赤く染まる山 3
急いで実技用の動きやすい制服に着替えて、わたしはヴィルマともに城を飛び出した。
誰かに見つかって咎められるかと思ったが、先生たちはすでに火事を鎮静化するために山に向かったあとだし、生徒たちは混乱しているしで、意外にも誰にも咎められることなく城から出ることができた。
城の外に出ると、むわっとした熱気を風が運んでくる。
ここから火事の現場まで結構離れているというのにすごい熱気だ。
「お嬢様、失礼します。世界の根源を司る四柱のうち水の精霊ウンディーネよ、我の呼びかけに応え、その大いなる御力の片鱗を我に授けたまえ――ウォーターバリア」
ヴィルマがわたしと自分の周りに、水の結界を張った。
肌を焼くような熱気がすーっと消えて、わたしの周りがひんやりと涼しくなる。
「詠唱して効果を上げてはいますが、火事の場所に近づくにつれ多少の熱さは感じると思います。気を付けてくださいね」
「ありがとう、ヴィルマ!」
わたしはヴィルマと共に炎の勢いが強い場所に向かって走り出す。
全然運動しないお嬢様なわたしだけど、興奮状態にあるのだろうか、走り出してすぐに息が苦しくなったのに足を止めようとは思わなかった。
火事の現場に近づくにつれ、先生や魔法が得意な上級生たちの姿がちらほらと見えはじめる。
「お嬢様、それで、どうするつもりですか⁉」
ヴィルマがわたしの周りに重ねて水の結界を張りながら訊ねた。
どうするのかと問われても、わたしは計画があってここに来たわけではない。ただ、直観に駆られてここに来ただけだ。
そして、現在進行形でわたしのその直感は、もっと奥へ行けと告げている。
「まだ奥に行くわ!」
「無茶です!」
「それでも、行くの!」
行かなくてはならないのだ。
わたしが炎が強くなっているあたりに向かって駆けだすと、ヴィルマが舌打ちしてついてくる。
「ウォーターバリア! ウォーターバリア‼ 何ですかこの火事⁉ いくらなんでも、炎の勢いが強すぎです! ウォーターバリアがあまり役に立たないじゃないですか!」
「そんなことはないわ! 少なくとも、燃えずにすんでいるだけ上等よ‼」
わたしが単身で乗り込んでいたならば、もしかしなくとも炎の勢いで消し炭になっていたかもしれない。
炎の中心ではなく外のあたりに立ち尽くしていた人は、きっと魔法の威力が足りずにそれ以上近づけなかったのだ。熱気を感じつつもこうして近づけるだけ、ヴィルマの魔法がすごいのである。
「アイスバリア‼」
ヴィルマが水の結界から氷の結界に属性を変更した。少しでも熱気を抑えようと考えたのだろう。
「世界の根源を司る四柱のうち水の精霊ウンディーネよ、我の呼びかけに応え、その大いなる御力の片鱗を我に授けたまえ――前方を打ち抜き切り開け、ウォータービーム‼ からの、ウォーターフォール‼」
……ヴィルマ、あんたは本当に優秀だわ‼
中級魔法、上級魔法も惜しげもなくガンガン使う侍女に、わたしは感激で涙が出そうになった。
ヴィルマが炎の間を水魔法で切り裂いてくれたおかげで、わたしはその間を駆け抜けることができる。
「何が何だかわかりませんが、わたくしがしっかり支援しますので、もう好きになさってくださいませ! 我儘上等! それでこそお嬢様です‼」
それは褒めてるの? 褒めてるの⁉ 貶しているの間違いじゃないよね⁉
だが細かいことなんて気にしていられない。ヴィルマが支援してくれれば大丈夫だ。何故ならわたしは、ヴィルマのことを信じている。
「誰だ無茶苦茶な水魔法で場を混乱させているのは――って、ヴィルマ⁉ マリア⁉」
ヴィルマが作ってくれた道を突き進んでいると、お兄様の驚愕した声が聞こえてきた。
「マリア! どうしてここに来たんだ‼」
お兄様が怒っていらっしゃるけど、わたしはやっぱりそれどころではなくて、ただひたすらわたしの直感が「行け」と命じている場所に向かって駆けていく。
そして、炎の中心にやってきたわたしは、大きく息を吸い込んで硬直した。
大きな炎の渦が空高くまで伸びていて、その先に、翼を持った真っ赤な竜のようなものが浮かんでいたからだ。
……サラマンダー。
わたしの直感が告げる。
あれは、世界の根源を司る四属性の精霊のうちの一つ、火の精霊サラマンダーだ。
精霊は、世界に四体しかいないと言われている。
火の精霊サラマンダー。
土の精霊ノーム。
水の精霊ウンディーネ。
風の精霊シルフ。
けれどもそれらの精霊は、決して人の前には現れない。それが世界の常識のはずだ。
「くそっ、なんなんだこの炎は!」
ハッとして横を向けば、アレクサンダー様が炎の渦を睨んで毒づいている。
その様子を見るに、サラマンダーに気づいているようではない。気づいていたら、サラマンダーに気を取られて炎の渦なんて気にしていられないだろう。
……ということは、他の人には見えていないの?
もう一度サラマンダーを見上げる。
赤いうろこに覆われた、炎の翼を生やした真っ赤で優美な竜。
ルビーのような綺麗な二つの瞳は、静かに地上を睥睨している。
「マリア‼」
わたしを追って来たお兄様がわたしの腕をつかんだ。
「何を考えているんだ! いくらお兄様でも本気で怒るぞ‼」
「お兄様、あれが見えますか……?」
今まで感じたことのないお兄様の怒りよりも、わたしはサラマンダーが気になって仕方がない。
空に向かって指を突きつけると、お兄様はぐっと顔をしかめた。
「ああ見えるとも! 大きな炎の渦がな‼ ここは危険だ、帰りなさい‼」
……やっぱりお兄様にも、見えていない。
あの優美なサラマンダーは、わたし以外の目に移ってはいないのだ。
「マリア・アラトルソワ⁉ 何をしに来たんだ‼」
お兄様の声でわたしの存在に気付いたアレクサンダー様が大声で怒鳴る。
しかし、やっぱりわたしは、サラマンダーから視線が逸らせない。
この火事は間違いなくサラマンダーの暴走が招いたものだ。そう、わたしの直感が告げる。
サラマンダーを何とかしなければ、この火事は決して沈静化することはできない。
「お兄様、炎の渦の頂点を、そうですね、直径十メートル程度の四角形の結界で覆うことはできますか?」
「マリア、この状況で何を言い出すんだ。お遊びじゃないんだぞ」
「わかっています。でも、何も聞かずにやってください」
「マリア・アラトルソワ‼ いい加減にしろ‼」
アレクサンダー様がイライラと叫ぶ。
お兄様やアレクサンダー様以外にも何名か上級生がいたけれど、全員が全員、わたしを心底侮蔑したような視線で見つめていた。
「マリア、すまないがお前のお願いは聞けない。帰りなさい」
いくらお兄様でも、サラマンダーが見えていない状況でわたしの意味不明なお願いは聞いてくれないようだった。
わたしはきゅっと唇をかむと、ちらりと背後を振り返る。
そこにはわたしを追いかけてきたヴィルマがいた。
「ヴィルマ……魔力、まだ残っている?」
ヴィルマはわたしを炎から守ることに全力投球してくれていた。かなりの魔力を消費したはずだ。無茶な願いだとはわかっているが、この場でわたしの意味不明なお願いを聞いてくれるのはヴィルマしかいない。
ヴィルマはわたしの隣に立つと、やれやれと息を吐いた。
「残りの全魔力を使えば一発くらいは可能ですけど、いいんですね?」
「うん」
「わかりました。このヴィルマ、お嬢様の我儘には慣れておりますので、お付き合いして差し上げましょう。侍女ですからね!」
「ヴィルマ、正気か⁉」
「正気も正気、大正気です。もともとここにお嬢様が来る予定ではなかったのでわたくしは戦力に換算されていないでしょう? ならば構わないはずです」
ヴィルマは炎の渦の頂点に向かって両手を突き出す。
「世界の根源を司る四柱のうち水の精霊ウンディーネよ、我の呼びかけに応え、その大いなる御力の片鱗を我に授けたまえ――ウォータージェイル‼」
ヴィルマが魔力すべてを使った上級魔法が、炎の渦の頂点に、巨大な水の檻を作り出す。
その瞬間、がくんと当たりの温度が下がった。
炎の渦はまだあるが、先ほどよりも明らかに威力を落としている。
「……よくわからんが、なるほど! どうやらお前は正解を引いたみたいだ。――ウォータージェイル‼」
効果ありと判断したお兄様が、ヴィルマの作った水の檻を外から取り囲むようにもう一つの檻を展開した。
「アレクサンダー‼」
「説明は後からしてもらうからなマリア・アラトルソワ‼ ウォータージェイル‼」
アレクサンダー様の水の檻がお兄様の檻の外側をさらに取り囲む。
この場にいた他の生徒たちもお兄様とアレクサンダー様に続き、炎の渦の頂点に何重もの水の檻が出来上がった。
ゆっくりと、溶けるように炎の渦が消えていく。
炎の渦が完全に消えると、山に燃え広がっていた炎が嘘のように消え去った。
「――は! 嘘だろう? マリア、お前は女神か? ははははは!」
お兄様が息を吐くようにして笑い出す。
「いったい何がどうなっている……」
アレクサンダー様がゆったりとした足取りでわたしに近づいてきた。
……あ、まずいかも。理由を聞かれても、わたしはうまく答えられませんよ。サラマンダーはわたし以外の誰にも見えていないみたいだし、何故ここに来たのかと言われても、直感ですなんて言ったところで信じてなんてくれないだろう。
だらだらとわたしの背に冷や汗が流れる。
幾重にも折り重なった水の檻の中で、サラマンダーは静かにこちらを見下ろしている。
……あの檻も、どうしていいのかわからないし。魔法を解いた直後にまた山が炎に飲み込まれたりするのかな。それはちょっと勘弁なんだけど……。
とりあえずサラマンダーが原因っぽいから閉じ込めてしまえばいいんじゃない? という直感に従ったわたしがだが、このあとにどうするのが正解なのかはさっぱりわかりません。
どうしようどうしようと檻の中のサラマンダーを見上げていると、サラマンダーがわたしの存在に気が付いたかのようにこちらを見つめてきた。
……あの、怒ってる? 怒ってないよね?
わたしのせいで閉じ込められたと、キレたサラマンダーに攻撃されたりしないよね?
前門に虎後門に狼、ならぬ、前門にサラマンダー後門にお兄様たちですよ。
マジヤバい、どうしよう。
ここはおバカマリアの高飛車スキルで「おほほほほほ、わたしに感謝して跪きなさーい」と空気読まない感じの高笑いでやり過ごせないものだろうか。
わたしがそんなバカなことを考えて現実逃避をしていたときだった。
パリン、とお兄様たちの張った何重もの水の檻が、硝子が割れるような音を立てて砕け散る。
ヤバい、激怒したサラマンダーの復讐が‼ と焦ったわたしの目の前で、サラマンダーが一条の赤い光になって、わたしの目の前に落っこちてきた。
何事⁉ と思ったときにはすでに、わたしの手には見覚えのある小さな長方形の板が握られていて、わたしはぎょっとする。
……待って待って待って! これってスマートフォンじゃありませんか⁉
なんでこんなものがここにあるのだと驚くも、お兄様たちにはわたしの手にあるスマホは見えていない様子だ。
サラマンダーといい、スマホといい、何がどうなっているんでしょうか⁉
わたしの頭は混乱でいっぱいいっぱいになって、ここまで走って来た疲れと、それからお兄様たちの追及をかわしたいという現実逃避な思考から、急激に脳がシャットダウンをはじめる。
とりあえず――気絶しておこう!
わたしは、問題を先送りにすべく、脳の警告に従って、気を失ってその場で卒倒した。
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