第68話




「ああ、おかえり、ルイス」

「ただいま」

「どうかした? 浮かない顔してるけど」

「……久しぶりの学校で少し疲れたかな」

「そっか。先にお風呂入る?」

「ああ、そうする」



 ふう、やっぱりお風呂はいい。ごちゃごちゃした頭が整理されていくのを感じる。ぼーっと湯舟に浸かっていると、優先すべきことがおのずと見えてきた気がする。



 セリのこととかエリーのこともそうだけど、まず一番に考えるべきはグロリア先輩のことだろう。リオンの淡い気持ちも大切にしたいが、それは二の次、先輩の作戦が失敗したときの保険にさせてもらおう。ふっ、我ながらホント最低な考えだな。


 陰気な考えを払拭するように、ざばんと湯舟から上がる。指を見れば、ふにゃふにゃにふやけきっていた。だいぶ、長風呂をしてしまったようだった。



 お風呂から上がり、夕食を取った後、部屋に籠る。引き出しの中から例のノートを取り出す。さてさて、グロリア先輩の情報はどこに書いたっけな? ああ、あった、あった。ええと、どれどれ。


 ————



 グロリア先輩こと、グロリア・ルドベックはゲーム開始時点では、主人公たちの一つ年上の高等部2年として登場する。すらりとした細見の体に、ピンと張ったポニーテールがトレードマークだ。


 攻略対象の中で唯一の先輩キャラで、いつもはキリッとした態度なんだけど、恋愛が絡むととたんにポンコツになってピュアな姿を見せてくれる。そのギャップがたまらなく愛おしい、カッコよくも可愛らしいヒロインだ。


 性格はとにかく真面目なタイプで、曲がったことが大嫌いな正義感の持ち主。そんな彼女の性質を表すかのように属性は火で、敵対者には容赦のない苛烈な一面を持つ。しかし、一度身内に入ってしまえばとことん甘く、恋人になるとその甘さを存分に発揮してくれる。


 中等部のころから学園に通っており、そのころから学園全体の生徒会に所属していて、信頼を積み重ね、高等部に入ってからは生徒会長に抜擢された。生徒からも先生からも信頼の厚い、まさに完璧といったところだが、一つだけ欠点というか汚点があった。


 実は、伯爵家という高い身分で中等部に通っているのは珍しいことなのだ。というのも位の高い貴族にとっては、学園で集団で学ぶよりも家で家庭教師とマンツーマンで教養やマナーを学ぶのが一般的であり、一種のステータスでもある。


 高等部への入学は同世代との交流のためか、義務付けられているものの、そうでない中等部に通うということは、伝統的な貴族の価値観としては恥ずかしいことなのだ。


 にもかかわらず、彼女が中等部に通っていたのには理由がある。それはルドベック家の逼迫した財政状況だ。ルドベック家は伯爵家でありながら、貴族としては実に質素な生活を送っていた。


 彼女の性格からも分かるようにルドベック家の人はとにかく善人が多く、彼女の両親や祖父母も例外ではなかった。農地が多いものの肥沃な土地でないルドベック領では、何かと苦労が絶えなかった。


 ルドベック家はそんな土地に暮らす領民のことを深く愛し、高い税を取りたてるようなことはせず、むしろ何かあれば、惜しむことなく私財を投じる、まさに貴族の鑑のような家なのだ。


 さらにその人一倍の優しさのおかげで、商売も得意でなく、一応紅茶という特産品があるものの十全には活かせず、伯爵という身分の割に貧乏なのがルドベック家なのである。


 だからグロリア先輩は、家庭教師を雇うよりもそのお金を他に使ってほしいとそれを断り、伯爵家でありながら中等部に通うということになったと、彼女のルートのときに明かされた。


 彼女の実直で誠実な態度は皆が知るところで、そのことで彼女を貶められたり、低く見られるようなことはなかった……ただ一人を除いて。


 家が貧乏である、そこを突け狙ったのが我らが悪役、というか私、ルイスである。自分の悪行を調べていることが煩わしく思ったのか、それとも単純に彼女が気に食わなかったのか、理由は定かでないもののとにかく彼女を辱めようと画策したのだ。


 ルイスの家であるロベリヤ公爵家は様々な分野に影響力を持ち、ルドベック家の特産である紅茶も例外ではない。


 やろうと思えば、ルドベック家を紅茶界から締め出し、その財政を火の車にすることなど容易いと、彼女を脅したのだ。最初の方こそ『何を馬鹿なことを』と一蹴していた彼女であったが、次第に本当に家の紅茶の売れ行きが悪くなり、そうも言っていられなくなった。


 財政は悪くなる一方だったが、ロベリヤ家が手を回した証拠もなく、貴族社会で安易に弱みを見せれば、敵対派閥に付け込まれる。秘密裏に王家に支援を申し出ても、支援が届く前に少なくない領民が辛い思いをしてしまう。


 そう思い詰めた彼女は、とうとうルイスに屈してしまう。自分の身一つでなんとかなるならと、ルイスに身を差し出すのだ。


 ルイスは下卑た笑みを浮かべて、彼女の自尊心を損なうように、じっくりと服を脱がせ、その柔肌に触れようとする。


 そこで主人公の登場である。今にも奪われそうだった彼女の貞操をルイスの魔の手から救うのだ。しかし、視野狭窄に陥ってしまったグロリア先輩は、ルイスの言う通りにしないと駄目だと、一度はその手を突き放す。


 それでも、諦めずに手を差し伸べることで、ようやく彼女を助けられる。グロリア先輩のルートでは、学力が大事になってきて、紅茶のケーキを提案し、それがヒットすることでその危機を脱するのだ。


 自らの領を救ってくれた主人公に彼女はいたく感謝をし、その人間性に惹かれていく。そこからグロリア先輩のルートが始まっていくのだ。



 ————



 と、まあ、ざっくりこんな感じだろうか。一応、グロリア先輩が主人公に対して複数の女生徒を誑かしているんじゃないかと注意しにくるのが、グロリア先輩とのファーストコンタクトになるんだけど、そこはなくても問題ないでしょう。


 というか改めて思ったけど、本当に最低な野郎だな、ルイス。最終的に、断罪されて心の底からざまあ見やがれって思ってたけど、今や私がルイスだもんな。何が起こるか分からんね。……まあそこはもういいや、追放された後の第二の人生を目一杯楽しめれば、それでいい。


 今回のイベントはほとんどルイスが起こすもので、不確定要素はアランが来るかどうかだけだということだ。そこが問題と言えば問題だけど、今までに比べたらとても簡単なことだ。



 今回こそは失敗しないように、綿密な計画を立ててから実行に移そう。私が能動的にイベントを起こせるんだから、焦らず丁寧に事を進めていこうと、心に決め、ノートを閉じた。


 もう夜も遅い。何日か考えていたら良いアイデアも浮かんでくることだろう。今日は思考を手放して、夢の世界へ旅立つことにした。


















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