第15話 治癒

「ヒルダ、服を脱げ」

 二人きりになった途端、いきなりそう言い放たれた。

 思わず聞き返していた。

「え? 服を、ですか?」

「そうだ。何をしている? 早く脱ぐんだ。ん? ああ、もしかして手が動かしづらいのか? ならばわたしが脱がしてやろう」

 呆けていると、エヴァ様がわたしの服を一方的に脱がしに来た。

 慌てて自分の身を守る。

「わー!? ちょっと待ってください!? なんで服を脱ぐ必要があるんですか!? もしかしてそういう趣味ですか!?」

 一瞬、まさか仲間なのか!? と思ってしまったけど、

「……? 何を言っているんだ? 身体の傷も見るために決まっているだろう。顔以外にも傷は残っているんだろう?」

 きょとん、とされてしまった。違ったようだ。

「あ、ああ、そういうことですか……なぁんだ……」

 再びほっとする。

 ……いや、だからがっかりはしてないよ?

 確かにわたしは年上には攻められたい派ではあるんだけれども、TPOは弁えているつもりだ。(TPOの意味は知らない)

「分かりました、自分で脱ぎますから。下着姿でいいですか?」

「それでかまわん」

 エヴァ様が頷く。やはりにこりともしない。よく知らなかったら不機嫌そうにも見えるけど、特に悪気があってやっているわけではない。この人はただ本当にこれが素なのだ。

 ……普通に子供目線で見てたら怖い人に見えるな、この人。まぁわたし的にはそこもいいんですけどね。ふへへ。

 ひとまず服を脱いで肌着だけになる。

 露わになったわたしの素肌には、至る所に傷が残っている。特に背中はけっこうひどいらしい。自分じゃよく見えないんだけど。

「えっと、どうですか?」

「……これは」

「……? どうしました?」

「あ、ああ、いや……すまない。もういい」

 脱げと自分で言った割に、エヴァ様はすぐにわたしに服を着せた。自分で着ようと思ったけど、エヴァ様が自ら着せてくれたのでされるがままに任せた。

「……お前、どんな魔物に襲われたんだ?」

 わたしの服のボタンを留めながら、エヴァ様が訊ねる。

 そうですね……と、思い出しながら答えた。

「なんかこう、黒い大きな犬みたいなのでした。わたしよりは大きかったです」

「犬のような魔物か……であれば中級クラスだな。なぜそれほどの魔物が王都内で……」

 エヴァ様は思案顔になった。

 せっかくだからと、わたしはかねてより思っていた疑問を聞いてみることにした。

「あのう、エヴァ様。一つ聞きたいんですけど……普通、こんな街中で魔物なんて出るんですか?」

「決してありえないことではない」

 まずありえない、ときっぱり言われると思っていたわたしは、思わず驚いていた。

「そうなんですか?」

「ああ。瘴気というのはようするに〝マナ〟の流れが淀んでいるところに生じるものだ。人間の住んでいる都市や街の中に瘴気が生じにくいのは、そもそも〝聖地学せいちがく〟の理論に基づいてマナの流れを考慮して造られているからだ」

「せーちがく……?」

「聖地学というのは、まぁ簡単に言えばマナの流れを読んで土地の気質を調べる学問のことだな。わたしたちが住んでいるような〝街〟というのは、そもそもからして瘴気が生じないように色々と考えて造られているんだよ」

「へえ、そうなんですか」

 ゲームにそんな設定あったっけな? と思いながら頷いた。まぁようするに風水みたいなものだろうと納得する。

「だが、それも決して完璧ではない。どこかに〝穴〟はある。もちろん不備があれば改善されるが、マナの流れを完全に読むのは難しいからな。特に街の規模が大きくなるとそれだけ〝穴〟も増える。だからこの王都内でも、数年に一度くらいは魔物の発生が確認されている」

「なるほど……」

「と言ってもまぁ、仮に都市内で魔物が生じたとしても、せいぜい低級クラスの雑魚程度が関の山だったので、それほど問題にはならなかった。だが、中級レベルの魔物が発生したのはわたしが知る限りでは今回が初めてだ」

 どうやら都市内で魔物が発生することは絶対にない――というわけじゃないらしい。でも、それなりに大きな魔物が生まれることはかなり稀なようだ。

 ……やっぱりこれはんじゃなくて〝運命シナリオ〟の強制力が働いたってことなのかもしれないわね。

「お前は知らんだろうが、今回の件で王都内はけっこうな騒ぎになっているんだぞ?」

「騒ぎに……?」

「ああ。中級クラスの魔物が都市内に発生して、しかも人を襲ったんだ。そりゃ騒ぎにもなる。ここ数日は騎士団が総出で都市内を巡回しているしな」

 そう言えば、何だかここのところ家の周りによく騎士がいて物々しい雰囲気だったことを思い出した。

「まぁそれもあって、お前の妹の名前が貴族社会に知られることになったわけだが……」

「エミリアの名前が? どういうことですか?」

「いつの時代、どこの国でも、やはり聖女というのはとても貴重で重要な存在だからな。その候補が現れたとなれば、自然と名は知れ渡ることになる」

 その話を聞いたわたしは思った。

 ……ここらへんもゲーム本編の流れと同じね。

 エミリアは魔物の襲撃事件を機に貴族社会で名の知られた存在になる。周囲から大きな期待を受けたエミリアはその期待に応えるべく努力を重ねる。だが皮肉にも、その努力する姿がヒルダの嫉妬心を煽ってしまい、二人の関係をますます悪化させていくことになる。

 でもまぁ、それに関しては何も問題はない。いまのわたしがエミリアに嫉妬するなんてことはまずあり得ないからだ。何ならエミリアが有名になってくれて姉として嬉しいくらいだ。

「ああ、ちなみにお前のことも話題になっているぞ?」

「え? わたしも?」

 予想外のことを言われて、わたしはちょっと驚いてしまった。てっきり自分のことは何も話題になっていないと思っていたからだ。

 もしかして、妹を守った勇敢な姉として世間に名が知れ渡ってしまったのだろうか? え~、それは困るなぁ……もしそれでファンとか出来たらどうしよう? 今からサインとか考えておいたほうがいいかも?

 わたしはちょっと期待しながら訊いた。

「えっと、ちなみにどんなふうに……?」

「『エミリアと一緒にいるところを魔物に襲われて死にかけたけど、エミリアがたまたま光の力に目覚めたおかげで何とか一命を取り留めたやたら悪運の強い姉』として話題になっている」

「何それ全然嬉しくないんですけど!?!?」

 まったくかっこ良くなかった。むしろかっこ悪かった。

 いや、何その世間への伝わり方!? もうちょっと何かなかったの!? それ話題っていうかただの晒し者じゃない!?

 自分で言うことじゃないとは思うけど、わたしけっこう頑張った方だと思うよ?

 頼れるお姉ちゃんとして、立派に妹の身を守って……守って――

 ……。

 ……。

 ……いや、別に何も間違ってないわね?

 ふと、わたしは思った。

 思えば、確かにわたしは特に何もしていない。エミリアがちゃんと光の力に目覚めたからお互いに助かったようなものの、そうでなかったらわたしたちは死んでいただろうし。

 そもそもわたしがやったことと言えば、ほんの僅かに時間を稼いだことだけ。それも本当にほんの僅かな時間だ。かっこ良く魔物を倒したわけでもなければ、ヒーローみたいにエミリアを救ったわけでもない。

 うん。よく考えたらわたし何もしてないわね? あれ? さっきの一言一句違わずそのままじゃない?

 なんか勝手に姉として一仕事やりきったような気がしていたけど……気のせいだったような気がしてきた。ああ、なんか急にさっきまでイキってた自分が恥ずかしくなってきた……。

「……あ、調子乗ってすいませんでした。今からわたしはヒルダ・エヴァットではなくタダノ・イモムシに改名します……」

「どうした急に」

 いそいそと自らシーツに包まる。

 わたしはこのまま、ここでイモムシとして生きていこう……こんな地を這うイモムシが、立派なあねになるなんて、夢のまた夢だったんだわ。

 そう思っていると、不意にエヴァ様の手がわたしの頭を撫でた。

「……エヴァ様?」

 包まったシーツから顔を出して見上げると、エヴァ様がちょっとだけ笑みを浮かべてわたしを見ていた。

「まぁそう気にするな。別に世間にお前のことがどう知れ渡っているかなど関係ない。お前の体の傷を見れば、お前がどれほどの恐怖と苦痛と戦ったのかが分かる。お前はその恐怖と苦痛の全てから妹を守ったんだ。だからわたしはお前を褒めてやる。お前はすごいやつだよ、ヒルダ。よくやったな」

 優しい口調だった。さっきまではぶっきらぼうで素っ気ない雰囲気だったのに、今の彼女はまるで本当に聖女のようだった。いやまぁ本当に聖女なんだけど、そういうことではなく。

 あー!! いけません!! いけませんお客様!! そういう不意打ちは困ります!!

「あ、ありがとうございます……」

 つい顔が赤くなってしまう。何とかそれだけ言うのが精一杯だった。

 あかん、あかんて……低音ハスキーボイスクール系お姉さんにそんなこと言われたら惚れてまうやろぉ……こちとらアラサー独身(年齢イコール彼氏無し歴)なんやぞぉ……素でそういうことするのは反則やってぇ……。

「とにかく、わたしに出来ることは全てしよう。横になって目を瞑ってくれ」

「は、はい」

 言われたとおり横になる。いまのわたしはエヴァ様に飼い慣らされた犬だ。わたしは自分を犬だと思って仰向けに寝そべった。

 エヴァ様は目を瞑ってわたしのお腹の辺りに手を置いた。

 目を閉じろって言われたけど……つい気になって薄目を開いてしまう。

 瞑目したエヴァ様の周囲に、きらきらとした光が漂い始めていた。その神秘的な輝きは、まるで夜空から舞い降りた月明かりのようだった。

 ……すごい。

 思わず感嘆の息が漏れた。これが〝光の力〟ってやつなんだろうか。

 空に輝く太陽のような、何もかもを照らし出す光というわけではない。でも、なんだろう。まるでエヴァ様の優しさがそのまま光になったみたいな感じだと思った。本当に月明かりみたいだ。

「そのまま力を抜いて、ゆっくりと深呼吸するんだ」

 エヴァ様にそう言われて、慌てて目を瞑った。

 深呼吸すると、身体を包み込んでいた柔らかな温かさが、身体の内側にも入り込んできたような気がした。

 ……あ、やばい。

 これアロマセラピーみたいでめっちゃ気持ちいい。

 わたしの意識は速攻で眠りに落ちていった。

 結論。

 聖女の治癒は安眠効果がすごい。

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