中間試験 3

「全教科追試なんて、アラトルソワ公爵家はじまって以来の珍事だ。そんなことはさすがに容認できない。おにいちゃまが教えてあげるから、週末は邸に帰るぞ」


 ということで、わたしは久しぶりに王都のアラトルソワ公爵家に帰ってきていた。

 お兄様の手を借りて馬車を降りると、玄関からお母様が飛び出してくる。


「まあ、マリアちゃん! やーっと帰って来たのね‼ さあいらっしゃい! 結婚式のドレスの試着があるんですからね!」


 ……ひぃ‼


 わたしは危険を感じて、お兄様の背中にひしっと張り付いた。

 お母様に捕まったら最後、丸一日ドレスの試着だアクセサリー選びだなんだかんだと潰されるのは目に見えていた。

 そんな面倒くさいのはごめんだし、第一今日は一分一秒たりとも無駄にしたくない。


「お、おおお、お母様! ドレスのサイズは手持ちのドレスのサイズを参考にしてくださいとお願いしたと思いますが!」

「何を言っているの。参考にしても、試着はしなくてはいけませんよ。結婚式のドレスは、人生で最高のものを作らなくてはならないんですからね! 我が公爵家の威信をかけて、国で一番素晴らしいものを作りますよ!」


 お母様の気合の入り方がすごすぎて怖い。公爵家の威信とか言い出した。国で一番素晴らしいものとか言い出した!


「お、お、お兄様……」

「おにいちゃま、たちゅけてくだちゃい、と言えば助けてあげよう」


 お兄様! ここでもふざけるのはやめてください!


 とはいえ、お兄様を味方につけなければ、お母様からは逃げられない。

 わたしはくっと唸って、真っ赤になると、小声でぼそぼそと言った。


「お、お、おにいちゃま、た、……た、たすけて、くだちゃい……」

「少し違うんだが……、ああわかった。そう睨むな。私としても、妹が全科目追試を受けるなんて前代未聞の珍事は許容できない」


 そう言って、お兄様はお母様の説得を試みてくれた。

 お母様は最初はとても不満そうに口をとがらせていたが、わたしが全科目追試を受けて同級生どころか上級生下級生を含め学園の全員に嗤われると聞かされたところでさっと表情を改めた。


「マリアちゃん! どうしてちゃんと授業を聞かないの! 全科目追試なんて、お母様は許しませんからね!」


 普段はわたしに激甘の母も、さすがに全科目追試は許容できなかったらしい。

 おかげで結婚式の準備で拘束されることもなく、わたしは無事に邸の自室へ上がることができた。


 ヴィルマがわたしとお兄様のためにお茶を入れてくれる。

 お兄様がわたしをライティングデスクに座らせて、どこから取り出したのか、ちゃきっと黒ぶちの眼鏡をかけた。


 ……お、お兄様の眼鏡姿、尊い……じゃなくて!


「お兄様、視力は全然悪くありませんでしたよね。その眼鏡は何ですか」

「先生っぽいだろう」


 なるほど、つまりオプションですね。そんなオプション、いりませんが。お兄様ってば形から入る人だったんですね。


 ヴィルマはわたしの勉強を手伝う気はさらさらないらしく、久しぶりに公爵家に帰って来たので、邸での自分の仕事をはじめる。つまり、わたしの部屋の片づけとか、衣替えとかだ。

初夏になったので、クローゼットのドレスを春物から夏物に入れ替えなくてはならないのである。


「こらマリア、よそ見をしていないで、ちゃんと教科書を開きなさい。まずは一年生の歴史の復習からだぞ。……というか、歴史なんて覚えればいいだけだろう」


 お兄様、天才と凡人以下を比べてはいけません。覚えるだけ? ほほほ、その覚えるだけができないんですよ、マリアには!


 お兄様に、ぽこんと丸めた教科書で頭を軽く叩かれて、わたしは慌てて教科書を開く。

 その途端、お兄様は眉を寄せた。


「……マリア、お前は授業中にお絵かきをして遊んでいるのかい? 小さな子供でも、さすがにここまで書き込んだりしないよ」

「あ、ぅ……」


 わたしは真っ赤になった。

 わたしの一年生の教科書は、どの科目も落書きでいっぱいだ。過去の自分がしたことには間違いないのだが、ものすごく恥ずかしい。


「お、お兄様、マリアは一年生の時は、どうかしていたんです」

「ふむ、その言い方だと、今はしっかりしているように聞こえるな。しっかりしている人間が全科目追試の危機に陥るとは思えないのだが」

「ぐうっ」

「まあいい、時間がない。私が要点だけ説明するからきちんと聞きなさい。明日の夕方に、今日と明日に教えたことが理解できているかテストをするからな。テストの点数によってはお仕置きだから心して聞きなさい」


 お兄様! わたしはそんなスパルタは望んでいませんが⁉


 思わずバッと振り返ると、お兄様がニッと笑う。


「お前はこのくらい厳しくしないと真面目に勉強しそうにないからな。お前にどんなお仕置きをしようか、今から考えるのが楽しみだ」


 ひー‼

 やばい、目がマジだ‼


「ち、ち、ちなみに、点数の合格点ラインは……」

「そんなもの満点に決まって――」

「無理です‼」


 わたしは即答した。

 そんな無理難題を提示されたら、完全諦めモードでやる気がしおしおとしぼんでいきますよ!


「お兄様、わたしは追試にならなければそれでいいんです! 目標は赤点にならないこと! 打倒赤点! 優等生じゃなくていいんですぅ‼」

「そのような低すぎる目標はもやは目標でもなんでもないだろう」

「お兄様にはそうでも、わたしには高い高い壁なんですよ‼」

「言っていて情けなくならないかい、マリア」


 う、それを言ってはいけないんですよお兄様。

 ええ、もちろん情けなくなりますとも。

 でも、わたしは達成不可能な目標を掲げる気はないんです。


「仕方ない。私が作ったテストに関しては、五十点取れれば合格にしてあげよう」

「ち、ちなみにそれは、三百点満点とかですか?」

「百点満点に決まっているだろう。ふざけてないで前を向きなさい」


 ぽか、とお兄様がまた丸めた教科書でわたしの頭を小突く。

 お兄様、マリアはふざけてないんていませんよ。大まじめだったんです。だってお仕置きされたくないですからね!


 ……でも、百点満点中半分取れないとお仕置きか。これは本当に、本気の本気で取り掛からないと、危険だわ。


 わたしが教科書に視線を落とすと、お兄様が、長い指で重要な部分を指さしながら解説してくれる。


 ……お仕置きとか言い出すとんでもないお兄様ですけど、教え方はとっても丁寧でわかりやすいですね。これならわたしでも、理解できそうです!



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