第18話 反乱2

「お仕事をもらいにきましたのよ。わたくしが行うお仕事はありまして?」


 フィルリーネの言葉に、皆がぼかんと口を開けた。

 そんな空気も読まないフィルリーネは、するりとスカートをなびかせて歩き始める。部屋は仕事机と書類で溢れ、歩く隙間が少ない。王女が訪れるような部屋ではないため、装飾の薄い事務的な部屋だ。


「まあ、汚らしいお部屋ね。このような汚らしい部屋で、よくお仕事ができますこと。一度お部屋をお掃除された方がよろしくてよ?」

 わざとらしく口元に手をやって驚きを表すと、フィルリーネは再び歩き始める。後ろからカノイがこそこそとフィルリーネ様、こちらへ。と誘導しようとしたが、それを聞くわけがない。


 ぴたり、と止まった先は書類の束が入った棚だ。皆がさっと顔色を変えた。特に一番汚い場所で、フィルリーネの目に止まってしまったと恐れたのだろう。けれど、目的はそこではない。その近くにいたのはイカラジャだ。周囲は何を言ってくるのか、半分怯え半分呆れていたけれど、イカラジャは違う。

 目に怒りを携えて、それを拳の中でなんとか我慢していた。


 王の所業だけでも我慢できないのに、馬鹿なことばかり口にする王女が存在する。それはもう、故郷の人々を考えれば、許すことはできないだろう。


「ひどい有様ね。なんて所で働いていらっしゃるの? これでまともな仕事ができて? 一度綺麗にするために外へ出したらいかがかしら。大掃除を行った方がいいですわよ? 汚い字ね。これで読むことができるだなんて、皆様優秀ですこと」


 カノイがあわあわと口を開け閉めしている。だがこの程度、放っておけば飽きて帰るかもしれない王女だ。我慢すれば嵐が過ぎるごとく凪いですぐ消えると思うだろう。

 だが残念。悪いが、今日は出ていかないよ。


「あら、これは途中のお仕事? こちらはまだ進めていないのかしら。カノイ、こちら、わたくしが持っていくわ」

「ふぃるり、」

「いい加減にされたらどうか」


 がたり、と立ち上がったのは中背のイカラジャだ。立ち上がってもフィルリーネより少し大きいくらい。しかし体格は横に広く、文官の割に恰幅がいい。貴族の嗜みとして剣は持つだろうが、地方出身なので魔獣をよく相手にしてきたのかもしれない。年は四十代半ばだが、机の上に乗っていた手は随分と日に焼けて皺だらけだった。


「何か、仰って?」

「先ほどから聞いていれば、王女でありながら公務の邪魔をして、一体何がしたいのか。王女ともあろう方が、嘆かわしい。ハルディオラ様の元で学んでおきながら、なぜそのような脳のない者に」


 周囲がざわりと波だった。

 ああ、叔父様を慕っていた者か。だから王の悪行を確信しているのか。


「叔父様の元で学ぶ? 覚えのないことね。あなた、名前は何と言って?」

「覚えていただかなくて結構です。どうせ覚えられまい」


 イカラジャは激昂して気色ばむ。

 ハルディオラとは、殺されたフィルリーネの叔父だ。彼は王の所業を憂いていた。周囲もまたハルディオラの動きに共感していた。その叔父に育てられれば、王女は王から離反すると考えただろう。誰もがそれを期待していた。


 けれど、ハルディオラは死に、フィルリーネは王の娘に戻った。


「覚える気もなくてよ。王族への口の利き方を知らぬ者に、名乗る名などないでしょう」

 剣呑とした空気の中、廊下がざわめき、騎士たちが集まってくる。中央政務室を警備しているのは王騎士団だ。騒ぎがあれば、すぐに駆けつけてくる。


「一体、何が」

「アシュタル様、今、イカラジャ様が」

 ぼそぼそと話される言葉が聞こえてくると、政務の皆がイカラジャに同情の視線を向けた。奥歯を噛み締めているのが分かるだろう。騎士たちが集まり、これで彼も終わりだと残念そうに目を背ける。


「フィルリーネ様、どうぞこちらに」

「その男、王族への態度を知らなくてよ。厳重に処しなさい」

 アシュタルに言い放つと、フィルリーネは踵を返す。


「イカラジャ様。どうぞこちらへ」

 アシュタルはフィルリーネが背を向けたのを見て、彼を連れていくだろう。処置の前に話を聞いて、報告する義務がある。その後の罷免程度で済むだろうか。


 反乱の話は王の耳に入っているのか。アシュタルが得られた情報を、そこだけに留められたらいい。しかし気付かれていたら、これを機に潰しに来るか、それとも傍観し魔獣が襲いに行くか。


 何もなければ、助けられる。

 では、何かあれば?


 フィルリーネは拳を握った。怒りで周りが見えないくらい真っ赤な顔をして、移動式魔法陣も使わず、歩き続ける。


 自分は無力だ。どうやったら、これを終わらせられるのだろうか。





「このようなことで、罷免とは」

「イカラジャ様、お怒りはもっともですが」

「君はいつまであの王女の言う通りにしているのか。思うところはあるのだろう!」

「声が、大きいですよ」


 アシュタルとピノリアッタは他に人のいない王騎士団の調査室で、椅子に座ったイカラジャの怒りを耳にしていた。

 イカラジャは拘束されたまま拳を握った。政務官である印の上着は奪われ、チュニック姿だ。震えているのは寒いわけではないだろう。


「ピノリアッタ、悪いが、少し出ていてくれるか」

 王女に関しては思うところがある。しかし、本心を王騎士団に聞かせるわけにはいかない。そんな言葉で頼むと、ピノリアッタは分かったように頷き、少しだけだぞ、と部屋を出て行った。

 扉の前にいるだろうが、大声でなければ声は聞こえない。


「イカラジャ様。お声は静かにお願いいたします。これは、さるお方よりの恩赦です」

「さるお方?」

「王への襲撃は無謀。故郷の状況は確認し改善する。これが伝言です」


 イカルジャは大きく眉を寄せた。一体誰が、と言う声は声になっていない。

 その声にアシュタルは答えない。


「一つだけ疑問があると。どうやって襲撃するつもりだったのか」

「……なぜ」

 知られていたことに驚いたのか、イカラジャは握っていた拳をさらに強く握った。


「さるお方はご存知です。我々も情報網があります。どうされる気だったのか。回廊で襲うのには無理があると」

 問うて簡単に口を割るわけがない。しかし、アシュタルはポケットに仕舞っていた小さな花びらを取り出した。

「これを継承された方からです」


 紫色の、小さな花びら。イカラジャはそれを見て、わなわなと震えた。見れば分かると言ったフィルリーネの言う通り、イカラジャはジワリと瞳を潤わせた。


「……馬鹿な娘だった」

「そうですね。私もそう思っていましたよ。ですが、違いました。彼の方は幼い頃から一人で戦っていらっしゃった。今もそうです。あなただけでなく、他の者たちも動かすことになりますが、今は我慢してください。これが最善だと、彼の方は決断された」


 イカラジャは瞼を下ろすとぎゅっと瞑った。計画は筒抜けだ。王が知っている可能性もある。一人の罷免だけで他の者たちが罰せられなければ、フィルリーネは安堵するだろう。


「あの回廊には罠があり、それを逆に利用すれば、破壊が可能だと聞いた」

「誰からですか」

「魔導院の者だ。信頼のおける」

 名までは言わぬと、口を閉じる。アシュタルは大きく息を吐いた。フィルリーネが憂いていたことがあるのだ。


「あの回廊の破壊は、不可能だそうです。おそらくその話自体、罠だったと」

「馬鹿な!?」

「お声は静かに」


 フィルリーネは回廊を確認しているのだ。わざわざ本人が、隠れてまで王の近くの危険な場所を確認した。回廊を渡っているだけでは分からないため、外からの確認が必要だった。罠を仕掛けられている場合、中から見ても分からないだろうと。


「攻撃があった場合、反射の攻撃や全体に防御が強化される魔法陣、追跡や毒など、回廊によって多種類の罠があると。その魔導院の人間は誰ですか」


「……モルダウン。同じ故郷の者だ」


 イカラジャは、力なく項垂れた。

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