第七章:最後の審判

 社会の秩序が完全に崩壊する中、クロエたちの修道院は、最後の楽園となっていた。高い石壁に囲まれたこの場所は、外界の混沌から隔絶された別世界のようだった。そこでは、あらゆる道徳観念から解放された女性たちが、自由に欲望を追求していた。


 修道院の中庭では、かつては厳格な規律に縛られていた修道女たちが、今宵も解き放たれた獣のように振る舞っていた。彼女たちは裸体で踊り狂い、互いの肉体を貪り合っていた。その光景は、まるで古代ローマの退廃的な宴のようだった。


 修道女たちは長い間、厳格な戒律によって束縛された生活を強いられてきた。だが今、社会秩序の崩壊と共に彼女たちの抑圧された欲望が一気に解き放たれたのだ。


 中庭は狂宴の様相を呈していた。修道女たちは己の肉体を晒し、羞恥心のかけらもなく踊り狂う。香っては絡み合い、地に滾って貪りあう。喘ぎ声と嬌声が入り乱れ、熱く濡れそぼった肉体が激しくぶつかり合う。


 ある者はマリア像にまたがり、聖なるものを冒涜しながら悦楽の声を上げる。またある者は聖水盤に身を沈め、水しぶきを上げながら同志の指先に悶えている。神に仕えるはずの彼女たちが、今や欲望の神に身を捧げているのだ。


 見上げれば、かつて清浄を象徴した白い鐘楼も、崩れ落ちた露出度の高い修道女の衣に埋もれ、いまや欲望の塔と化している。もはや理性の衣を脱ぎ捨てた修道女は本能のままに腰を振り、互いの秘所に指を差し入れ、神聖な場を犯し続ける。

建物の間をぬって石畳を流れる小川には、欲望に身を任せた修道女の汗と体液が混じり合い、濁流と化している。欲望という名の疫病が蔓延し、聖域は穢れた楽園へと変貌を遂げたのだ。


 かつては祈りを捧げていた修道女たちの口からは、いまや淫靡な嬌声が溢れている。


「ああ、もっと……。私の全てを貴方に捧げます……」。


 言葉では禁欲を説いていた彼女たちが、肉体では快楽の探求に没頭しているのだ。

 まるで偽善の仮面を脱ぎ捨て、人間の真の本性をさらけ出すかのように、修道女たちは欲望の炎に身を焦がし続ける。

 その倒錯的とも言える光景は、どこか古代ローマの退廃的な饗宴を彷彿とさせた。秩序の崩壊と共に、人間の理性は欲望に飲み込まれ、聖なる場は狂宴の舞台へと変貌を遂げたのだ。


 クロエは、この光景を高みから眺めていた。彼女の顔には、勝利の微笑みが浮かんでいた。


「見よ、エレーヌ。これこそが、私たちが目指していた世界だ。ここでは、誰もが自由に自分の欲望を追求できる。社会の偽善的な道徳など、もはや何の意味も持たない」


 エレーヌは、クロエの言葉に頷きながらも、心の奥底では何か違和感を覚えていた。確かに、彼女たちは自由を手に入れた。しかし、その自由は新たな混沌と暴力を生み出してはいなかっただろうか。


 そんな疑念を抱きながらも、エレーヌは自らの欲望に身を委ねていった。彼女は、かつての同僚であるジュリーと抱き合い、激しく唇を重ね合わせた。二人の体は、まるで一つに溶け合うかのように絡み合っていった。


 しかし、その楽園にも終わりが訪れる時が来た。ある日、怒れる民衆の叫び声が、修道院の外から聞こえてきたのだ。彼らは、社会の秩序を乱す元凶として、クロエたちを裁こうとしていた。


 群衆は、鉄の棒や松明を手に、修道院の門を叩き壊し始めた。その音は、まるで最後の審判の時を告げる鐘のようだった。


 クロエは、この事態にも動じることなく、冷静さを保っていた。


「来るべき時が来たようだな」


 彼女は呟いた。


「私たちの革命は、ついに完成する時が来たのだ」


 エレーヌは、恐怖と興奮が入り混じった複雑な感情に襲われていた。彼女は、自分たちの行動が引き起こした結果を目の当たりにして、深い後悔の念に駆られていた。


「私たちは、自由を求めて戦ったはずなのに、結局は新たな暴力を生み出しただけだったのではないか」


 エレーヌは、最後の瞬間に悟った。


 群衆が修道院に押し入ってくる中、エレーヌはジュリーと最後の抱擁を交わした。二人の唇が触れ合う瞬間、エレーヌの脳裏に、これまでの出来事が走馬灯のように駆け巡った。純真な修道女だった頃の自分、クロエに導かれて快楽の世界に足を踏み入れた時の興奮、そして今、破滅を目前にした恐怖と後悔。


 エレーヌは、ジュリーの柔らかな髪の香りを深く吸い込んだ。その香りは、二人が共に過ごした数々の夜を思い起こさせた。ジュリーの体の温もりは、エレーヌに安らぎと同時に激しい切なさをもたらした。


 二人の唇が触れ合う瞬間、時間が止まったかのように感じられた。それは、情熱的でありながら、どこか悲しみを帯びたキスだった。エレーヌは、ジュリーの唇の柔らかさと、その味わいを心に刻み付けようとした。


 彼女たちの体は、まるで一つになろうとするかのように密着した。手は相手の背中を撫で、互いの肌の感触を確かめ合った。二人の鼓動が重なり、激しく高鳴る心臓の音が聞こえるようだった。


 この瞬間、エレーヌの脳裏には、これまでの出来事が走馬灯のように駆け巡った。純真な修道女だった頃の自分、クロエに導かれて快楽の世界に足を踏み入れた時の興奮、そして今、破滅を目前にした恐怖と後悔。全てが鮮明に蘇ってきた。


 ジュリーの体の震えを感じながら、エレーヌは彼女をさらに強く抱きしめた。言葉では表現できない感情が、二人の間を行き交った。愛情、後悔、恐怖、そして諦め。全てが混ざり合い、濃密な空気となって二人を包み込んだ。


 外からは、群衆の怒号と扉を叩く音が次第に大きくなっていた。しかし、エレーヌとジュリーにとって、その音は遠い世界のものに感じられた。二人の世界には、今この瞬間しか存在しなかったから。


 最後に、エレーヌはジュリーの耳元でささやきました。


「こんな時代だけど……あなたと出会えて、本当に幸せだった……」


 その言葉に、ジュリーは小さくうなずき、涙を流した。


 そして、二人は互いの目を見つめ合った。その瞳には、これまでの全ての経験が映し出されているようだった。喜びも、苦しみも、全てを受け入れる覚悟が、そこにはあった。


 群衆が部屋に押し入ってくる直前、エレーヌとジュリーは最後のキスを交わした。それは、永遠に続くかのような、しかし実際には一瞬で終わってしまう、切ない別れのキスだった。



 クロエは、最後まで毅然とした態度を崩さなかった。彼女は、押し寄せる群衆に向かって叫んだ。


「愚かな者どもよ! お前たちは、真の自由を恐れているのだ。私たちが示したのは、人間の本質なのだ!」


 しかし、彼女の言葉は、怒り狂う群衆の耳には届かなかった。民衆は、クロエたちを捕らえ、即席の裁判にかけた。そこでは、彼女たちの行為が次々と暴かれ、糾弾された。


 エレーヌは、この状況を傍観しながら、人間の本質について深く考えていた。欲望と理性、自由と秩序、これらの対立は永遠に続くのではないか。そして、その狭間で揺れ動く人間の魂こそが、永遠の宿命なのではないか。


 裁判の結果、クロエたちには極刑が言い渡された。処刑台に向かう途中、エレーヌはクロエに最後の言葉をかけた。


「私たちの革命は、失敗だったのでしょうか?」


 クロエは、微笑んで答えた。


「いいや、エレーヌ。私たちは、人間の本質を明らかにしたのだ。それだけで、十分な成功なのよ」


 処刑台に立たされたエレーヌは、群衆を見下ろしながら、最後の思いを巡らせた。彼女は、自分たちの行動が新たな暴力を生み出したことを認識しつつも、同時に人間の本質に触れたという確信も持っていた。


 そして、エレーヌの意識が闇に沈む直前、彼女は人間の欲望と社会の秩序、この二つの間で永遠に揺れ動く魂の姿を、鮮明に見た気がした。それは、人類が永遠に背負い続ける宿命なのかもしれない。

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