第1話 全ては君の為に。

 私の家は嘗て名家だった。


『何をボーっとしている、時間は刻々と進むんだ、食べたらさっさと稼ぎに行きなさい』

「全く、愚図で鈍間なんだから」

《ごめんなさいお兄様、お母様、行って参ります》


 父は大臣職に就いていた、けれども部下の不祥事により引責辞任。

 更に部下の不祥事の損害も、家のお金でかなり補填する事になり、忙しい庶民の家と変わらない暮らしとなった。


 父は辞職の心労と不慣れな肉体労働で他界し、兄は倉庫で様々な者と共に従事している。

 そして母は掃除婦等の雑用係として、日銭を稼ぎ、私は幼馴染が紹介してくれたお店で給仕の仕事をさせて貰っている。


『あ、おはよう』

《おはようございます》


 愛想の分だけ稼げるのだけれど、私は人見知りで引っ込み思案な性格で、殆ど固定給のみ。

 他の女性は慣れていて、偶に内緒話をしては、御駄賃を頂いている。


「いらっしゃいませー」


『あ、いつもの方ね、行ってらっしゃい』

《はい、ありがとうございます、行ってきます》


 お客様を奪い合う事は無い、それはお店の御法度。

 もしバレたら裏方に回されてしまい、お給金も下る。


『おはよう』

《おはようございます》


 お店を紹介してくれた幼馴染の、友人。

 素敵な男性なので、噂は浮き名ばかり、けれども私に何かをする事は無い優しい方。


『どうだい、仕事は』

《はい、通って頂けるお陰で、何とか》


『そう、君は自分のお小遣い稼ぎだと思えば良いよ、無理に稼ごうとするより先ずは慣れる事』

《はい、ありがとうございます》


『少ないけれど、いつものだよ』

《すみません、ありがとうございます》


 何ヶ月か固定給ばかりで母に怒られてしまい、その事を喋ってしまって以降、時折彼と幼馴染が交互に来て御駄賃を下さる様になった。

 優しい方々に支えられ、何とか生きている。


『そうだ、学校はどうだい』

《はい、問題無く通えています》


 せめて高等部は、と。

 タダなので通えているけれど、私は不祥事以降は遠巻きにされてしまっている。


「いらっしゃいませー」


『もう行くよ、無理しないで』

《はい、ありがとうございました》


『ふふふ、素敵な方に御駄賃を貰えるなんて羨ましい』

《あ、いえ、知り合いの知り合いなので》


『そう、そんな気は無いの?妾になる、だとか』

《良い家柄の方ですし、私なんかではご迷惑になるだけかと》


『じゃあ、もう少し稼げる所に行かない?』


《学校の時間に被らなければ》

『大丈夫大丈夫、迎えに行ってあげるから、夜にちょっと抜け出せば良いだけだから』


《え、でも》

『夕涼みに出たら無理矢理連れ出されたって言えば良いのよ、仲良くなる為に、仕方無くって』


《ですけど、私、ココでも》

『大丈夫、お喋り上手じゃなくても良い場所だから、ね?』


《じゃあ、1回だけ》

『じゃあ今夜、夜の10時に迎えに行くわね』


《はい、宜しくお願いします》




 そうして向かった先は、女性も男性も顔半分だけのお面を付け、知り合いになる大人の為の場所だった。


『私はサクラ、寂しそうにしてるお客さんの席に座って、ちょっと喋るだけ』

《あの、私、お喋りが本当に苦手で》


『お店とは違うから大丈夫。練習練習、さ、頑張って』


 私をココに連れて来た女性は、直ぐに何処かへと行ってしまい。

 立ち尽くしているのは私だけ、あまりの気まずさに周囲を見回していると。


 手招きする男性が。


 1人だし、若い方に見えたので、同席させて頂く事に。


《宜しくお願い致します》


 私が横に座って直ぐ、男性は私の肩を抱き。


『お面で顔を隠していても、君の可愛らしさが溢れ出しているよ』

《止めて下さい、私には相手が》


『そう、ならこんな所に来るべきじゃない、出口まで案内してあげよう』

《あの、でも、友人と来ていて。お洋服も、預けているので》


『なら友人に持ち帰りとなった、と言っておいで、きっとどうすれば良いか教えてくれる筈だよ』

《すみません、ありがとうございます》


 何処か聞き覚えが有る様な声、けれど西洋音楽の生演奏と、周りの声で上手く聞き取れず。

 私はお車に乗せて頂くまで、気付けませんでした。


『どうしてあんな所に居たのかな』

《あ、あの、ご迷惑をお掛けして申し訳御座いませんでした》


 私は申し訳無さで、顔を上げられず。


『家に送るけど、大丈夫かな?』

《はい、すみません、宜しくお願い致します》


『それで、相手って誰の事かな』


《あ、あの、彼の事です。ただ、私が一方的に》

『支援をし、贈り物もしてくれる、そこに惚れたのかな』


《違います、彼は優しくて、誠実で真面目な方で》

『僕もだよ、浮き名は女性を庇った結果なんだ。本当の相手の名を言えない、まだ好きな相手がいないけれど言い寄られている、そうした女性の断る口実に使って貰っているだけだよ』


《あ、そうだったんですね》

『心外だな、僕が惚れているのが誰か、分かってくれていると思っていたのに』


 そう言いながら、彼は顔を覆ってしまい。


《あの、すみません、とんだ誤解を》


『良く、考えてみてくれないかな、他にももっと誤解が有りそうだし。もう少し、僕の事も考えて欲しい』


 あの人とは両思いの筈なのに、私は、揺れてしまっている。




《あの、お客様、困ります》

《どうして君まで俺と店外に行ってくれないんだ、良いじゃないか、金をやるって行ってるんだから》


《あの、門限が有りますので》

《電話でも何でもすれば良いだろう!どうして、どうして》


 最近良く来る様になった、不潔では無いけれど髪で顔を隠す様にボサボサの頭で来る男性が、私の退勤時間に待ち伏せをしていて。


「何をしてるんだ!」


 助けに来てくれたのは、幼馴染。

 けれど。


《邪魔を、するなー!》

「逃げるんだ!」

《でも》


 私が躊躇ったせいで、彼は背を。


《ひぃっ》

《あ、直ぐにお医者様を》

「君は反対方向へ逃げるんだ、それから医者を頼む」


《はい》


 私は急いで近くの家に助けを呼びに行き、彼は幸いにも軽症で済んだものの、念の為に入院する事に。


「彼に送って貰って」


《ごめんなさい》

「良いんだよ、大した怪我じゃない」

『刃渡りが小さくて切れ味も鈍い刃物じゃないかって、脅そうとしていただけで良かったよ』


「だから気にしなくて大丈夫、家の方が心配してしまうよ」

『電話は入れておいたけれど、送るよ』


《すみません、ありがとうございます》


 そして私は、彼に告白された事も忘れ、送り届けて頂く事に。


『彼女には何の不手際も無いので、どうか叱らないでやって下さい』

「はい、ありがとうございました、電話も頂き送り届けて頂いて」

『ありがとうございます』


『いえ、では』

「ほら」

『本当に、ありがとうございました』


『気にしないで、じゃあ』


「はぁ、全く」


『にしても良い男だな、彼みたいなしっかりした男性の方が良いんじゃないか』

「そうねぇ、あの子は悪い子じゃないんだけれど、見た目が弱々しいからね」

《でも、私を庇ってくれて》


「アンタが鈍臭いからでしょうに、全く、お礼に行かなきゃねぇ」

『向こうの家も忙しいだろうし、母さんだけで行きなよ、コレの顔も見たくないって思ってるかもだし』


「そうね、はぁ、余計な事ばっかり増やしてくれるわねアンタは」

《すみません、ごめんなさい》

『俺はもう寝るよ、朝早いし』


「そうね、おやすみなさい」

《おやすみなさい》




 暫くは幼馴染も誰も来ず、働かせて頂いている喫茶でも気まずく、日々肩身が狭くなった頃。

 再び彼が訪れてくれた。


『顔色が悪いね』

《すみません、少し、怖くて》


『もう、アイツの事なんて気にせず、ココを辞めて僕の奥さんにでもなる?』


《えっ》

『前に、君に言ったよね、まだ他にも誤解が有るって。今日の帰り、待ってるよ、本当の事を教えてあげる』


《その、誤解って》


『上がりの時間に待ってるよ、じゃあ、また後で』


 そして私は仕事を終えた後、母に連絡し、彼のお屋敷に連れて行って頂いた。


《コレは》

『僕が君を支援していた証拠だよ、それに贈り物についても、証人も居るよ』


《でも、彼が》

『彼の家の財より、ウチの方が多い。最近、彼の方は上手くいってないんだ、だからあまり店に来なかったろう』


《でも、なら》

『君を騙していたんだよ、いざと言う時の妾用に。でも僕はそんな事はしない、それでも彼を選ぶなら、止めないよ』


《アナタが、支援を》

『贈り物も、いつも僕が届けていたろう?』


《本当に、アナタが》

『コレを言うつもりは無かったんだけれど、刺されたのも、実は全て計画通り。だって考えてみて欲しい、未だに犯人は捕まっていないだろう』


《そんな》

『だから怪我が軽いし、例の男も現れない、捕まらない。君に恩を着せ、縛る為に全て計画していたんだよ』


 私の中に、怒りと悲しみが同時に沸き起こった。

 信じていたのに、お慕いしていたのに、許せない。


《酷い》

『大丈夫、僕に委ねてくれるね、全て』


《はい》

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