龍神の加護と迎日の花畑

青居月祈

Day.1『夕涼み』

 ――日本の夏は、もっと涼しかった。


 どの妖怪もそう口を揃える。

 一昔前は、夏の夕暮れ時は風が吹けば涼しく、窓や戸を開けて涼風を家の中に迎え入れ、浴衣をまとって縁側えんがわで夕涼みをしながらくつろぐのが一般的だった。そっと吹いた夕風が風鈴を鳴らし、その可愛らしい音色が、感じられる涼しさをいっそう増す。


 しかし今はどうだ。 

 気温は年々上昇していき、文明の利器りきなしでは夏を乗り越えられないまでに鳴ってしまっている。部屋は閉め切られ、自然の風ではなく冷房でキンキンに冷やされている。夜も寝苦しく『熱帯夜』という単語が日常化している。



 古風でレトロな駄菓子屋。その軒先に吊されてあった、金魚の柄をした風鈴が、ちりんちりん、と頼りない音を立てた。憂さ晴らしにと、店主の青年が水うちわで扇いだのだ。けれどまったく涼しくならない。


「ふむ……風鈴の音を聞いても涼しく感じないとはな」


 店主の青年、辻さんが困ったように首を傾げた。


「すまんな、ちっとも涼しくならんで」

「いえ、大丈夫です。アイス、ごちそうさまです」


 駄菓子屋の前に設置してあるベンチに座った葵はお礼を言った。暑い中、学校から帰ってくる葵たちを見かねて、辻さんがアイスを一本ずつ奢ってくれたのだ。


 同じくアイスを食べていた蒼寿郎が、憎たらしげに空を見上げた。


「都会の夏ってこんなに暑いのか? 山にいるときはこんなに暑くなかった」


 重たそうな前髪を掻き上げながら言う彼は、徳島辺りの山の中で、化け狸たちに育てられた。人里に降りてきたばかりで、山意外で夏を過ごすのは、今年が初めてらしい。


「はて、俺は人の世に疎くてね。小豆あずき童女わらわめはどう思う」

「そうですねぇ。確かに小さい頃は、町中でも夕方は過ごしやすかったかもしれないです」


 小さい頃を思い出すと、夕方になってから庭や外で遊ぶことが多かった気がする。昼間に出かけても、水分を取って、帽子を被れば問題はなかった。ここ数年が異常なのだ。


「それに、実家の近くに大きな川が流れていて、それで涼しかったのもありますね。たまに水遊びに行ってました」


 あぁ、と辻さんが納得したように声を漏らした。河童とかに遭わなかったか? と蒼寿郎が訊いてくる。


「遭ったことはないかな」


 河童は水辺の妖怪の代表とも言われていて、『遠野物語』だったり、その他の書物にも記されている。水辺にいる人間の足を捕まえて、川に引きずり込むとか。


 そんな話をしていると、葵の座るベンチの隣から、軽快な声がした。


「店主さーん、アイス一ついいかい?」


 いつの間に来たのか、人のいい笑顔を浮かべた背の高い青年が、ちょんちょんとアイスボックスを指していた。

 白シャツにジーンズとラフな格好で、足下は裸足で下駄を肩まである黒髪を、うなじの辺りで一つに括っていて、黄色と水色のイヤリングカラーを入れた髪が、耳の辺りを覆っている。


「一つなら持っていって構わないよ。今日は暑いからね」


 辻さんは日陰で水うちわを扇ぎながら、もうなにもかもめんどくさくなったのだろうか、どうぞ、と手をひらりと振った。


「いやいや。暑いからこそきちんとお代は払わせて」


 青年はジーンズの後ろポケットから小銭を出して、はいっ、と辻さんの手に乗せる。そしてソーダ味のアイスキャンディーを選ぶと、それじゃあね、と子どものような満面の笑みを広げて、手を振って去って行った。


「あやつ、あやかしだな」


 青年が去って行った方を眺めてから、ぼそりと辻さんがこぼして暖簾のれんをくぐる。


「そうなんですか?」

「まぁ。悪意は感じられんかった。おおかた人好きで都会に来たという感じだろうな」


「また会えますかね」

「そうだな。あの様子なら、またふらりと現れるだろう」


 アイスを平らげた蒼寿郎が「あ」と声を上げた。


「当たった」

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