tp14 足取り探し二日目⑦ ――Is he morning snack?――

「笙真君を、どうする気!?」


 結われていない鮮やかな髪が、風に煽られてぶわりと広がった。

 ボタンまでは掛ける余裕がなかったから、前がはだけたままになっていたブラウスの身頃にも風が入りこみ、余計にはしたない有様になる。

 そんなことにはお構いもせず、お嬢様は、荷台の縁を抑えている俺の右手と反対の腕を伸ばした。

 すごく必死な気持ちが、頭の中でレベッカお嬢様と強制的に隣り合わせにさせられている俺にも、容赦なく伝わってきて、縁を握っていた手のひらを剥がす羽目になる。

 仕方がないので、お嬢様の軽い身体が風に負けずにきちんと立っていられるよう、両足を軽く開いて、肩幅を取る。

 バラバラな意識が喧嘩しないように、俺が相当譲歩して、どうにか足元を確かにしたポーリャの姿を、鳥たちの黒々とした二対の双眸がじっと見つめてきた。

 笙真を鉤爪の中に閉じ込めているキバタンが嘴を開く。


「どうって? 《鳥》が《鼠》を捕まえる理由なんて、食べるために決まってるじゃない? こんなに小さいと、そんなに食いではなさそうだけど。ま、おやつくらいにはなるだろうしね」


 どうやら、笙真君は彼女たちのデザートにされる運命さだめらしい。


「食べる!? やだやだ、そんなの絶対にやだ! だめ! かえして!」


 ひっと喉が鳴った後、何が何でも承知しかねるという気持ちでいっぱいになった女の子の声が、晴天に向かって開放されている荷台に響いた。

 ぴょんぴょんと視界が、がたがたと荷台が揺れる。

 笙真を取り返そうと、お嬢様が必死になって飛び跳ねているせいだ。

 彼女がまた《鋏》を振りかざしたり、変身事故を起こしたりしないよう、意識の大半をお嬢様の魔法を抑えつけることに振り向けながら、俺は五歳児様と共有している視界越しに頼りない両腕と、その先にいる白黒の鳥、それから笙真の姿を見つめた。


「返す? 何で? これはプーカ様の見つけた獲物だよ? もしかして、わけて欲しいの?」

「……プーカ・タービュレン、冗談はしてくれ。レベッカお嬢様が本気で怖がってる。――ラウラ・タービュレン。このままじゃ色々とさわ りがあるから、着替えを出してくれないかな。どうせ、助手席にでも拾ってくれてあるんでしょう?」


 水かきのついた小さな薄紅色の前足で、黒味掛かった灰色の鉤爪を握った白鼠が上を見上げて言った。

 弾むような吐息に乗せられた、案外しっかりしている、いつもみたいな皮肉屋のような口調。

 でも、彼の赤い目は相変わらず眇められていて、苦しそうだ。


 こういう時こそ、「読み」が使えたらいいのに。笙真の手を借りて散々試したけど、型半分じゃ、普通のやり方では立ち上がらないもんな。


 そう思った俺の眼前まで、羽ばたいて戻ってきた、プーカという名のキバタンが、差し伸べていた小さな手のひらの中に笙真を返してくれた。


「笙真君、大丈夫? リベだよ、わかる? ねえ、きもちわるいの? ねえってば!」


 女の子の色白の拳の中で、絞め上げられそうになった真っ白な鼠から、ぐえっという悲鳴があがった。

 レベッカお嬢様が、これ以上力加減を間違うと洒落にもならないので、なるべく不自然にならないように俺が割り込んで、さらに握り締めそうになっていた手のひらを開く。

 幼い丸みを帯びた右手の人差し指と中指だけで、透き通るような白い被毛で覆われた鼠の身体にそっと触れてみた。


 見たところ出血もないし、頭と腹回りも含めた身体のどこにも、よそより熱が高い部分は感じられなかったから、腫れもたぶん、なしだな。


 具合が悪そうなのは、どこかしらに傷を負っているからではなさそうだと踏んで、少しだけ安心する。


 といっても、俺のは付け焼き刃の知識だけど。

 獣医師をしている母さんの兄さん俺の伯父さんや、医者だったじいちゃんなら、もっとちゃんと、診れると思うけど、俺じゃあな。

 「読み」なしの五感では、怪我のあるなしや、せいぜい呼吸が普通じゃないことしか、わからないや。悔しい。


 ここにいるはずのない、人たちを想う。

 みんなのところに帰りたい。魔法だって、自由に振るいたい。

 叶わない気持ちが、心をざわつかせる。

 笙真の辛そうな顔を見たせいか、お嬢様の気持ちも、ざわざわしてる。

 魔法が再び鎌首をもたげそうな気配がして、俺は慌てて、無意識に練られかけていた魔力を霧散させた。

 

 さっきの無茶で、型に変な癖でもついたのかな。傷はなかったように、観えたんだけど……。


 赤い瞳を持つ白鼠が、俺の指を支えに身体を起こし、深呼吸をしたあとで、手のひらに腰を下ろした。

 不自然な沈黙が降りる。平行して軽口を叩く余裕がないのか、「読む」ための数秒間をまるまる黙って過ごした後で、こちらの顔を見上げていた笙真が口を開きかけ、後ろを振り返った。


「ラウラ・タービュレン。着替えはまだかい? ずいぶん待たせるね」

「そりゃあねぇ、運び賃が来ないからだよ。手荷物と、あんたと、その子のね。ラウラ様と呼んでくれるなら、超速ちょっぱやで出してあげなくもないけど?」

「…………」

「嘘だよ。じょーだん。こないだ真珠様にあげた染め粉、そういう風に使ったんだね。綺麗に染めているから、名前を聞いてなければ鳥の仔かと思うところだったよ。口止め料込みで、貸しひとつで手を打ってあげる」

「率は? 十一といち?」

「なくっていいよ。叱られちゃったら敵わないからね。ここで着替えるの? ヒュウ、大胆」


 ばさりと音がした。口笛を吹いたベニコンゴウ風の鳥が、笙真の衣類の一揃ひとそろえを荷台に落とした音だった。 


「レベッカお嬢様、下ろしてくれませんか?」


 目線が重なるような高さにされた、お嬢様の手のひらの上から、赤い目を下に向けて衣服の行先を追っていた白鼠が、再びこちらの方を見遣りながら呟く。

 長い横ひげを震わせながら、開いた口から放たれるのは、今朝まで俺に向けてきたのと、全然違う声音こわね

 その声に対する、お嬢様のお返事は、どこまでも無邪気な綿飴みたいな意趣返しリベンジだった。


「リベって言ったら、下ろしてあげる。あのね、リベは、お菓子じゃなくて、ちゃんと呼んでくれるほうがいいな」


 かしは、かしでも、その「かし」じゃあないだろうに。まあ黙っておこう。


 五歳児らしい可愛い勘違いに気が付きつつ、俺は、押し黙る。笙真も、沈黙した。

 少なくとも二十秒間は、風の流れ行く音と、俺達の斜め後ろにあるキャビン上に居場所を定めたらしい二人組の鳥たちのおしゃべりだけが場を支配した。


「…………リベ様、ボクを困らせないでください」

「様もいらないよ。ただのリベがいい」

 

 こちらが気の毒になるほどにがっくりと、純白の鼠がなで肩を落とす。

 再び走り出した長い沈黙ののち、小さな鼠の喉から、消え入りそうに細やかで、短い一言が紡がれた。

 

 ◇


「……それから、驚かないで聞いて欲しいんですけれど」


 ようやく床に降りることを許された鼠が、しょげ切って斜め下がりになっていたヒゲを少しだけ持ち上げながら、恐る恐るといった体で呟く。


「うん」

「人に変身したボクはレベッカ様と同じ年じゃなくて、えっと」

「あたしより、ずっとお兄ちゃんになってるんでしょ? それなら知ってるわよ?」


 赤い瞳を丸くして、鼠が、え、という顔をした。

 ヒゲがぴんと大きく張った。


「だって、さっき、リベを助けてくれたのは笙真君だよね? 魔法がおんなじだったし。違うの?」 


 うっわあ、まずい。最悪だ。


 俺は思った。

 そこまでは「読ん」でもらえてなかったらしい。


「――レベッカお嬢様。今から少し難しいお話をしますけれど、その前に服を着るから、ちょっとだけ目を閉じさせて・・・・・もらえないかな・・・・・・・?」


 変な日本語。


 そんなことを言える立場ではない俺は、素直にお嬢様の瞼を閉じ、両手で目を覆い隠すと、思いっきりそっぽを、向いた。

 

「きゃあっ」


 笙真のことだけを考えていて、俺のことなんてすっかり忘れていたのだろう。五歳児ならまあ、仕方ないけど。

 いきなりやってきた真っ暗闇に、お嬢様が驚いて、今度は可愛らしい悲鳴をあげた。

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