奈乃香が掌を上に向ける。
釣られて俺も上を見上げると、確かに曇天から雫が見えた。
降り始めるよりも先に帰りたかったんだけどなぁ。
諦めて俺たちは歩く速度を落とした。
さらにリュックからごそごそと折り畳み傘を取り出す。
二人とも、傘は持っている。出来れば使いたくなかっただけだ。
パン、とほとんど同時に傘を開く。
ちょうど踏切に差し掛かったところだった。
「シュン、あれ……」
「?」
奈乃香は不意に左を指さした。
見れば、踏切のすぐ手前に男が立っていた。
闇に紛れるような真っ黒なレインコート。
両手をポケットに入れている……顔は見えなかった。
「……
低い男の声がした。レインコートが一歩だけ近づく。
逆に奈乃香が一歩下がった。
代わりに俺は前に出る。
「……何か用ですか?」
「では、お前が
俺の質問には答えず、男は小さく笑ったようだった。
俺たちのことを知っている?
ほとんど無意識にじりじりと後ろへ下がった。
いつでも逃げられるようにしておかないと。
「はは……」
「?」
男は乾いた笑い声を出すと両手で顔を覆った。
逃げなきゃ、と俺は咄嗟に感じたが、一瞬だけ出遅れた。
「きっと、お前ならやってくれる」
男はそう言って、がくっと両膝を地面に突いた。
さらに男の体からごぽごぽと黒い泡のようなものが浮いてくる。
黒い泡は男の体中に広がっていった。
そして――男の体が変化してゆく。
「なんだよ、これ」
「……うそ」
俺と奈乃香の呆然とした声が響いた。
一瞬で男は俺の倍近い身長になっていた。
体格はまるで熊が二本足で立ったように見える。
いつの間にか両手に武器があった。右手には子供の身長くらいありそうな西洋風の大剣。左手には赤と青の装飾が施された小刀が握られていた。その姿にはまるで統一性がない。
全身が黒一色。『怪物』という言葉が脳裏に浮かんだ。
赤く血走った眼だけが雨の中で光っていた。
怪物は俺たちを睨んでいたが、やがてこちらへと走り出した。
踏切からここまで、距離はほとんどない。怪物は一息で近づいて来た。
「奈乃香! 逃げろ!」
「え……きゃ」
咄嗟に奈乃香を前に突き飛ばすと、左から迫る怪物と向き直った。
折り畳み傘を閉じて、構える。
武道の経験なんてないし、傘で化け物に勝てるはずもない。
それでも、他に武器なんてありはしなかった。
怪物が言葉にならない叫びを上げた。
迫る怪物の巨体目掛けて、俺は傘を振り下ろす。
「ぐ……がっ!」
しかし、怪物は傘など意にも介さず、右腕で俺を吹き飛ばした。
……大剣を使わなかったのは狭いからか。
俺は踏切の突き当りにある民家の塀に叩きつけられた。背中が熱い。
それでもどうにか顔を上げると、目の前には悪夢のような光景があった。
奈乃香が立っている。
頭上の怪物と俺を交互に見ていた。
怪物が左手の短刀を振りかぶっている。
息が荒い。血走った眼は奈乃香を真っ直ぐに見ていた。
「やめろ」
俺の喉から掠れた声が漏れる。
ほとんど無意識に手を伸ばすが意味はない。
怪物が左の短刀を大きく振り下ろす。
短刀が奈乃香を袈裟に斬った。
赤い血が舞って、夜の雨と混じってゆく。
俺はその様子を特等席で見てしまった。
奈乃香が地面に倒れ込む。怪物は大きく後ろに跳んだ。
さらに、ゆっくりと踏切の方へと下がっている。
「?」
……俺を殺すつもりはないということか?
それを見て、俺は這うように奈乃香へと近づいた。
何をすれば良いかも分からずにぺたぺたと触る。小刀がカラン、と落ちた。
そうか、奈乃香の体に刺さっていたんだ。
リュックに引っかかって、途中で太刀筋が止まったらしい。
奈乃香はすでに意識がないようだった。
……それどころか、脈も。
そこで、甲高い音が響いた。カンカンカン、と。
踏切が喧しく警告音を鳴らしている。
怪物がさらに一歩、後ろに下がる。
このままだと、逃げてしまう。
奈乃香を殺したヤツを逃がしてしまう。
良いのか? 良いわけはない。
だが、追いかけても勝ち目はない。
さっき吹き飛ばされたばかりだろう。
せめて武器がいる……武器。
俺は足元の小刀に視線を向ける。
そして、我ながらどうかしていると思いながら――俺は小刀を手に取ってしまった。ちらりと視線を向ける。怪物が踏切を越えたのが見えた。踏切は相変わらず喧しい。
「きゃああああ!」
「……?」
さらに女性の叫びが聞こえた。
声の方を向けば、女性はこちらへと指をさしている。
ああ、そうか。
角度的に怪物は見えないのか。
この状況だと、俺が奈乃香を殺したように見えるな。
どこか客観的にそんなことを考えた。
奈乃香を見る。身じろぎ一つしない。もう助からないだろう。
右手を見る。奈乃香を殺した武器があった。
踏切を見る。電車は近くまで迫っていた。
女性を見る。やめるなら今だ。
「はは……」
一瞬だけ苦笑すると、俺は踏切へと走り出した。
バーを飛び越えて、そのまま走り抜ける。
電車が背中を掠っていくような感覚があった。
「待て!」
遠くに見える怪物へと声を張り上げる。
背中は痛むが走ることはできる。
でも――
「人殺し!」
女性が大きな声で叫ぶ。
――後ろから聞こえる声に足が止まりそうになった。
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