第8話 お勉強をします。

「ギャンブル? アルチュセール伯爵が?」


「どなたの開催かは教えていただけなかったそうですけれども、病的にのめり込んでいるそうです。それからこれが、教えていただいた他の参加者のお名前です」


 心配げな表情を浮かべたラファエウは、帰ってくるなり駆け寄ってきた。心配で仕事が手に付かなかったらしく、急いで帰ってきたらしい。

 紅茶を淹れながら今日の話をすると、ラファエウは意外そうな顔をしてリストを眺める。微かに眉を顰めたので、気になる人が入っていたようだ。


 教えてもらった参加者の名前を私が見ても、今まで出席したパーティの参加者リストに合わせて確認するくらいしかできない。ラファエウに念の為確認してもらうことを伝えると、ジルベルトは大きく頷いていた。

 旦那様のことが心配でならないのだろう。


「……調べさせよう。伯爵夫人はどうだった?」

「面白い方でした。はっきりとされていて、話していて楽しかったですわ。ラファエウのことも教えてもらいましたよ」

「碌なことではないだろうな」

 すぐに何か思い付くのか、ラファエウは口を尖らせる。


「ラファエウもオスカーも彼女を見たらすぐに逃げようとすると、怒っていましたよ」

「う、まあ、そんなことも、あったかもしれない……」


 しどろもどろと言うが、本当のことなのだろう。二人ともジルベルトが苦手なようだ。オスカーも、私とジルベルトは飴と鞭に見えて、どちらも鞭のようだから。と失礼なことを言っていた。


「私のお友達ですもの、転んでもただは起きぬ方でしょうね。うふふ」

「それは間違いない」

 すんなり納得されるのも癪だが、間違いではないので黙っておく。


「しかし、気になるな。その病的にというところが」

「何かありましたか?」

「王宮で殺傷事件があった。先に手を出した貴族の言い分が支離滅裂で、殿下も気にされていて」


 一人の貴族が他の貴族を急襲した事件があったらしい。その男はすぐに捕らえられたが、相手を襲った理由が未だ分からないそうだ。襲われた方は幸いにも命に別状はなかったが、特に言い争った覚えもなかったらしい。


「穏やかで静かな男だったが、最近は何かとこだわりを見せて言い争うことが増えていたそうだ。そのこだわり方が病的だったと」


 ラファエウが調べている事件ではないので詳しくは知らないそうだが、王宮内での争いごとというだけあって噂になっているらしい。

 ミカエル王太子殿下が気にしているのは、その男が信頼している部下の一人だからだそうだ。


「今日は早めに休んだらどうだ? 人と会って疲れただろう。昨日も根を詰めていたのだし」

「昨夜は少々集中し過ぎてしまっただけですから。お屋敷の仕事は慣れてきましたし、最初の頃はどうしてあんなに大変だったのかと思うほどです」

「慣れていないとそうなるよ。私もそうだ。覚えていても簡単にはいかず、いざやってみれば何も理解していないことに気付く。何度も続けてやっと理解できた気がする程度だ。教科書通り、頭に入れているだけでは身にならないのだと痛感するよ」

「焦らずじっくり行きましょう。周りが見えなくなっては本末転倒ですものね」

「身に染みる言葉だな……」


 ラファエウは感慨深げにして、自分に言い聞かせるように頷いた。

 そうしながら、ちらりと私の方を見遣る。何か言いたげな顔をし、どこかもじもじもじとして、なぜか一人で頬を赤らめた。

 私はそれに気付きながらも口を閉じて、にっこり笑顔を作る。

 しばらくお互い沈黙していると、ラファエウがやっと意を決し、口を開いた。


「ね、眠る前に、口付けても良いだろうか!!」


 その発言までの間の長さよ。私は頬を膨らませて笑いを堪えていると、ラファエウは顔を真っ赤にして恥ずかしさにその赤い頬を拭った。

 その様を眺めながら私は小さく頷く。ラファエウは腫れ物に触るように私の肩を取ると、ゆっくりと近付いて私に口付けた。


 ラファエウが羞恥に耐えきれず、いそいそと部屋を後にする。帰るなり私の部屋に来たので、自分の部屋に戻って行った。それを見送って、私は頬の筋肉が緩まるのを感じた。


(毎日のように二人でゆっくりできるわけではないけれど、少しずつ変わっていっているはずだわ)


 私たちは、きっと良い方向に向かっているだろう。







「助かるわ。わざわざ来てくれて」

「説明をするくらい、どうってことありませんよ」


 私は綺麗にまとめられた資料を片手に、立ったまま教えをくれる銀縁眼鏡の男性に礼を言う。

 ブラウンの髪に白髪が少しだけ混じっており、年は六十代くらいだろうか。記憶を失う前に会ったことはあるそうだが、記憶を失ってからは初めて会う人だ。


 ベルナール・オータン。侯爵領の管理を行っている者である。


「手紙では埒が明きませんからね。アルバートから手紙が届いた時はどうしようかと思いましたが」


 記憶を失ったことで、私は確認すべき仕事を全て忘れてしまった。しばらくはのんびり過ごしていたが、私の知らぬところでベルナールや執事のアルバート、メイドたちは大騒動だっただろう。

 その時どれだけ苦労していたか、私は今身を持ってそれを感じている。


「何も分からないから、全て学び直しても追い付かなくて……。まとめていた資料はあったのだけれど、それだけではどうにもならなかったわ」

「むしろ、使ってくださった方が嬉しいですよ。大奥様は全てを把握されていて指示もあり私たちは動くのが楽でしたが、大旦那様が元気でいらした時は色々お任せくださったものです……」

「お義母様は何でもできてしまう方だったのね」

「大奥様は、大旦那様が倒れられて、とても苦労されたのですよ……」


 懐かしむように言いながら目尻の皺を深めたが、ベルナールは眉尻を下げた。


「奥様に全てを教え担わせると決めたのもそのせいでしょう」

「……何かあったのかしら?」


 そう問うと、ベルナールは一度口を閉じて、小さく吐息を漏らす。そうして、ゆっくりと話し始めた。

 大旦那様、ラファエウの父親である前侯爵が病に倒れた頃、侯爵家は混乱の渦に陥れられていた。


「ヘッドハンティング?」

「多くの者が一斉に辞めた時期があったのです。雑務を行うような者だけでなく、重要な仕事を担う者まで」

「侯爵が倒れられて不安定になったため、そんなことが? 侯爵家の内情を知っている者が何人も出ていったのならば、それは……」

「大ごとですよ。まだ幼いラファエウ様と、いつ治るかも分からない状態の大旦那様を前に、大奥様は愕然とされたでしょう」


 侯爵家であれば代々仕えている貴族も多いだろう。それなのに前侯爵が倒れたからといって簡単に鞍替えをしてしまえば、その貴族の今後の沽券に関わるだろうに。

 前侯爵が倒れた時、外に出ることが少なくなり活動の幅も大きく減ったとはいえ、仕事には関わっていたはずだ。無理をしていたとは聞いたが、それなのに多くの者が辞めたとなると……、


「どこからかの介入でもあったのかしら?」

「……はっきりとは申せませんが、何かしらの陰謀はあったと思われます。これは、ほとんどの者が知らぬ話なのですが、大奥様が調べさせていた時に別の侯爵家の名が上がりました」


 ゴドルフィン侯爵。同じ侯爵家だが第二夫人派で、交流などはほとんどない家だ。むしろ敵対していると言ってもいい。とはいえ同じ侯爵家が使用人たち買収しようとしても、そう靡くことはないだろう。


 そうなると、もっと身分の高い者からの圧力があったのではないだろうか。

 例えば、第二夫人関係とか。


「事実は分からないままですが、その後大奥様は辞めた者たちの補充をしませんでした。辞めなかった我々にも信用しきれないところがあったでしょう。大奥様は元々気難しい方でしたが、それからなおさら輪を掛けるようになり、全てのお仕事に手を出されるようになったのです」

「それでは、「わたし」に仕事を覚えさせたのも、そのせいなのね」

「我々への信頼が足らず、大奥様しか知らないことが増えました。奥様が記してくれていた資料のおかげで分かることが多々あります」


 私の記憶にはないが、「わたし」が書いた日記には多くの仕事が記されていた。ベルナールは日記をぱらりとめくりそれを確認する。


(そんな理由があったのね。それはラファエウも知らないのではないかしら……)


 本来ならばお義母様が手を出さない仕事まで行っていたのだから、忙しくて当然だったのだ。

 皆から話を聞くにあたり、お義母様はとても厳しい方だったが、それ以上に屋敷の者たちとの交流がとても希薄だった。侯爵家に嫁いで夫が倒れ、信頼していた者たちに裏切られたとなれば、心を閉ざしても当然なのかもしれない。


 お義母様とラファエウの親子間でも交流が少なく感じるのだから、そういったコミュニケーションを苦手としていたのもあっただろう。


「「わたし」は、お義母様に信頼され教えられていたのに、それを私が全て忘れてしまったのね……」

「奥様……」


 記憶を失って、戻らないのだから仕方がないと考えていても、やはり障害は起きてくる。

 大切な方からの教授がありながら忘れてしまったとは、お義母様には言葉もない。


「我々が信頼を勝ち得なかったのが悪いのです。アルバートも言っていましたが、大奥様のご病気すら我々は気付けませんでした。それほど切羽詰まっていたからこそ、奥様に厳しくされていたというのに、その厳しさに嫌悪しかなかったと」

「とても難しい話だわ。お互いに理解が足らなかったこともあるでしょう? 話してくれなければ分からないことも多いわ。信頼されていないと言われてしまえばそれまでだけれど、そのために努力も必要であり、相手方もその努力を見る必要があるわ。そんな簡単な話ではなかったのでしょう。大抵そういう時は後から気付くものよ」


(ラファエウと私のように)


 信頼されていないのならば、信頼などできない。そうなればお互いが心を離したままで、上手くいくものも上手くいかなくなるだろう。侯爵家は長い間薄氷の上を歩いていたのではないだろうか。


「まあけれど、ラファエウも王宮での仕事に慣れて落ち着いてきたのだし、少しは違うでしょう。あとは私がお仕事をしっかり覚えることね。お仕事を覚えるのは大変だけれど楽しいわ」

「信用問題になれば反論もできませんが、奥様が全てを覚える必要はないのですよ……?」

「まあ、ベルナール、全てを皆にお願いして私が理解していないなんて、上に立つ者ではないのよ。今の私は働くことすら初めての新人なのだから、学ぶべきことはしっかりと学ばなければ。その理解度が低くては皆に信用されないでしょう?」


 私がそう言うと、ベルナールは少しばかり驚いた顔を見せて、

「奥様が侯爵家に来てくださって、本当に嬉しく思います」

 と顔を綻ばせて歓迎してくれたのだ。


 屋敷内ではお義母様は厳しい方として一辺倒だったのだが、ベルナールがお義母様に対してそこまで反論的ではないのは、領地で離れて仕事をしていたからだろうか。


(色々な人から話を聞かないと、分からないことが多いわね)


 だが、その中で同じ意見が出てくるのが、

「マルレーヌ第二夫人とシャルロット王女殿下……」


 常に隙を狙っているかのような雰囲気を感じて、寒気がしてきそうだ。


 王女は純粋にラファエウに好意を持っているようだが、それが強圧的すぎてラファエウは嫌悪感を持っていた。第二夫人は言うまでもなく、王妃派の侯爵家を取り囲むか潰すかを考えているのだろう。手に入れば御の字か。


 前侯爵が倒れて屋敷内で働く者を上手く誘導し辞めさせるに至ったなら、お義母様は大きな混乱に見舞われただろう。もし気の弱い方であったら、ラファエウと王女殿下との婚約話が出されればすぐに食いついたかもしれない。

 それに関してはお義母様に感謝申し上げたい。王妃派のお義母様は脅しに屈することなく、侯爵家を立て直そうと努力されたのだ。

 ただ、そこに信頼は生まれず、ラファエウは厳しさに寂しさを持ったかもしれないが。


「ラファエウが正直な心根を話せない理由でもあるわね……」


 話すようになって極度の照れ屋だと分かったが、言葉足らずなのは今でも変わらない。問わなければ正直な心根を白状しないこともあるので、こちらも気を付けなければならなかったりする。

 ただ、表情を見るのは慣れてきたので、それを見てからかうのは私の特権だ。


 だが、その性格を誤解されてほしくないとは思う。

 ラファエウは私を連れてパーティに参加するようになり、その時にラファエウの仕事の冷徹ぶりを耳にすることがある。本人にそのつもりはないようだが、言葉少ななせいで冷ややかに聞こえるようだ。

 仲の良い部下たちなどは私たちにほんのり優しい視線を向けるので、信頼している者たちには冷淡と思われていないことに安堵したが。


 そんな中、私たちの不仲説は消えつつあったが、まだその噂は根深かった。

 世間では冷徹と言われたラファエウがどの女性を連れても笑顔を見せなかったのが、私と共にいると驚くほどの笑顔で少々不気味という声も聞こえたが、笑顔くらいでは噂は一掃されない。


 ただそこには、わざと不仲説を流す者がいるようだった。


(王太子殿下は王女が関わっている可能性を示唆していたけれど……。王女にとってみれば私がラファエウと不仲であった方が都合は良いのでしょう)


 だからといって、ラファエウが彼女に靡くとは限らないのに。


「王女の周囲は争いの種が蒔かれている。それを踏み潰せればいいが、踏み潰したら踏み潰したで後々面倒が振り掛かるだろう」


 だから、茶会やパーティは気を付けたほうがいい。

 そう言ったのはミカエル王太子殿下だ。そのため、私の問題は目下、お友達問題なのである。

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