2 玲那

 河瀬玲那、享年十七歳。


 幼い頃から病ばかりで、二十歳までは生きられないだろうと申告されていた。

 学校は、ほとんど行ったことがない。入退院を繰り返してはいたが、義務教育終了後も高校にも通うことはできなかった。二十歳まであと残り二年となる直前、十八歳になることもなく、病院のベッドの上で、息を引き取った。


 のは、覚えている。意識が混濁した中、医師や看護師の顔を見回す余裕もなく、ぼやけた視界は白濁し、一気に暗転した。

 そうして気付いたら、真っ白な空間に転がり、目の前に白髪の男がいたわけである。


「ひどい夢だあ」

 呟きが耳に届いて、玲那はがばりと勢いよく体を起こした。


 今の声は自分の声か。自分にしては、少しだけ低めの声。目に入る両手は、病人らしく日に浴びたことのないような白い手で、しかし、爪は健康的なピンク色をしていた。着ていたベージュ色の袖をめくれば、腕に点滴の跡は一切ない。足をばたつかせて、見える足が自分のものだと確認してから、横たわっていたその場所をぐるりと眺めた。


 飾り気のない、板張りの床や壁。寝転がっていたベッドは一人用で、少々ざらついた肌触りの悪いシーツに、薄い掛け物をしていた。部屋の中にあるのはそのベッドと、手作りのような、やすりがけがあまり施されていないチェスト。かろうじてニスは塗ってあるようだが、表面がぼこぼこのそれ。同じような木で作られた、大きめのつづらのような箱が壁際に一つ置いてある。部屋の中にある三つの窓は開けっぱなしで、ガラス窓ではない、木組みの観音扉が外に開いていた。


 ここはどこ。そう思って立ち上がれば、裸足で踏みつけた床は砂でざらりとした。

「うわ。きたなっ!」


 部屋の中の床ではない。しかし、掃除はしているのか、チェストの上やベッドの上はあまり汚れがない。あまりと言うのは、ところどころに手垢が残っているからだ。しかし、埃の類は見受けられない。

 呆然としつつ、玲那は自分が死んだであろう、後のことを思い出した。


 意識を失った後、男はそこにいた。

 白髪の男性。二十代半ばほどに見えた美しい男は、自らを神の使徒と名乗った。

 そうして、言ったのだ。


「間違いで、別の世界に転生することになりました? そんなバカな」

「いえ、事実でございまして」

「うわっ!!」


 突如目の前に現れたのは、あの白髪の男。

 足元まで隠れた真っ白な服。まるでてるてる坊主のように上から被った服で、足元は見えず、裾がひらひら揺れている。風など入ってきていないのに、床につきそうなほどの長い白髪もゆらりとなびいた。


「出た!!」

「失礼ですね。幽霊などではございませんが」

 怒っているような言い方をするが、表情は変わりない。表情筋を失ったかのような真顔に、無機質さを感じる。よくできた蝋人形のようだ。


「説明が不十分でしたので、ここでお話を。あの場所にいつまでもいらっしゃると、魂が消えてしまいますので、急いで地上に降ろしました。さて、ご気分はいかがでしょうか。お身体に不都合はございますか?」

「不都合は、ないですけれど」


 息切れすることなく起き上がれて、腕の力も足の力も問題なさそうだ。今、自分の顔がどうなっているのかわからないが、肌に触れた感触はざらついておらずすべすべで、唇もかさつきなく潤っている。髪の毛は前に比べて焦茶色だが、こしのある髪だ。健康である証拠だろう。


 汚れた足裏の砂を払って、側に置いてあった履物に足を乗せる。木で作られた踵のない靴だ。走ればすっぽ抜けてしまうサンダルのようだが、足を入れればその硬さに顔をしかめそうになった。しかし靴はこれしかないようで、玲那は仕方なくその靴を履いて立ち上がる。床を見る限り、掃除のしていない家などではなく、靴で部屋まで入る風習があるのだろう。


「別の世界って、言ってましたが」

「あなたの世界とは別の世界ですね。あなたのいた世界とは似て非なるため、あなたの常識が通用しないことがあります」

「はあ」

「神は時に試練を与えるものです。その試練に打ち勝つために、頑張ってください」

「間違ってこの世界に降ろすことになったって、言ってませんでした?」

「あなたは神に選ばれて、この世界に降り立ったのです」

「言ってることが違うんですけど。ちなみに、どこの神様?」

「あなた、無神論者ですか?」

「日本人らしく、困った時の神様頼みで、八百万の神様は可愛くて好きです」

「なんと言うことでしょう! 神を信じないとは!」


 使徒はいきなり崩れ落ちた。よよよ。と泣く真似をするが、力無く項垂れているように見えて、服も髪も床についていないし、無表情のままである。劇場を始めるのは、やめていただきたい。


「お天道様は見ているくらいは、生活に入り込んでますけど。すごく信じてたら、私は死ななかったんでしょうか。祈り続けていれば、死ななかったと言うことでしょうか。幼子とかは、どうするんですか」

「それは、前世の業によるものです」

「じゃあ、前回苦労した私は、今回幸せになれるということで」

「……」

「ちょっと、黙んないでよ」

「あなたは新しい生を与えられたので、これから新しい世界で生きるのです。なに、大丈夫。あなたのメンタルならば、なんとかなるでしょう。では、説明を続けます」


 使徒は泣き真似をやめて、適当に話を変えた。突っ込む気も起きない。

 ふわふわと浮きながら扉を開け、さっさと出ていってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る