第66話 冬の館

「さすがに、寒いわね」

 航空艇発着所に降り立つと、足元の石畳から冷気を感じ、フィルリーネはぶるりと背筋を震わせた。


 城の建物の外側に張り出した発着所に屋根はあったが、風が入り込んでとても冷える。航空艇の中は暖かかったので、なおさら肌寒さを感じた。


「フィルリーネ様。遠いところを遥々ありがとうございます。ご婚約の儀式を終えられたこと、お喜び申し上げます。ルヴィアーレ様ですね。わたくしは、冬の館を任されております、オマノウラと申します。さ、中にどうぞ。お寒いでしょう」


 迎えに上がったオマノウラは、冬の館のある領土の領主だ。丸坊主で身長が低く、丸い身体で、温かなそうな毛の外套を着ていたが、頭の上がとても寒そうである。首元までがっちりと毛糸のマフラーをしていたが、帽子をかぶった方がいい気がする。


「今年は、フィルリーネ様がいらっしゃると伺って、驚きました。例年、王がいらっしゃっていましたから。ご婚約されたことで、お任せになられたのでしょうね」

「わたくしも驚いたわ。まさか芽吹きの祝いを、わたくしが行うことになるだなんて。それに、ベルロッヒが先に戻ってきたのだから、何事があったのかと思いましたのよ」

「ベルロッヒは、お祝いに上がりたいと、王に連絡を取られていましたから。しかし、許可を得られて、私も驚いた次第です」


 フィルリーネとそう身長の変わらないオマノウラが、目の前で余程祝いたかったのだろうと、呑気なことを言ってくる。オマノウラは事情を知らなかったのかどうか。


 オマノウラは領主であるため、国王が何をしているかは良く分かっている。隣国キグリアヌンとの会合を開く時、同席しているからだ。のほほんとした雰囲気で、長いものに巻かれる性格なので、王は扱いやすいのだろう。小物感が強い。


 冬の館は館といっても城のことで、山脈に囲まれた城と街を総称した。背後に低い山があり、城と山がくっついているような作りになっている。海風が強いため、山の陰に隠れるように作られていた。

 半月の山が城と街を囲み、街はその出入り口を塞ぐように広がっている。


 海はその山の逆側にあり、キグリアヌンの商人は海から船でやってきて、海際の砦で検問を経てから、洞窟を通って城の裏手から街に入った。


「海側の山からは、マリオンネが見えるのですよ」

 オマノウラはルヴィアーレに説明する。

「まだ、芽吹きはありませんので、冬の館でしばらく滞在されるのですから、よろしければ展望台もございますので、ご案内しますよ」


 笑いながら、オマノウラはフィルリーネとルヴィアーレを部屋に案内した。

 部屋が遠かったことに、礼を言いたいね。


 王族の部屋は決まっている。ルヴィアーレは婚約者なので、客間になった。王族の居室からは、少し離れる。

 安心したよ。部屋近くだったら、どうしようかと思った。

 とはいえ、しばらくこの冬の館に滞在しなければならない。聖堂での祈りもこちらで行うので、結局毎朝会う。しかも、フィルリーネもまたここでは貴賓なので、ルヴィアーレと夕食が同じになった。


 苦痛!!


 溜め息しか出ない。おうち帰りたい。

 なんて、相手は何十倍も、そう思っているだろうけれど。


 そもそも、ここに来るのは王だった。儀式を行うため、子供の頃連れてこられはしたけれど、最近ではほとんどない。国の行事として訪れることがなければ、冬の館に来ることはない。

 自分で勝手に、街に来ていただけだ。


 それが、よりによってベルロッヒが王都にいる間に、こちらに移動することになった。入れ替えの兵士も連れてきているが、王の手ではないだろう。

 王は婚約の儀式が終わったのだから、ルヴィアーレと協力して儀式を行えと言ってきたが、ルヴィアーレを王都から出したかったのではないだろうか。


 それに、まだこの冬の館の春の到来は先だ。未だ雪深く、底冷えするほどの気温。春の到来を告げる芽吹きが、いつあると言うのだろう。


「芽吹きの木を見たいわ。今、どんな状態なのかしら」


 芽吹きがなければ儀式が行えない。その基準となる木が、冬の館にある。その木が芽吹くと、祝いの儀式が行われた。普段ならば、芽吹く寸前で王への呼び出しがあるのだが、今回はまだ冬の終わり。春には少し遠い。

 まだ、枯れっ枯れだったら、どうしよう。


「明日、ルヴィアーレ様と確認に行かれたらいかがでしょうか。王からも、ルヴィアーレ様との交流を深めるようにとご命令がありますから」

「あら、そうね。では、明日にしましょう。私は、隣で休むわ」

「承知いたしました」


 レミアに言って、フィルリーネは部屋に入る。

 部屋は二部屋あり、間続きで、引き籠りの部屋は確保している。普通は寝台が置かれ、眠る部屋なのだが、寝台をどかし、くつろぎ空間にした。寝台があると側仕えが起こしに来るので、部屋に入るなとは言えなくなるからだ。


「ルヴィアーレの部屋、今回はまともな部屋にしてもらえたかしら」

 さすがに、この冬の館でも狭いとか汚いとか、そんな部屋は使わせないと思うが、少し気になる。


「何よ。心配なの?」

 急に、にやにや言われても困る。人として、普通に心配になるだろう。王は婚約の儀式が終わっても、ルヴィアーレを、あの日の当たりにくい部屋に放置しているのだから。


「仲いい感じ出したいんなら、部屋の場所変えてもらえるように、王に言ったらいいじゃない」

「それは、無理」

「何でよ」

「婚姻、早めてきそうで、怖いんだよね。精霊関係なく推し進めてきそうで」


 婚姻する前に、部屋をフィルリーネの棟に移動させればいいと言われては困るのだ。

「成る程、それはあり得るわね」

 部屋が近くなるどころか、部屋を同じにでもされたら、ルヴィアーレに恨まれるどころではない。

 そうなると、部屋に関して話すのは危険だった。


 エレディナは、足を組んだ座る姿勢で、天井を見上げた。お尻をこちらに向けるな。

「ちょっと、見てきてあげるわよ。変な部屋だったら、婚約者に変な部屋使わせるなって、あの坊主に言いなさいよ」

 言うなり、エレディナは部屋を出て行く。止める間もなく、素早い。


 婚約の儀式があったせいか、エレディナはルヴィアーレに揺らいでいる気がする。これが、王族の仲間入りをするということなのだろうか。

 精霊が好意を寄せる。魔導が強いルヴィアーレならば、精霊は喜ぶのかもしれない。


 当初の、魔力が強ければ許可を得るのは先になるという話は、なんだったのか問いたくなる。

 王族同士の婚姻の例がないため、話が適当だったのだろうか。謎だ。

 王族同士でなければ、そこまで時間が掛からないのだが。


 グングナルドの王は、精霊を見る力も、声を聞く力も薄い。一匹二匹の精霊がいても、気付かない。精霊の中でも力の強い弱いはあるので、力の弱い精霊なんてなおさらだ。精霊が力を貸そうと王に問い掛けても、答える声がない。これでは、精霊も協力する気がなくなってしまう。


 しかし、ルヴィアーレならば……。


「おう、寒気した」

 部屋の中に暖炉はないが、隣の部屋で暖炉を使用しているので、その熱で暖かい。なのに、なんだろう。背中がぞくぞくする。


 精霊の声を聞き、完全な姿を見ることができるのは、王族だけ。王族になれば、その力を得られる。だが、元々魔導の弱い者が王族となり、マリオンネから力を得ても、それでも、その力は薄い。

 王はその典型だ。元々魔導が弱く、マリオンネの力を得ても、大きな力が得られなかった。


 そして、精霊に祈りを捧げるのは王族と言われているが、実のところ、王が行うことが多い。他の国はどうか知らないが、グングナルドでは王が行う。

 祈っている先で精霊が集まっても、王はほとんど声が聞けないので、祈りが多少届いても、答える声に耳を傾けることができていない。そのせいだろう、王にとって精霊の声は遠く、精霊は生き物もない、道具の扱いだ。


 だがもしも、本当にルヴィアーレと婚姻することになれば、王への精霊の信頼など簡単に揺らいで、ルヴィアーレに傾くのではないだろうか。自分は今動いてはいないが、ルヴィアーレがその気で動けば、精霊を率いることは可能な気がする。

 本来精霊は王に従いやすいが、王の力がその程度だ。だとしたら、ルヴィアーレにつく可能性が高い。


「ルヴィアーレが、それ狙ってたら、やだな」

 いや、婚姻を延ばしたい雰囲気はあるのだから、自分と同じく婚約破棄を狙っていると思いたい。


 もし、婚姻した場合、その後、離婚するには、実は決められたルールがある。

 王族の婚約も婚姻も、精霊が関わる。そのため、婚約や婚姻の契約の破棄を行うことになるのだが、その場合、行えるのは本来の王族だけなのだ。つまり、フィルリーネのみが行え、ルヴィアーレからの破棄ができない。


 理由は定かではないが、王族となり、精霊に関われる力を得たのに、それを放棄することが精霊から許されないからかもしれない。

 だからこそ、ルヴィアーレは婚姻を避けたいはずなのだ。


 だがしかし、グングナルド王がラータニアを狙うことを阻止するため、ルヴィアーレがグングナルドを制する気で婚姻を決意したとしたら。

 そのために、愛する姪を置いてまで、グングナルドに来たとしたら?


「ルヴィアーレと戦いになるのは、面倒だわ」

 王がラータニアの人間の出入りを規制する。その理由が、ルヴィアーレが自由に動くことを、抑制するためだとしたら。


「うわ。めんどくさっ!」

 これはダメだ。ルヴィアーレにはさっさと帰っていただこう。危険すぎる。なんだかあり得る気がしてきた。あの男が下手に出ている時点で、あり得る。

 もう、絶対、暗躍向いてるもん。


「さっさと帰ってもらわないと、私も危うくなるわ」

 敵にはしたくない、そう思いながら、エレディナが帰ってくるのを待った。

 




「まるで、外にいるようですね」

「ここには、山の植物が、そのまま中庭にあるのですわ。植物は、元々ここにあったものだと聞いています」


 芽吹きの木を見に行くのに、ルヴィアーレと一緒。なのは仕方ない。仕方ない。と自分に言い聞かせて、フィルリーネは聖堂の祈りの後、ルヴィアーレと共に芽吹きの木が植えられている庭園に来ていた。

 城と山の接続部分。天井高のある広間に岩肌が見える場所がある。そこは中庭のようになっており、二階から臨める外廊下があるので、フィルリーネはルヴィアーレをそこに連れた。


 イアーナが、またキョロキョロしている。あの子の落ち着きのなさは、どうにもならなそうだ。かくいう自分も、初めてここに来た時は、階下の庭園を走り回って、当時の乳母たちを疲労困憊にさせたわけだが。時効だね。


 階下に植物が植わっており、その植物たちは青々と茂っている。植物園と違って自然の木だが、温室のようになっているので鬱蒼としている。


 外廊下を歩きながら、フィルリーネは前に見える、赤茶けた岩のある場所まで歩く。外廊下はここで終わり、その岩陰から、ひんやりとした冷気が運ばれてきた。天井が開いているせいで、風の通りが強いのだ。

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