第16話 広げる傷

 イドの家へと着く。

 いいとは言ったものの、やはりこちらが先だ。


「ジェミニ様。少し用事を済ませてから向かいます」

〈なんだね。ベスタの手伝いかい?〉

「ええ。少し待っていてください」


 イドの部屋へと入る。

 今日はささっと話して帰ってしまおう。

 部屋に入ると、イドはベッドで横になっていた。


「おはようございます。……あ、今日は体調悪そうですね。また明日来ます」

「フィルくんおはよう。……たい──」


 言いかけているイドを背に家から出てガチャっと鍵をかけた。

 ジェミニ様はこちらを見て首を傾げる。


〈キミのは、随分と特殊な手伝いだね〉

「ベスタ様からイドさんの社会復帰を頼まれているんですよ。最低限、挨拶くらいはしないと」

〈へえ。ま、ワシとの用事優先ってコトで考えとくかな。コギトくんとは会った?〉


 む、あの人って神殿内では割と有名だったのだろうか。


「白い龍のような外見の方ですね。会いましたよ」

〈アハハ、ベスタは言っていないんだねえ。信者……あ、信獣相手にはね、男性はコギトという仮の名で、女性はイドという仮の名で呼ぶようにしてるんだよ〉

「え……ではパルサも?」


 ジェミニ様は目を瞑って俯く。


〈それは本名だろうね〉

「仮の名で呼ぶ意味ってあるんでしょうか?」

〈あるよ。確か、プライバシー保護のためだね〉


 そうだったのか。

 変わった名前だとは思っていたが、全く気付かなかった。


 アパートから出て、二人で路地を歩く。

 ここからおれの働いていたファミレスまでは、一時間歩かないと着かない……。


「そういえば、ベスタやジェミニ様にも本名があるんでしょうか?」

〈ワシのは記録が残っていないね。ベスタのは……確か有ったなあ〉


 ベスタの本来の名前……少し気になるものの、産まれるときに名付けた親たちは死ぬんだから複雑だよな。


〈姓はスノーラインで、名前の由来は一緒に探したなあ。いやはや、思い出深いねえ〉


 スノーライン……ふむ。

 スノーラインか。


「ついでにベスタの名前も教えてください」

〈それは本人に聞いたらどうだい? ワシは名付け親じゃないしさ、勝手に言うとベスタをまた怒らせる。次は絶縁になってしまうかもねえ〉

「そんなに、おれに知られたくないような名前なんでしょうか?」


 ジェミニ様は誤魔化すように笑うと、おれを抱き上げて走り始める。


〈お腹空いてきちゃったし急ごう〉

「抱くのはやめてくださいよ。ベスタだって怒りますよ」

〈いいんだよ、これくらい。道案内頼むよ〉


 ジェミニ様のこと、苦手かもしれない。

 そして、ベスタはおれに本名を知られたくない……いいや、本人に聞くよう言っていたから聞けば答えてくれるか。




 おれの働いていたファミレスに着く。

 ついこないだまで通っていた場所なのに……変な感覚だ。


「いらっしゃいませー。何名様でしょう?」

「二人です」

「かしこまりー。奥のテーブル席へどーぞ」


 イヌ種の後輩……だったヤツが案内する。

 おれのことには気付いていないらしい。

 まあ積極的には会話してないし、覚えていなくても仕方ないか。


 席に着くと、後輩がテーブル席へと来た。


「ヒヒッ。先輩、来てくれたんっすね! 神殿ってどうですか? 休日がない人もいるって噂ですけど」

「そのこと知ってるのか。まだ来て数日だし分からないけど、契約書だと週5勤務だったよ。まあ元気には過ごしてる。そっちは調子どう?」

「新しい子に教えるの難しいっす。フィルさん抜けたのもあって、忙しいっすよ」


 ——ガシャアアン


 今まで聞いたことのない轟音だ。

 皿が複数枚、洗浄機の手前で割れたらしい。


「あああ……すみません! お騒がせしております! 少しでも目を離すとああなんですよ。ちょっと片付けてくるっす!」


 イヌ後輩はこちらへお冷を二つ渡すと、その新人の元へ駆けていった。


 ——何やってんすか! あっ、触っちゃダメっす! 手の中に入ると一生残るっすよ!


 本当に忙しそうだ。

 ジェミニ様は構わず、メニュー表を眺めている。


〈外食って初めてなんだよねえ。どれにしよっかな〉

「意外ですね」

〈ワシら神類はテレパス使うとまず驚かれるんだよね。だから一人で出掛けるってのはあまりない。……島から離れる訳にもいかないし、なかなか機会がなくてね〉


 ベスタもそうなのだろう。

 おれに構ってばかりではいるが、遊んでいるところを見たことがない。

 まあおれも、都市へ越してきてから遊んでないけど。


〈今、ベスタのこと考えていたかい?〉

「考えてませんよ」

〈またまた〜」


 何だか顔が熱くなってきた。

 揶揄わないでもらいたい。


「ジェミニ様。注文があれば代わりに言いますよ」

〈おお、気が効くねえ〉


 ——ああっ、それはこう持たないと危ないっす! そうっす、そうやるっす! あ、5番テーブルはそっちじゃなくてあっちっす!


 イヌ後輩は、まだ騒がしくしてる。

 あそこまで手のかかる相手というのも、珍しいものだ。

 おれが苦手だと思いながらやっていたのは何だったのか……。


〈これがファミレスなんだね。もう少し大人しい雰囲気だと思っていたけど、実物は賑やかなんだねえ〉

「働く人や客によると思います」

〈それもそうだろう。しかし、歴史の積み重ねと共に物事はある程度定まってゆくものだよ。ワシはどのファミレスにも、共通点はあるはずだと思う。肝心なのは利用する民衆がどう定めていくかさ〉


 何の話だろう。

 今回のは意味深というより突飛で、もはや考えるつもりにさえならない。


 鉄板に乗ったハンバーグ、添えのブロッコリーとパラパラのトウモロコシ。

 小さく深めの器に入ったオニオンソース。

 注文した料理が届き、ジェミニ様は目をキラキラとさせる。


〈こういう感じか! うわあ、実にうまそうだ〉

「鉄板熱いので、触らないようにしてくださいね」

〈ああ!〉


 ご飯やスープはなくて良かったのだろうか。

 と、おれの分が来た。

 期間限定&数量限定B4牛スペシャルステーキ。

 うちの系列店だと、こういう期間限定品は食べ得だ。

 特に肉類は同種の動物を食うなという運動が激化した時、一部で流通しなくなる。

 そういった運動の際、大きく出るのがうちの系列店なのだ。


〈あ……フィルくんのおいしそうだね〉

「食べたいんですか?」


 ジェミニ様が口を開ける。

 前歯…‥メイド長と同じで大きめだ。

 今日はよく他人の口へ食べ物を運ぶな。


 と、ご飯もコーンポタージュも、自分で食べる分がなくなってしまった。


〈いやはや、他人の頼んだものを食べる。これぞ複数人で食べに行く醍醐味だねえ!〉

「そっち貰いますね」

〈あーんしたげようか?〉


 おれが首を横に捻ると、ジェミニ様は残念そうにハンバーグを口へ運ぶ。

 え、食べるのか。

 ベルのボタンを押し、店員を呼ぶ。

 ……この注意散漫な感じは新人だろう。

 短い茶色の体毛でボブカット。

 シカ種らしき特徴的なツノと体の斑点。

 慌てた様子で彼女はハンディターミナルを取り出す。


「はい、ご注文の方取らさせていただきます」

「この期間限定ステーキください」

「はい。そちらはご好評につき、先ほど完売致しました」


 そうか……なんと運がないのだろう。

 でもまあ、神殿ほどの料理は出てこないだろうし。

 しばらく食べていないものでも頼むか。


「じゃあ焼肉定食と季節のアイスクリームを二つ」

「はい、焼肉……定食……と。季節のアイスクリームをお二つ。定食には何をお付けしますか?」

「ごはんと、スープはコーンポタージュでお願いします」


 新人のシカは目線を揺らしながらハンディターミナルを眺め、入力を終えた。


「かしこまりました。出来上がりまでこのままでお待ち下さいませ」


 そうしてこちらへ笑顔を向けた。

 注文の確認も取らずに、大丈夫だろうか。

 ……おれより仕事はできてないようだけど、新人だからある程度は当然だ。

 それより、おれにはやってこれなかった笑顔をやれてる。

 ただ眩しく、とても遠くの存在に思える。


 会計を終えると、イヌ後輩が外まで付いてきた。

 今まで会話してこなかったんだから、放っといてくれたらいいのに。


「フィルさん。いつでもウチの店に戻ってきてくれと店長言ってたっすよ」

「多分もう戻らないよ。そういや、名前なんだっけ」

「トレイトっす! トレイト・ボリソフ! 良かったら連絡くださいっす!」


 嫌味のつもりで言ったのに、随分と嬉しそうだ。

 胸が痛い……。

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