第17話 セバスチャンの過去

「……」

 朗らかだったセバスチャンの気配が一瞬で消えた。

 静かな面持ちになり、じっとわたしのことを見ていた。

 さっきも静かにわたしを見ていたけど、それとも違う。まるでが別人になったみたいだった。

 いや、

「……ふむ。わたしの過去、と申しますと?」

「あなた、昔は他国の〝暗殺者〟だったのよね。でも任務に失敗して、何とかこの国まで逃げてきた。それで死にかけていたところをたまたま通りかかったお父様に助けられた」

「……」

 セバスチャンは何も言わなかった。

 ますます彼の顔から〝セバスチャン〟が消えていくのを感じた。

 そう、セバスチャンはかつて〝暗殺者〟だった。それが紛れもない彼の過去だ。

 そもそもセバスチャン・マクシミリアンというのも本名ではない。それは彼がいくつか持っていた偽名の一つだ。ちなみに本名はゲームに出てこなかったから、そこまでは知らない。

「……どこでそれをお知りになられたのですか? わたしが〝暗殺者〟だったことは、レジナルド様にも申し上げたことはないはずなのですが」

 別人のような声色でセバスチャンが尋ねた。

 きっとこれが素の彼なのだろう。得も言われぬ迫力みたいなものをひしひしと感じた。

 わたしは目を逸らさず、ちゃんと真正面から彼を見つめた。

「安心してちょうだい。これは誰かから聞いたわけじゃないわ。あなたの秘密がどこからか漏れた、ということではないの」

「……? どういうことですかな? 誰にも聞いていないのに、なぜわたしの過去を――」

「〝魔法〟よ」

「魔法、ですと?」

「そう、魔法」

 訝るセバスチャンに向かって、わたしはしたり顔で堂々と嘘を吐いた。

 ……あなたの過去を知っていると言えば、当然相手は情報の出所を訊いてくる。セバスチャンにとっては何よりも知られたくない過去だ。どうしたって出所を知ろうとするだろう。

 そう訊かれた時のために、わたしはあらかじめ嘘を考えていた。

 それが〝魔法〟だ。

 この世界には魔法がある。だったら何でも魔法のせいにしてしまえばいい。

「……実は頭を打った日、突然〝人の心が読める魔法〟が使えるようになったのよ。自分でもどうしてそうなったのか分からないけど……でも、その魔法が使えるようになったおかげで、わたしはエミリアや周囲の人の気持ちがちゃんと理解できるようになったの。あなたはさっき、わたしが別人のようになったと言ったけど……そうじゃないのよ。わたしはようやく、周囲の人たちの気持ちを理解したの。だからこれまでの行いを改めようと思ったの。ちゃんと心を入れ替えようって」

「……」

「でも、ちょっと弊害もあって……心を読むだけじゃなくて、相手の記憶をうっかり読んでしまうこともあるのよ。それで偶然、あなたの過去を知ってしまったの。勝手に記憶を読んでしまってごめんなさい」

 頭を下げ、上目遣いに相手の様子を窺う。

 魔法のない世界ならただの妄想話だろうけど、魔法がある世界ならきっと嘘とも言い切れないはず。しかも、これによってさりげなくわたしが改心した理由もでっち上げることが出来た。

 そんな設定盛って大丈夫か? と言われそうだけど、そこも大丈夫。頃合いを見て適当に「心を読む魔法は使えなくなった」とでも言えばいいのだ。突然与えられたものが、突然消え去っても不思議はあるまい。

 さぁ、どう出るセバスチャン……?

 じっと黙していたセバスチャンが静かに口を開いた。

「……なるほど。そういうことでしたか。心を読む魔法……そういうものがあるという噂は聞いたことがありましたが、本当に実在したのですな」

 よし!

 わたしは内心でガッツポーズをしながら、顔にはさも驚いたような表情を貼り付けた。

「信じてくれるの?」

「確かに普通は信じられない話でしょうが、わたしの過去を知っているのが何よりの証拠です。否定できる材料が見つかりません」

 セバスチャンはそう認めた上で、ふっとニヒルな笑みを見せた。それはわたしが知っている〝セバスチャン〟であれば、絶対に見せないような顔だった。

「ヒルダ様の仰る通り、わたしはかつて暗殺者でした。幼小より人を殺すためだけに訓練され、ただ人を殺して生きてきました」

「……あなたは誰に雇われていたの?」

「国ですよ。わたしの任務は〝国家の敵〟を消すことでしたから。ですが、ある日のことでした。今度はわたしが〝国家の敵〟になり、殺される側になった。任務をしくじってしまったからです。わたしはトカゲのシッポのように、あっさりと切り離された」

 セバスチャンはどこか遠い目をした。

「ずっと国のために働くよう洗脳されていたわたしは、国を追われて自己の存在理由を完全に見失いました。何とか逃げ延びたはいいものの……あの時のわたしは、本当にただの空っぽの死に損ないでした。後はただ死ぬのを待つばかりだった時、たまたま近くを通りかかった旦那様に助けられたのです」

 空虚だったセバスチャンの目に光が戻って来た。ニヒルな笑みに、じわりと自然な笑みが浮かび上がってきた。

「旦那様は死にかけていたわたしを介抱すると、そのまま自分の側仕えとして雇ってくださいました。あのお方は、わたしが話したを全て、驚くほどあっさりと信じてくださったのです。無実の罪で国を追われ、家族もみな失ったという、わたしのつまらない大嘘をね」

「……」

「騙し合いの世界に生きてきたわたしにとって、旦那様の人の良さはまるで理解できないものでした。それでまぁ、最初はここを腰掛けにして、資金が貯まれば頃合いを見てどこか遠くへ逃げようと思っていたのですが……気が付けばもう20年になりますか。はは、我ながら随分と長い腰掛けになってしまったものですな」

 話す内に、セバスチャンの顔はわたしが知っている〝セバスチャン〟のものに変わっていた。

「……この20年、色々なことがありました。大旦那様がご逝去され、まだ若かった旦那様が当主となり、奥様とご結婚され、ヒルダ様とエミリア様がお生まれになりました。この20年で、わたしはようやく人形から〝人〟になれました。いまはただ、この命が尽きるまで旦那様に、ひいてはエヴァット家に恩返しすることだけが我が身の使命であると思って、この余生を生きております。わたしにとってエヴァット家にお仕えしてからの日々は、本当にかげかげのないものでしたから」

「……」

 わたしはセバスチャンの独白のような回想を黙って聞いていた。

 ……そう表向きは。

 だが実際のところは、わりと泣きそうなのを堪えていた。

 い――良い話だぁ!!

 ごめん、ちょっと待って。めちゃくちゃ良い話なんだけど?

 セバスチャンの過去は知っていたけど、彼がどういう心境だったのかまではゲームでは語られていなかった。まぁだってエ〇ゲーだし、フルプライスじゃないし、わりと細部は端折られていたからだ。

 今さらながら、セバスチャンの過去を掘り返したことにかなりの罪悪感を覚えた。

 ……本当なら、セバスチャンとはずっとお爺ちゃんと孫のような関係でいたかった。過去はどうあれ、今の彼は心の底からわたしたちのために仕えてくれているのだから。

 でも――でも、だ。

 わたしはどうしても〝力〟を手に入れなきゃダメなんだ。

 彼の強さはゲームで知っている。エミリアを守るためにセバスチャンが戦うシーンもあるが、それはもうかなりの強さだった。(※ちなみにセバスチャンも最終的にはヒルダに殺されます)

 だからこそ、これは彼にしか頼めないことなのだ。

「お願いセバスチャン。改めてお願いするわ。わたしにあなたが持っている〝戦闘技術〟を教えて欲しいの」

「……」

「あなたの過去に土足で踏み入るようなことをして本当に申し訳ないと思っているわ。でも、わたしはどうしても強くならないとダメなの。きっとお父様に話をしても、もう少し大きくなってから剣術を習えば良いって言われると思う。でも、それじゃダメなのよ。わたしは今すぐにでも強くならなければならないの。それこそ、もういまこの瞬間からでも」

「それは――いったい何のためですか?」

「決まってるわ。エミリアのことを守るためよ」

 わたしは両目に決意を込めて言った。

 そうだ。わたしはこの手で〝運命シナリオ〟を変える。絶対に変えてみせる。思い通りになんて絶対になってやらない。

 わたしはエミリアを奈落に突き落とす黒幕などではなく、あの子を傍で守り続けるかっこいい〝お姉ちゃん〟になってみせるんだ。

「……なるほど」

 セバスチャンは瞑目し、しばし黙った。

 多分それほど長い時間じゃなかったと思う。でも、わたしにはやけに長く感じた。

 やがて、セバスチャンがゆっくりと目を開いた。

「……畏まりました。それがヒルダ様のお望みなのであれば、わたしはそれにお応えいたしましょう」

「ホント!?」

「ええ、もちろんですとも」

 セバスチャンはいつもの朗らかな笑みを見せ、大きく頷いた。

 そこにいるのは、わたしの知らない暗殺者だれかではない。わたしがよく知る、我が家の頼れる使用人である〝セバスチャン〟だった。

「エミリア様のために強くなりたいというあなた様の気持ち――この〝セバスチャン・マクシミリアン〟がしかと受け止めました。わたしに出来うる限りのことをさせて頂きたいと存じます」

 セバスチャンはわざわざ立ち上がってから、改めてわたしの前に片膝を突いて頭を下げた。

 この日から、セバスチャンはわたしにとっての〝師匠〟となったのだった。

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