第5話
(夕暮れ、二人だけの部室で。窓の外からは、下校している生徒たちの声がかすかに聞こえてくる)
……ちょっと久しぶりですね。
私が部室に来なかったからだろうって? まー、そうなんですけどね。いろいろあるんですよ、先輩と違って私は。
ちょっとだけ、相談してもいいか? 別にかまいませんけど、どうしたんですか。そんなに改まって聞いてもらう話じゃない? フランクに、かるーく聞いてもらいたい? 相談するくせにわがままですね。
そんなに抱え込まないでください。
先輩の顔に考え事は似合いませんよ。……そこは悩み事だろうって? おやおや、私としたことが言い間違えてしまいましたね。
それで、どうしたんですか。
ふんふん、ほほぉ? 部活の後輩からバレンタインデーにチョコレートをもらったんですか。それはすごいじゃないですか。初めてのチョコレートでしょう? それで、チョコはおいしかったですか? ……へえ、そうですか。ふぅん……それはまあ、よかったですね。
話を聞いているだけですと幸せそうに聞こえますけど、なにを悩んでいるんですか。え? アレがあるだろうって? アレといきなり言われましても、三月? ああ、つまり先輩はアレのことを気にしているんですね。
ずばり、ひな祭り。
はいはい、茶化しただけですよ。珍しく悩んでいる先輩の肩の力を抜いてあげようという優しい後輩のおもてなしじゃないですか。
……ホワイトデーですよね。わかってますよ、わかった上でボケてみたんですよ。たまには私がボケてもいいじゃないですか。そういう気分のときだってあるんです。ホワイトデーといえば、そうですね。チョコレートを渡してくれた相手のぼんぼりに火をつけてひな祭りから離れろぉ! 謎のイベントを日本に生み出すんじゃありません! ボケるとはこういうことだ? なにを馬鹿なところで張り合っているんですか!
だから! チョコレートを渡してくれた相手に愛の返事とかるるんるーんってする日ですよね! るるんるーんに食いつくなぁ! 自分でも何を口走ってんだろうってちょっとだけ後悔してはいますけどるるんるーんを連呼するなぁ!!
はぁはぁ……! 先輩、ちょっと真面目に相談する気あります? ……いや、急に真面目な顔しないでくださいよ。このタイミングでその顔はもはや不真面目にしているようにしか見えませんって。きりっ! じゃないです。本当にきりってしている人は口できりって言いませんから……るるんるーんも言わない!!
(ガララ、と扉が開く音)
……。
……。
……。
……。
……。
るるんるーん。
(一陣の風が通り過ぎる音)
……先輩、今日補修じゃなかったんですか。
先生が急な用事が入って取りやめになった? へえ、それは……さすがに把握できてなかったです。
……。
どこから聞いて、いや、いいんです。言わなくていいんです。言わなくていいって言いましたよね!! ……ちょっと久しぶりですね、から? 最初から聞いていたんならもっと早めに入ってこれましたよね!? 嫌がらせですか、私への嫌がらせですか! え? 誰か別の人と話しているのかと? 先輩と私しかいない部活にほかの人間とかいるわけないじゃないですか!!
ほんと、先輩ってそういうところありますよね。確かに、確かにですよ。こういう状況であえてしばらく聞いておくというのは、日本の文化的行動といえるとはいえ、いくらなんでもそれを現実で実行するのはいかがなものではないでしょうか。されたほうはただ恥ずかしい思い出として未来永劫苦しみ続けるわけです。つまりは、先輩が行った何気ない行動が私の心を大きく……勢いで誤魔化すな? ……先輩って本当に無駄なところまじで無駄ですよね。そういうことですよ、ええ、そういうところ。本当にそういうところです。
……。
まあ、そうですよ。お察しの通りで、チョコレートを渡しました。私は、先輩に渡しました。義理とかそういうものでもありません。だからなんだというんですか? 渡されたことがそんなに偉いんですか、へえそうなんですか!
……。いつからだとか聞かないんですか? 聞いたほうがいいのかって? そういうのは聞かないほうがいいんですよ。
まあ、だから、その、私は先輩のこと……むにゃむにゃ、ですよ? え? 聞こえない? 難聴系主人公とか最近ははやりませんよ。絶対にむにゃむにゃって言っただろうって? 馬鹿なこと言わないでくださいよ。いくらなんでもむにゃむにゃをむにゃむにゃって言う人がどこにいるんですか、いたら連れてきてくださいよその顔を拝んであげますから、どこから手鏡を取り出したぁ!
うれしかった?
ふぅん……そりゃ、まあ私のチョコレートですもんね。しかも、生まれて初めてのチョコレートですもんね。うれしくないはずがないですもんね。
ていうか、私が相談したときもしかして自分がもらえるんじゃないかとか考えなかったんですか?
……。
……。
……。ふふ、その顔。
そうですか、そうですかー! ちょっとは考えてたんですか! え?
椅子から転がり落ちても冷や汗だらだらかいてもないけどって? どう見ても確固たる証拠を突きつけられた犯人みたいな状態になってないだろうって? そうですか。考えてないんですね。じゃあ。そういうことにしておいてあげませーん! はい、あげません! 絶対に考えてましたー!
あ、もうこんな時間ですね。
それでは私はこれで失礼しますね。とりあえずありがとうございました。おかげでちょっとだけ気分がすっきりしました。
(ガシっと腕を捕まれる)
……離してもらえませんか。
離さない? いやいや、セクハラですよ。そういうのはいまどき駄目ですって。そもそも私みたいなうら若き乙女の腕を握るとかそういう乱暴を働くのは悪役の役目であってそういうことをしていると。
……こっちを見ろ?
見ろと言われましても、別に先輩の顔なんてみても面白みもないですし? まあ笑える顔かと聞かれたら笑ってしまえる顔だとは思いますというか味のある顔だなーと思ってはいますけど、じゃあいつだってみたいかと聞かれたらノーコメントとさせていただきたいというのが私の後輩としての本音でありまして、いえ、なにも無意味に人を傷つけることをよしとしていないわけでありましてですね。
そもそも急に命令口調とか似合いませんし、もしかして部長命令とか言い出しますか。うわー、最低ですね。そもそも部長として何もしてこなかったくせにそういうときだけ偉そうにするとかないわー。
……。
……。
……。
ええ、逃げようとしましたけどなにか?
どうしてこのタイミングで笑うんですか、意味わからないんですけど。え? はぁー!? は、はぁ!? ちょっ! え、だってない! 絶対にない! おかしい、それはもう本当に先輩はおかしい!
だって……!
私はかわいくありませんから!!
知ってるんです。わかってます、この性格でこれまで生きてきたんですから自分がいっちばんわかってるんです。ええ、ええ、これといって私は友達が多く……まあ、ちょっとしか……まあ、全然……。んん! いいんです! 友達の数で世界を目指そうとしてませんから! 少数精鋭なんです! 大器晩成なんです! 後半に続くんです!!
顔はいいです! 私ほどの美少女がどこにいるでしょうか! ほら、手鏡! ここでこそ手鏡!
ですが! ですが……! です、が……。
知ってるんですよ。
私なんか……性格の悪い私なんか相手にされないって。
だから、逃げたんですよ。
先輩が悪いんですよ。渡せっていうから、こっちは作ってきたはいいけど、こわ……ちょっと思うところがあったから別に渡さなくてもいいかなーって思ってたのに! 先輩が……先輩が……。
……。
……。
……。
ごめんなさい。
先輩は悪くないです。
ずっと、
……ずっと……、……でした。
中学の頃に、委員会で知り合ってから……ずっと。
この高校を選んだのだって先輩が居たから……! せめて、あとちょっとだけでも一緒に……居た、かったんです……。
先輩が私のことを後輩としてしか見ていないことは知っています。というか、そういう変な目で見てこないから、逆に珍しくなっちゃったっていうか。
ほら、私って顔はいいから初対面の人とかにはモテちゃうんですよね! だから……まあ、その。最初は、どんくさい人だなーって思ってて……でもみんなに優しくて、でもやっぱりどんくさくて、そのせいで怒られてて、頑張ってるのに空回りしててなんか見てて腹立つなーこの顔って思ってたんですけど、それが、いつの間にか……。
あの、ごめんなさい。
我慢する、つもりだったんです。でも、その、先輩は三年生になったら部活をやめなくちゃいけなくなるし、しかも受験だし。
さすがに親も高校は許してくれたけど大学はもっと上のランクを目指せってうるさいし、そうなったらもう……会えなくなるなーって。会えばいいんですけど、やっぱり大学生と高校生じゃ時間もずれるし、大学だといろんな人がいるから先輩のこといいなって思う人も、でてくるかもしれないし……。って、
思ったら……。
思っちゃた、んです。
……あの。
……あ、ぁの!
変なことを言うんですけど、いえ、チョコレートを渡しておいて今更かよって感じなんですけど。そういうもんじゃないんですけど。決まりっていうか、自分の中での踏ん切りっていうか。いえ、その踏ん切りのためだけ言うわけじゃないんですけどぉ……。
あの。
あ、あの。あの。
わた、
……すぅ……はぁ……。
わたしは、
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