第24話


※楓視点


 私は、蒼の家の扉の前にいる。直立したまま、久しぶりの感覚を噛み締めている。少し震えている指先でインターホンを押した。


「はい?」


インターホンの先から聞こえてくるのは、蒼のお母さんの声。


「あの…楓です…」


私のこと忘れてしまっていたらどうしよう。私の頭の中は、ありもしない未来を想像して、私の少ない自信を減らす。


「楓ちゃん⁉︎ ちょっと待ってて!」


蒼のお母さんの驚いた声は、私を安心させた。安堵の気持ちを噛み締めていると、ドアは勢いよく開いた。


「わ〜!楓ちゃんだ!久しぶり〜!」

「お久しぶりです。」

「ほら、上がって!」


蒼のお母さんは手招きをして私を迎え入れる。心配していたことは、蒼のお母さんのテンションで吹き飛ばされていった。


 私はリビングに通され、ダイニングテーブルに座る。夕食をいただくときは、いつもこの席だった。やはり、長く来ていなかったことを実感する。


「やっぱり、その席に座ってる楓ちゃんを見るの久々だね〜」


蒼のお母さんはお茶の入ったコップを二つ持って、ダイニングテーブルの向かいに座った。時刻はもうすぐ三時になろうとしていた。蒼のお母さんはエプロンをしている。夕食の準備を邪魔してしまったのかと思うと、そこまで頭の回らなかった私に後悔する。


「そういえば、蒼と仲直りしたんだって?」


蒼のお母さんは、コップを私に差し出しながら話し出す。


「いや…喧嘩してるつもりは無かったんですけど…」


私はお茶をありがたく受け取りながら、苦笑いした。


「そうなの⁉︎ てっきり、二人仲悪くなっちゃったんじゃないかと思ってたよ〜」

「正確にいえば喧嘩して仲直りしたけど、なんか気まずくなっちゃって…」


私はなぜだか蒼のお母さんの顔が見えなかった。


「それなら、何で急に二人で遊びになんて行くことになったの?」


蒼のお母さんは興味津々で私に聞いてくる。


「蒼が………」

「………?」

「蒼が…気づいてくれたんです。私が落ち込んでいることに。」

「…そうなんだ。」


蒼のお母さんはお茶を飲む。その顔は少し自慢げに見える。そして、蒼のお母さんは続ける。


「これからはジャンジャン蒼を使ってやって! 部活も辞めちゃって暇そうにしてるし。それに、おばさんに相談してくれてもいいんだよ!」


蒼のお母さんの声は、いつもの元気で暖かい声をしている。私は久しく感じていなかった温もりに包まれる。見上げると、そこには微笑んでいる笑顔があった。私は強く頷いていた。それを見た蒼のお母さんも笑顔で頷いている。




「今日はこれから何か用事あるの?」

「特には無いですけど…」

「それなら、今日は夕食、食べていってくれる?」

「いただきます!」


秋ももうすぐ終わりを迎えそうな季節なのに、家に差し込む光は私たちを包み込む暖かい輝きを放っている。


「よっしゃっ! それなら、準備するね!」

「ありがとうございます。」


蒼のお母さんはキッチンへ向かった。私は一人、久しぶりに見るリビングを見渡していた。


「そういえば、楓ちゃん、仕事してるんだって?」


キッチンから蒼のお母さんの声が聞こえる。私は立ち上がって、キッチンに向かいながら答える。


「やっぱりバレてましたか…」

「楓ちゃんのお母さんと何年の付き合いだと思ってるのよ!」


蒼のお母さんは手を止めず、笑いながらツッコむ。


「でも、何の仕事しているか詳しく教えてもらえなかったけど、聞いちゃダメな話?」


私は少し考えてから話し始める。


「アイドルやってるんです。マスカレード・アマリリスって言うアイドル…」


そこまで言いかけたとき、蒼のお母さんの手が止まり、私の顔を見た。


「え?それって最近、蒼がよく見ているアイドルじゃない!」


蒼のお母さんは目は真ん丸にして驚いている。


「え⁉︎」


私の顔も蒼のお母さんと同じような驚いた顔をしていただろう。『蒼がよく見ていた』その言葉を私はまだ飲み込めていない。


「だから、あの子、急にアイドルに興味持ったんだ。」


蒼のお母さんは、疑問を一人で解決したように動き出した。


「え! 蒼はいつから見てるんですか?」


ようやく状況が飲み込めてきた私は、急に恥ずかしくなった。いつから見られてたんだろう。あのテニスバカには絶対見つからないと思ってたのに。


「部活やめた頃だから今年の夏ぐらいからかな? その頃から、何かあるたびに仮面アイドルがなんちゃらって、うるさかったからね〜」


蒼のお母さんは、なぜかしみじみと話す。『今年の夏』と言うことは、有名になる前から。でも、どこで分かったんだろう。私がアイドルやっているって。


「でも、そのアイドルグループに楓ちゃんがいたなんて。蒼も教えてくれればよかったのに。」


私は苦笑いで返事するしかなかった。


『ピロリンっ』


その時、蒼のお母さんのスマホが鳴った。蒼のお母さんは水道で手を洗ってからスマホを見る。その音は蒼からの「今から帰ります」の連絡だった。


「蒼、今から帰ってくるって。前みたいに部屋で待っててあげて。蒼、喜ぶと思うよ!」

「わかりました…」


私の頭の中は今、それどころでは無い。しかし、断る理由も無い。私は重たい腰をあげた。


「最近、楓ちゃん来てなかったから、服脱ぎながら入っていっちゃったりして!」


蒼のお母さんは私を面白がりながら、私に言った。


「えっ!!」


上の空だった私は、急な冗談に驚きを隠せなかった。


「冗談よ!」


蒼のお母さんは笑顔でそう言い、私を蒼の部屋へ促した。冷静になることができた私の頭は、蒼の部屋に私のグッズがあるかという『面白い議題』を思いついた。私はワクワクしながら部屋へ向かう。





「懐かしい…」


蒼の部屋の扉を開け、思わずそう呟いてしまった。部屋を見渡すと、勉強机に小さなテーブル、ベッドに本棚。配置も何も変わってない。


「いつも、何して待ってたっけ。」


そうつぶやきながらも、私の体はその場所を覚えていた。ベッドを背もたれにして座るのが、私の定位置。そのとき、本棚に私の知らない『この部屋の変化』を見つけた。


「あっ…これ…」


私は立ち上がり、その本棚に近づいた。


「最新シングルまでちゃんとある…」


その本棚には丁寧に順番に並んでいるCDが並んでいた。私は徐に一枚目のシングルを手に取った。このCDの裏表紙には私も映っている。


「これができたときは嬉しかったな……みんな…」


何も変わっていないと思っていた蒼の部屋も、私の知らない場所で前に進んでいる。私のいないマスリリスも、私が呑気に休んでいる間に、私の届かない場所まで進んでいるかもしれない。私はアクセルを踏み込んでいるのに、体が進んでいかない。怖い。私のCDを持つ手に一粒の涙が溢れていた。



 そのとき、私の耳には確かに聞こえた。階段を登ってくる足音。そして、その足音はドアの前で止まった。私にはドアがゆっくりと開き、蒼が少しずつ見える。


「やばっ…」


私は、その小声と共にドアに背を向けた。私は流れるように目に浮かんだ涙を振り払い、笑顔で蒼の方へ振り向いた。


「おかえり!」


久しぶりに見る制服姿の蒼は、とても驚いた顔をしている。


「…どうしたの? CDなんて持って?」


CD?咄嗟の出来事で忘れていた。


「あっ…いや…みんな元気かなと思って…」

「そっか」


蒼は納得したようにそういうと部屋に入り、片付けを始めた。


「あれっ?」


私の頭はようやく状況が理解し始めた。蒼は、前から気づいていたんだ。アイドルのこと。私は咄嗟に蒼にツッコんだ。


「てか、その前にどうしてマスリリスのCDがご丁寧に全部並んでいるの⁉︎」


蒼は痛いとこ突かれたようにビクッと体が動いたが、そのまま片付けに戻る。


「いや〜僕も後で気づいたんだよ…楓がいるって…」


蒼は一通り片付けを終わらせて、はぐらかしながら部屋を出て行った。

私は、また部屋に一人。蒼の部屋は、なんだか暖かくなった気がする。蒼は私を見てくれてたんだ。私は、おどおどしながら言い訳をしていた蒼の顔を思い出し、そっと笑みがこぼれた。

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