第五十五話 死闘 後編

 邪神の言葉は、一つの鍵であった。そして仕掛けた罠を発動させる。


 後ろで倒れていたシグルドが立ち上がる。黒いマナを吸い込み、その目を真っ黒に染めたシグルドは、冬也に向かい剣を振りかぶった。

 冬也には、一瞬の油断が有った。濃密なロメリアの殺気に紛れて、シグルドが剣を向けた事に気が付かなかった。戦いでは、その油断が命取りになる。邪神が高笑いをする姿が見える。しかし、冬也の頭部まで数センチまで迫った時、剣はピタリと止まった。


 邪神は、一つの誤算をしていた。


 天才と呼ばれたペスカを失ったエルラフィア王国で、精神的支柱になっていたのは、まごうこと無くシグルドである。

 極限まで技を鍛えても、強くなったとは言えない。そこに必要なのは、心の強さである。厳しい鍛錬の末に鍛え上げられた精神力は、簡単に折れたりはしない。ましてや、英雄ペスカの代わりに、国を守って来たのだから。


 その精神力こそが、神の力に抗っていた力だ。それこそが、シグルドの本領だろう。シグルドの目から黒が抜けていく。そして剣を下ろすと言い放つ。


「私を操れると思うなよ! この剣は、国と民を守る為に振るわれる! 友を斬るためではない!」

「貴様ぁ~、人間の分際で抗うかぁ~!」


 邪神の怒りが、更にヒートアップし、黒いマナが広がっていく。既に謁見室は、邪神の領域となっていく

 それは、神が遺憾なく能力を発揮できる空間である。特に邪神ロメリアの場合は、あらゆる悪意を糧とする。

 恐怖、殺意、憎悪等の悪意が入り交じる常軌を逸した空間は、既に人が抗えるレベルを超えている。邪神の洗脳を払い除けたシグルドでさえも、辛そうに顔を顰めている。


「貴様らには、神の鉄槌を食らわせてやる。消し飛べ!」


 天井を突き抜けて、謁見室を満たす様に黒い光の矢が降り注ぐ。冬也は剣と拳、それに足を使い、黒い光の矢を弾き飛ばしていく。

 そしてシグルドも同様に、剣を使い懸命に黒い光の矢を弾き飛ばす。しかし、勢いは弱まらない。


 冬也は邪神との戦闘を開始してから、始めて狼狽した表情を見せた。


 降り注ぐ黒い光の矢は、謁見室全体へと広がっている。だが、冬也には苦しむシグルドを庇う余裕どころか、トールを治療中しているペスカの護衛に回る余裕すらない。


 ただ、天才と呼ばれた魔法使いは、神の浅慮な策など簡単に凌駕して見せた。

 

「おに~ちゃ~ん!」


 その叫び声と共に、ペスカは自分の周囲に張っていた結界を、謁見室全体に広げる。そして雨の様に降り注ぐ黒い光の矢を、全て払い除けた。

 だがペスカは、トールの治療を続けている。結界に全力で注げた訳ではない。黒い光の矢が止むと共に、ペスカの結界も砕け散る。


 そして、邪神はその瞬間を見過ごさない。冬也の背を越える程に大きく黒い剣が、宙に出現する。それは、冬也に向かい振り下ろされた。冬也は剣で受け止めるが、勢いは殺せず吹き飛ばされた。


 黒い剣は次々に現れる。そして、冬也に向かい振り下ろされる。冬也は全てを受け止めるが、段々と数の多さに押され始める。

 だが冬也の危機は、シグルドの剣により救われる。ポーカーフェイスを保つ事が出来ず、苦しい表情を浮かべるシグルドが、冬也の前に立ち光速の剣を振るったのだ。

  

「助かったぜ。シグルド」

「お互い様だ冬也。君のおかげで、目が覚めた。邪神の洗脳を振り払う事も出来た」


 シグルドのおかげで、一瞬の余裕が出来た冬也は周囲を見渡す。ペスカは未だトールの治療で動けない。しかも結界を張り直す余裕は無い。

 冬也とシグルドは、ペスカを守る様に位置取りし、黒い剣を受け止め続けた。止まる事無く続く剣の嵐、二人は力の続く限り受け止める。


「冬也、このままではジリ貧だ。何か手は思いつかないか?」


 冬也の戦いを見続けていたシグルドは、冬也に光明を求めた。


「シグルド、ちょっとだけ耐えろ!」


 冬也は考える様に、一瞬目を閉じるとシグルドに答えた。そして、冬也は剣を床に突き刺し、呪文を唱え始める。


「大地母神フィアーナ。俺の母親なら力を貸してくれるよな! 悪意を粉砕しつくせ、トールハンマー!」


 冬也のマナが膨れ上がると、手には輝くウォーハンマーが現れる。冬也がウォーハンマーを振るうと、真っ黒な空間に亀裂が走り、割くような悲鳴が響き渡る。真っ黒な空間が粉々に砕けると、体中に大きな裂け目を作った邪神が倒れていた。

 神の力を借りて、神の空間を打ち破ったのだ。戦況を覆す、大きな一手となっただろう。


 しかし冬也とシグルドは、既に息が上がっている。邪神は倒れていても、直ぐに立ち上がるはず。消滅はしていないのだ、戦いは終わっていない。気を緩める訳にはいかない。そして、ペスカから声がかかる。


「トールの治療は終わったから、交代だよシグルド」


 ペスカは、トールを守る様にと、シグルドを下がらせる。そして、邪神に向かい身構える。そして邪神は、ゆっくりと体を持ち上げた。


「ふは、フハハハハハ。フハ~ハハハハ! ここまで追い詰められたのは、天地開闢以来初めてだ」

「まだまだ、終わらねぇぞ」

「そうだよ。今度こそ絶対にあんたを倒す!」

「ハハハ、良く言う。でもさ、流石に僕も力を使い過ぎた。貴様らは良く戦った。だが、そろそろ消えて貰う。神には決して抗えない事を知れ!」


 邪神は柏手をする様に手を叩き、大きな音を鳴らす。音が鳴った瞬間に、全員が頭を抱えて苦しみ始めた。


「くそっ、てめぇ!」

「うぁぁぁ、ロメリア゛~!」


 これまで何度もロメリアの力に対抗し続けた冬也のマナは、既に限界を迎えようとしてた。歯を食いしばり堪えた所で、これ以上は戦える状態ではない。

 やがて膝を突き、遂には意識を失い倒れる。一方のペスカは意識をギリギリで保ち、シグルドとトールを魔法で謁見室の外に吹き飛ばした。

 シグルドは朦朧としながらも、這う様に謁見室に戻ろうとするが、力が入らず動けない。


「ペスカ様、何を!」

「あんたは国を守りなさい。こいつは意地でも私が何とかする!」


 シグルドを逃がそうとするペスカに、邪神は目を吊り上げ睨め付ける。


「残り少ないマナで君が何を出来るんだ? ここで皆殺しにしてやるよ!」

「お断りだよ! ここで滅びろ邪神。この世界は壊させない!」


 ペスカは痛みに耐えて立ち上がり、呪文を唱える。


「貫け、神殺しの槍! ロンギヌス!」

「それは、前に見たよ。通じないんだよ!」


 邪神の領域は既に破壊され、かなりのダメージも負っている。それでも、防ぐのは容易いと考えたのだろう。ロメリアは黒いマナを噴出させ、自身の前に障壁を作り出す。


 それは完全な誤算であった。


 ペスカが作り出した槍は、障壁を突き破り邪神の肩を貫く。邪神が大きな悲鳴を上げるが、ペスカは間髪入れずに呪文を唱える。


「刺し貫け、ロンギヌス! 邪悪を滅殺せよ」


 邪神に向かい魔法の槍が飛ぶ。それを食らえば、流石の邪神でも消滅の危機に陥る。邪神は有らん限りの力で、ペスカの魔法に対抗した。


「あぁぁぁぁ~! 向こうに送ってやるよ~!」


 邪神は、ペスカが作り出した槍を、避けようとせずに手を叩く。すると邪神の眼前で空間が歪み、ゲートが出現した。そのゲートに、魔法の槍が吸い込まれる。

 ペスカは力を振り絞り魔法を放つが、全てゲートに吸い込まれる。やがてゲートは、ペスカの魔法だけで無く、倒れた冬也も吸い込んだ。


「おに~ちゃん!」


 ペスカが冬也に気を取られた瞬間であった。邪神の放った黒い光の矢が、ペスカの肩を貫いた。邪神の矢は、ペスカのマナと生命力を奪い取って行く。


 トールの延命、結界の拡大、大魔法の連続行使と、ペスカのマナは枯渇寸前であり、限界を超えて戦いを続けていた。

 ペスカはマナと生命力を奪われると、力尽きて倒れゲートに吸い込まれた。


「ここまでやったら、流石に目を付けられたろうな。そうだ! 貴様らの世界は楽しそうだし、傷を癒すついでに向こうで遊んでやろう!」


 ペスカと冬也がゲートに吸い込まれた後、邪神は独り言ちゲートを潜る。邪神がゲートを通ると手を翳し、ゲートを完全に閉じた。

 謁見室には、戦闘で遺体確認が出来ない程に砕けた死体だけ残された。この戦いで生き残ったのは、謁見室から放り出されたシグルドとトールだけだった。

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