父と娘の距離感

帆尊歩

第1話 十年ぶりの父と娘

その夜、珍しく娘の砂羽から電話があった。

いや珍しいなんてものでは無い、初めてじゃないか。

と言うより良くこの番号を知っていたなと思うくらいだ。

「砂羽です。わかりますか」

「ああ、随分会っていないから、声が分からなかったよ」半分は嫌みだ。

「すみません。そういう反応は当然だと思います」敬語かよ、と思ったがまあどうでもいい。


娘の砂羽とは最悪の別れ方をした。

妻の美智と離婚して十年。

砂羽も二十五歳くらいのはずだ。

一番多感なころに、美智と離婚、砂羽はそのまま美智について行った。

ま、その方がせいせいする。

一番父親が嫌なときに別れたから、当然こちらになんて来なかったし、たとえ来ると言っても、俺が拒否したと思う。

砂羽と俺はとことん反目し合った。

俺の物と一緒の洗濯は嫌。

俺の後の風呂は汚くて嫌。

じゃあ先に入って良いよ、と言えば、自分の入った後の湯に俺が入るのも嫌と来た。

この年頃の父親が嫌いという状態が砂羽はあまりに度が過ぎた感じがあるので、上司に相談したこともある。

「二十歳過ぎると収まるよ。うちの娘も、あの時はどうかしていたわ、なんて悪びれもなく言ってくるからな、気にするなよ」と言われた。

ところが一番ひどい時に離婚してしまったので、俺のなかで砂羽と言えば、娘のかわいさはどこやら、生意気で、どうしても許すことの出来ない、娘という状況だ。

本来は大人になるにつれ、それが緩和される。

でもその時には、離婚して全く接触がなくなった。

だから砂羽のイメージは最悪で、全く会いたいとも思わなかった。

むしろ会えばあの頃の怒りが再燃して冷静でいられないのではと、思うほどだった。

俺の中では砂羽はこの十年間、嫌悪と怒りの対象でしかなかった。

だから今すぐにでも電話を切りたかったが、敬語をつかって来たので少しだけ話を聴いてしまった。

「養育費とかは払い終わっているんだ。これ以上俺をイライラさせないでくれ。お前の声を聞いているだけでムカつくんだよ、切るぞ」ここまで言えば昔の砂羽なら、売り言葉に買い言葉だ。

「待って。お怒りはごもっともです。でもちょっとだけ、ちょっとだけで良いんです。

話を聞いてください」敬語の上、なんかしおらしい言葉に、怒りの矛が一瞬鈍った。

「今更話すことなんかないよ。養育費だって終わっているんだ、これ以上何かをする義理もつもりもない、お前の声を聞くだけでムカつくんだよ、もう掛けてくるな」

「待って、私、私、結婚するんです」

「だから何だよ、知らないよ。お前は俺の5メートル以内に近づきたくないんだろ。

汚くて下品で、俺の事なんか恥ずかしくて誰にも紹介できないんだろ」

「それについては謝ります。いくら子供だったとは言え、ひどいことを言っていたなというのは分かります。あれから少しは私もかわりました。一緒に暮らしていないから、その辺も分からないと思うので、お怒りは最もだと思います」

「そうだな。俺は、お前のことなんか、あの頃からずっと大嫌いだ」

「許してもらおうなんて思っていません、でも後悔はしています。

彼にそのことを言うと、たとえ許してくれなくても、報告はするべきだと言われました。

だから、

結婚式に出席して欲しいとは言いません。もちろん出席して欲しいけど。

許してくれとも言いません。もちろん許して欲しいけど。

でも謝る事だけはさせてほしいです」

「なんだよそれ」

「ママに引きずられたとは思いたくありませんが、それはあったかもしれません。

でもこれまで育ててくれて、今までだって高校や大学のお金を出してもらいました」

「美智は電話を掛けていることを知っているのか」

「はい。ママは離婚は自分が言い出したことだから、パパを意識の外に置きたかった。でもそれはママとパパの間のこと。もし私がパパの事を嫌いだとか、近寄りたくないと思うなら。それは自分のせいだと謝ってくれました」

確かに大人げないと言う気もする、十六、七なんて子供だ。

子供が何をわめこうがその事で子供を本気で嫌ってどうする。

その後、そういうことが収まる過程で、砂羽とは接触がなかったのは不幸だし、もし美智と離婚していなければ、砂羽とも普通の親子になれていたのかもしれない。

「あの待ち合わせの階段で、明日午後八時から九時まで待っています。もし来られなければ、明後日の八時から九時まで待っています。それでも来られなければ、明明後日、待ち合わせの階段で待っています」


電話を切って考えた。

これは俺が行くまで毎日待つもりらしい。

だいたい、待ち合わせの階段って、初めて俺が美智とデートをしたときの集合場所だ。

俺の携帯の番号を砂羽が知っているのもおかしい。

裏に美智がいる。

自分は会わなくても、娘には父親と和解して欲しいということか。

さて俺は、あの待ち合わせの階段に行くべきなのか。行かないべきなのか。

これは思案のしどころだ。

さてどうしたらいい。

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