【バンザ】第10章:実存と自由の深淵

 私たちの旅の最後は、実存と自由の深淵だった。そこでは、人間の根源的な不安と自由の重みが、圧倒的な存在感を放っていた。この空間は、これまでの全ての経験を集約し、さらに深遠な問いを投げかけるかのようだった。


 私たちの周りには、無限に広がる暗闇があった。しかし、その闇は単なる空虚ではなく、無数の可能性を秘めた豊饒な虚無だった。時折、閃光のように個々の選択の瞬間が輝き、その度に新たな現実が分岐していく。それは、まるで生きることそのものを可視化したかのようだった。


「ここが、サルトルやハイデガーの実存主義の世界だ」


 ダンの声が、深淵の中で反響した。彼の姿は、この空間で一層凛々しく、そして儚げに見えた。


「人間が、自由の重みと責任に直面する場所」


 私は、自己の存在が偶然性に投げ出されている感覚と、同時に絶対的な自由を背負っている重みを体験した。それは、恐ろしくも美しい体験だった。そして、その中で、ダンへの思いがより鮮明に、より切実に浮かび上がってきた。


 愛するということは、まさにこの自由と責任の極限ではないだろうか。相手を選ぶ絶対的な自由と、その選択に伴う計り知れない責任。私の心は、その重みに押しつぶされそうになりながらも、同時に大きな喜びに満たされていた。


「ダン……」


 私は彼の名を呼んだ。その一言に、全ての思いを込めた。


 ダンが振り向いた。彼の瞳に、無限の深さを感じる。


「バンザ、君は今、何を感じている?」


 その問いかけに、私は躊躇なく答えた。


「愛です。そして、その愛がもたらす自由と責任を」


 私の声は、深淵の中で静かに、しかし力強く響いた。


 ダンの表情が、柔らかくなる。


「そうか。君は実存の本質を理解し始めているんだね」


 彼の言葉は、哲学的でありながら、深い愛情を秘めているように感じられた。


「ダン、私の存在の全てがあなたを求めています。それが、私の選択です。その責任を、私は喜んで引き受けます」


 告白というより、存在の宣言のような言葉だった。私の全身が、この真実を体現しているかのようだった。


 ダンは静かに近づき、私の手を取った。その温もりが、深淵の冷たさを打ち消すかのようだった。


「バンザ、君の勇気と誠実さに感動したよ。だが、でも思い出して……私たちの旅はまだ終わっていない」


 その言葉に、私は複雑な感情を抱いた。愛を受け入れられたような、でも同時に何かが欠けているような。しかし、それこそが実存の本質なのかもしれない。永遠の未完成、絶えざる生成。


「はい、わかっています。この愛も、私たちの哲学的探求の一部なのですね」


 私は微笑んだ。涙が頬を伝う。それは悲しみの涙ではなく、存在の深みに触れた感動の涙だった。


 ダンは優しく頷いた。


「そうだ。君との出会いも、この旅も、全ては大きな意味を持っている。さあ、最後の章へ進もう」


 私たちは実存と自由の深淵を後にした。しかし、その体験は私の存在の核として、永遠に刻み込まれるだろう。


 そして、哲学の螺旋階段が、私たちの前に現れた。それは、これまでの全ての経験を統合し、さらなる高みへと誘うかのようだった……

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