007 分水嶺のふたり

第44話 邂逅するふたり。

 管理者の遊び場に向かう予定だったが、ひとちゃんは学級委員の仕事、物朗ものろうくんは千年ウォークの生配信を見たいと言い出して、私ひとり浮いてしまった。

 結果、私はひとり旧校舎の裏庭を歩いている。せめて物朗くんを説得して連れてくればよかったな、と後悔が湧いた。動画の配信なんて、あとで録画をチェックすればよかっただろうに。

 とにかく私は足を止め、空を見上げている。旧校舎の屋上よりもずっと高い場所に、動く人影が見える。スカイブルーの鮮やかなジャージが雲一つない空に溶け込んで、最初、生首が浮かんでいるのかと思った。

 人影は、空中の何もないところを歩いている。透明な足場でも存在するかのように、一歩一歩踏みしめながら足を運んでいる。

 ああ、また管理者か、と私はうんざり思う。最近は不思議なことにも驚かなくなった。管理者ではないけれどチーさんだってしゃべるし飛び跳ねるし、かいは虚空に顔を出すし、ヨスミも非現実的なことを平気でやってのける。

 優雅に空中を歩むその姿は、確かに神々しく見える。だけど、私には単なる厄介者にしか映らなかった。

 やがて人影は、空中でくるりと向きを変えた。一本にまとめた長い髪を揺らしながら、階段を降りるように地上に向かって歩み始める。関わりたくないと思い、その場を離れようとしたが一歩遅かった。頭上から「あなた、だよね」という声が降りかかってくる。

「は?」

 聞き慣れない単語に、無意識に反応してしまった。立ち去るつもりだった私の足が止まる。

「デュアル・ワールド・コグニザント……二重世界認識者。あなたたちのことだよ。略してコグ」

 気づけば声の主は、もう地面のすぐ近くまで降りてきていた。

……のことですか?」

「自覚者? そんな直接的な言い方してるんだ。そんなだから選民意識が生まれて、世界が崩壊しちゃうんだよ」

 目の前の人物が、あきれたように肩をすくめる。地面に降り立った彼女は想像よりかなり小柄で、私より十センチは小さく見える。

「私は管理者オペレーターZ。あなたは?」

 突然の自己紹介に、私は答えを躊躇ちゅうちょしてしまう。警戒心が言葉を遮る。管理者は敵ではないとヨスミは言っていたが、九に巻き込まれて私は死にかけた。目の前のZが安全だという確証は持てない。

「そんなに警戒しなくてもいいよ。私はここの二年生、市島いちじま姫姫ききの姉だよ。妹は今どこにいるかな?」

「市島先輩がどこにいるかは知らないです」

にはいないの?」

 その言葉の意味がわからず、一瞬戸惑う。

「旧校舎の中の教室だよ。そこにいるのかなって」

「もしかして、管理者の遊び場……のことですか?」

 Zは小さくため息をつき、額に手を当てた。妹の安直なネーミングセンスに、あきれているようだった。

「自覚者だの管理者だの、あまり表で口に出さない方がいいんだけどなぁ。姫姫にはきっちり話してたつもりなんだけど、ああいう子だからなぁ」

 Zが同意を求めるように私を見た。天真爛漫てんしんらんまんな妹を持つ姉として、わかり合える部分があるような気がして、思わずうなずきそうになった。常識的な物言いに、警戒心が少し溶けていく。

 あの奇妙な部屋を作った人物だと警戒していたけれど、実は姫姫先輩の趣味が反映されているだけなのかもしれない。

 思えば、最近だってあの部屋には新しい物が増え続けている。キャンプ用のランタンや、用途のわからないアウトドアグッズなど、どれも姫姫先輩らしい趣味の物ばかりだ。

 あそこに今、Zが出入りしているという話は聞いていない。ならば間違いなくあそこにいる誰か、九分九厘、姫姫先輩が飾り続けているに違いない。

 簡単に気を許せる相手ではない、慎重にならなければいけないことはわかっている。それでも、目の前にいる管理者に聞きたいことが次々と浮かんでくる。記憶が混濁したあの日から、ずっと抱えていた疑問。それと――姫姫先輩に対する疑念。

「私の名前は……童子山どうじやまるるです。正直わからないことだらけで……聞きたいことがたくさんあるんですけど」

「るるちゃんか。いい名前だね」

 Zは優しく微笑ほほえんだ。その表情には、不思議なほど偽りがないように見えた。純粋に親しみを込めた、そんな笑顔。

「友達になってくれたら、話せる範囲でなら話してあげるよ。恥ずかしながら、管理者になってから友達って全然作れなくてさ。るるの、臆することなく真っぐこっちを見てくる視線、気に入っちゃったよ」

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