第010話 気の毒に……


 昼食を食べ終え、午後からの仕事となった。

 エーリカは3階に行き、納品する物の確認に行ってしまったので俺はヘレンと一緒に広いフロアをぼーっと見渡している。


「暇な職場だな」

「そうですねー。でも、ゆっくりできて良いんじゃないですか? ジーク様は働きすぎでしたから」


 ゆっくりしすぎるんだよなー……

 これが左遷か……


「このまま老いて死んでいくのかね?」

「まだ20代前半で何を言っているんですか。確かに給料は落ちましたし、出世も微妙かもしれませんが、激務ではないですし、プライベートを大事にできますよ。考え方次第です」


 そのプライベートが充実していないんだが?

 何やるんだよ。


「やりがいがねーなー……」

「ハァ……だったらエーリカさんに指導でもしたらどうですか?」


 指導か……

 エーリカはやる気も才能もあるだろうから指導したら伸びるだろうな。


「俺が指導をできるか? 同僚にも受付にも嫌われた男だぞ」

「変わりましょう。それにエーリカさんはおおらかで優しい方なので多少の暴言もスルーしてくれます」


 確かにエーリカは終始、笑顔だし、俺が何かひどいことを言ってもスルーだ。


「あいつは光の者なんだろう」

「奥さんにどうです?」

「それはあいつが可哀想だろ」


 自分で言うのもなんだが、こんな旦那は絶対に嫌だ。


「そういうのは相性ですよ……おや、エーリカさんが戻ってきましたよ」


 ヘレンが言うようにエーリカが階段から降り、こちらに向かってきていた。


「どうだ?」


 エーリカが隣に座ったので聞いてみる。


「はい。ちゃんと指定の数が揃っていますし、品質も大丈夫そうです。先程、電話したら明日に持ってきてくれとのことでしたので、明日の午前中に納品してきます」

「俺も行こう。案内してくれ」


 どうせここにいてもやることないし。


「わかりました。お願いします」

「ああ……で? 今日のこの後は?」

「やることないですね……」


 だよな?


「本でも読むかな……」

「あ、私は勉強します」


 エーリカはそう言うと、カバンから本やノートを取り出した。


「勉強? 錬金術のか?」

「はい。来月に9級を受けようと思っているんです」


 国家錬金術師の資格試験は年に4回開かれる。

 試験内容は筆記と実技だ。


「受かりそうか?」

「筆記、実技共にギリギリのラインかと……」


 ふーん……ここはめちゃくちゃ言葉を選ばないといけないところだ。

 なお、今までの俺なら『あんなもん、勉強しなくても受かるだろ』だ。

 絶対にダメなのは今の俺ならわかる。


「ま、まあ、落ちてもまたチャンスはある。気楽にやれよ」


 そう励ますとチラッとヘレンを見る。


「大丈夫です。というか、勉強を見てあげたらどうですか?」

「俺が? 無理じゃないか?」


 世界で一番教師に向いてなくない?

 自分で言うのもなんだが、モチベーションを下げることしか言わんぞ。


「優しく、そして、子供に教えるつもりでやってください」

「その言い方はエーリカに失礼では?」


 20歳の大人を捕まえて子供って……


「それくらいの気持ちでちょうどいいと思いますよ。ジーク様、『なんでこんなもんもわからないんだ?』って言いそうですもん」


 すでに同じようなことを思っているね……


「エ、エーリカ、勉強を見てやろうか?」


 断れー、断れー。

 たった一人の同僚に嫌われたくないし、対人初心者キャラのエーリカに嫌われたら多分、俺の心は折れる。


「え? いいんですかぁ?」


 エーリカが満面の笑みになった。

 どうやら俺の祈りは通じなかったようだ。


「ああ……」

「ありがとうございます!」


 仕方がない……やるか。


「えーっと、どこか苦手なところはあるか?」

「この錬金反応のところと触媒のところが……」


 エーリカが本を開いて見せてきたので昔、授業で先生から聞いた時のことや師匠に習った時を思い出しながら教えていく。

 なるべく言葉を選び、エーリカは小学生なんだという気持ちで丁寧かつ、慎重に説明していった。

 そうこうしていると、時刻は5時を回りだした。

 その間、実に55回ほど『なんでこんなもんもわからないんだ?』と思ったが、けっして口に出さなかった。


「――おーい……って何してんだ?」


 声が聞こえたので顔を上げると、支部長が2階に上がってきていた。


「あ、支部長。ジークさんが勉強を見てくださっているんです」


 エーリカが答える。


「ふーん……それは良いことだな。でも、その辺にしとけ。歓迎会に行くぞ」


 ん?


「歓迎会って?」


 こちらにやってきた支部長に聞く。


「いや、お前がここに赴任して初日だし、お前の歓迎会だよ」


 あー……人生で一度も出たことがないやつだ。


「それ、出ないといけないんですか?」

「は? お前は何を言っているんだ?」


 出たくねー……


「ジーク様、歓迎会を断るのはダメです。絶対に出席です」


 ヘレンが諫めてくる。


「なんで?」

「悲しきモンスター……これから一緒に働くための親睦会ですよ? 出ない人の方が少ないです」


 それはわかっているが……


「俺、一発芸はできんぞ?」


 俺が歓迎会に出ないのは生前の会社であった慣習のせいだ。

 新入社員は出し物をしないといけないという意味不明なことを言われたから丁重に断ったのだ。

 それ以来、まったく出ていないし、今世でも本部の歓迎会に出ていない。


「一発芸なんかしなくてもいいですよ。ジーク様の一発芸なんて絶対に面白くないじゃないですか」

「それでも強要してくるのが上司だ。俺がスベッているのを笑うんだよ。特に支部長を見ろ。軍人だぞ。軍人っていうのはパワハラ、セクハラ上等なんだ」


 体育会系みたいなもんだろ。


「こいつとこの猫との会話は何だ? すごい誹謗中傷なんだが……」

「しっ、会議中らしいです。ジークさんの人間力を上げる訓練中らしいんですよ」

「そうか……悲しい奴だな」


 また悲しいって言われた……


「ジーク様、行きましょう。軍人とはいえ、支部長さんは貴族ですよ」

「まあ……」

「適当に一次会で帰ればいいんです。幸い、エーリカさんがいますし、送っていくってことで二次会を拒否すればいいんですよ」


 なるほど。


「いや、二次会なんてないぞ。そもそも俺は酒を飲まんし」

「私も飲みませんね」


 エーリカはともかく、支部長は意外にも下戸らしい。


「ほら、こう言ってますし」

「そうか……じゃあ、行くか」


 しゃーない。


「会議が終わったようです」

「そのようだな……毎回、これか?」

「そんな感じですね」

「エーリカ、温かい目で見守ってやれ」


 支部長が可哀想な人を見る目で俺を見てきた。

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