二日目 メインイベント魔物討伐 2

 どの班がどのあたりに魔物討伐に行くのかは、教師が決める。

 わたしたちはここから三十分ほど歩いた場所にある、湖とは反対側の山の中腹のあたりだった。


 湖畔地帯は王家直轄地でもあるので、定期的に騎士団が魔物討伐に赴いているため、強い魔物はほとんど生息していない。

 けれども、万が一のことを考えて、定められた場所以外には立ち入ることは禁止されていた。

 救命信号が上がった際に教師がすぐに駆け付けられるようにである。


 生徒にはそれぞれこのあたりの地図が配られて、班の討伐場所と、それから教師が立っている場所が記されていた。

 魔物討伐のルールは簡単で、グループで何でもいいから一匹の魔物を討伐し、魔物の体内にある魔石を持ち帰ってくるというものだ。


 これはオリエンテーションで試験ではないので、魔物の難易度は問わない。

 魔石さえ持ち帰れば後は自由時間なので、好きに遊んですごしていいと言われている。

 順調にいけば、往復一時間プラスアルファ十数分で終わるだろう。何といっても、うちの班にはお兄様とアレクサンダー様という、とっても強い魔法の使い手がいるのだから。


 お兄様は昨日宣言した通り、わたしのお守に徹するようで、わたしにべったりとくっついている。だがちょっとくっつきすぎだ。わたしの腰に腕を回す必要があるだろうか。


 ……うぅ、新入生二人の視線が痛いですよ。


 お兄様は大変人気者である。

 お兄様がわたしと結婚することを暴露したせいで、新入生二人は昨日からわたしを親の敵か何かのように睨んでいて、ちょっと怖い。


 ……わかるよ。わかるわかる。推しにはいつまでも独り身でいてほしいよね。その気持ちは痛いほどよくわかるけど、そんなに睨まれたらわたしの胃に穴が開きそうだから手加減してほしいなあ。


 どうやら、わたしが知らなかっただけで、わたしとお兄様が実の兄妹でないのは社交界では知られたことだったようだ。

 おかげでわたしとお兄様の結婚話は違和感なく受け入れられているようだが、そのせいで完全に敵視されている。

 アレクサンダー様はわたしがこんなに女の子二人に睨まれているというのに興味がないようで、配られた地図に目を落としていた。


「よし、さっさと行ってさっさと終わらせるぞ」


 アレクサンダー様はわたしが嫌いなので、早く班行動から解放されたいに違いない。討伐が終わった後の自由時間は、班で行動を共にしなくてもいいのだ。


「さあマリア、おにいちゃまと手を繋いでいこうねえ」


 こちらはこちらで、わたしを完全に幼児扱いしている。

 お兄様の意地悪は今にはじまったことではないが、新入生の前なのだ、少しくらいは先輩としての威厳があるところを見せたいのに、あんまりだ。


「お兄様、わたしは一人で歩けます」

「おや、そうかい?」

「そうです!」


 お兄様は残念そうな顔になると、わたしの手を放してくれた。けれども側からは離れない。

 討伐地までは歩いていくことになるが、討伐地に到着する前に魔物が出現する可能性も充分にある。

 その場合、途中で遭遇した魔物を討伐してその魔石をもって討伐の証としてもいいのだが、その場合でも教師が定めた討伐地に歯向かわなくてはならない。討伐地に到着した証として、生えているどれか適当な木にリボンを結び付けて帰らなければならないのだ。指示に従わず、適当に近い場所で魔物討伐を終えて指定された場所に向かわないというずるを防ぐ措置らしい。


「お前は本当に魔法が苦手だからね、一人でふらふらと歩き回ってはいけないよ。まあお前の場合、得意なものを見つける方が難しい気もするがね。ああでも、昨日のカレーは美味しかったよ」


 お兄様、それは褒めているのかしら、それとも貶しているのかしら?

 あまり褒められている気はしないが、カレーが美味しかったと言われると悪い気はしないわたしは、たぶんものすごく単純にできている。

 新入生二人は、お兄様が相手をしてくれないとわかったからだろうか、アレクサンダー様にまとわりついていた。


「アレクサンダー様、わたくしたちを守ってください~」と甘える新入生たちに、アレクサンダ―様は困った顔で微笑んでいる。


 ……わかっていたことだけど、わたしと比べてずいぶん態度が違うじゃぁないの!


 もしわたしが同じことを言ったならば、アレクサンダー様は絶対零度もかくやというまなざしでわたしを睨みつける違いない。

 これまでのわたしの行いが招いた結果とはいえ、わたしの乙女心は傷つきますよ。お兄様が同じ班だと知った時は「なんでだー!」と叫びたくなったけれど、お兄様がいてよかった。お兄様がいなかったら、わたしはぼっち確定だったよ。


「お兄様、わたしは魔法が得意ではないですが、お役に立てるように頑張ります」

「うんうん、全然期待していないけど、頼りにしているよ」


 ……くそう! そこは「がんばりなさい」って励ましてくれるところでしょう⁉ 期待してないけど頼りにしてるって、全然頼りになんてしてませんよね⁉


 どうしてわたしは、これまで真面目に勉強してこなかったんだろう。

 前世では家が貧乏で塾にも行けないどころか参考書すら買ってもらえなかったけど、今のわたしは公爵令嬢だ。望めば最高の学習が受けられる立場だったにもかからず、わたしは十七年間なにをしてきたのだろうか。

 もちろんわかっている。美を追求することに全力投球していたのだ。その探求心が少し勉強の方に向いていたら違ったのかもしれないのに、マリア、あんたは本当に残念な子だわ……。


 前世の記憶を取り戻しても、わたしがマリアだったことには変わりない。

 マリアの記憶も思考もすべてわたしの中にある。前世の記憶を取り戻したところで、マリアはわたしだ。そしてわたしはマリアだ。ただ、これまでの残念思考が、前世のわたしの思考と溶け合ったことで多少なりともまともになっただけである。


 ……だから本質的なところの「勉強嫌い」は変わっていないにはいないんだけど、さすがにこのままはまずい。今年からはちゃんとお勉強して、下の下の成績がせめて中の下くらいになるまでは頑張りたい。


 そこで、成績トップを目指すぞーと無謀な目標を掲げないのがわたしである。わたしは自分自身のスペックをよくよく理解しているからだ。自己分析によると、中の下がわたしの限界値だろう。

 アレクサンダー様が先導して、そのあとに新入生二人が続く。

 わたしとお兄様はそのあとを仲良く並んでついて行った。


 ……片道、徒歩で三十分。以前のわたしなら「このわたくしに歩けというの? いますぐ馬車を用意しなさい!」とか言っていそうね。もちろん前世の記憶を取り戻してレベルアップ(?)したわたしは、そんな顰蹙を買うようなことは言いませんけどね!


 ちょっと外へ行くにも馬車を使うお嬢様だったわたしは、体力がない。

 三十分歩くのも結構しんどいと思うのだが、頑張りますよ!

 そして、今日が終わった後は、ちゃんと体力づくりもするのだ。今のままでは貧弱すぎる。


「マリア、しんどくなったらお兄様に言うんだよ。『おにいちゃま、マリアを優しく抱っこして運んでくださいニャー』と言ったら運んであげるからね」


 誰が言うか‼


 本当、お兄様はわたしで遊びすぎる。

 契約結婚とは言え、今年の夏に妻になろうというわたしに対して、もっと優しくしようとは思わないのだろうか。


「お兄様、わたしだって歩くくらいできます! それに今日のわたしは一味違うのです! ほら! 見て下さい。疲れた時にいつでも水分補給ができるようにこうしてお水を持って来ているんですよ!」

「妙に重そうなリュックを背負っていると思ったらそんなものを持って来たのか。お前は本当にバカだね。非力なお前がそんなものを背負って歩いていたら、あっという間に体力の限界に達してへたり込むだろう。かしなさい」


 何故だ。褒められるはずが叱られたよ!

 お兄様がわたしからリュックを奪うと、肩に引っ掛けるようにして担ぐ。


「いったいどれだけの水を入れたんだ。やけに重たいじゃないか」

「五人分ですわお兄様!」

「……マリア、お前の優しさを踏みにじるようで、さすがの私も少々言いにくいが、何故五人分の水が必要なんだい? コップさえあれば、水くらい魔法で生み出せばいいじゃないか」


 ガーン‼

 そうだった。ここには魔法が得意なお兄様とアレクサンダー様がいたんだった!


 ……魔法が苦手なわたし基準で考えてたよ‼


「うぅ……、お兄様、かしてくださいませ。お水、捨てますから」

「せっかくお前が気を使って持って来たんだ。お兄様は力持ちだからこのくらいなんともない。捨てる必要はないよ」


 でも、魔法で水が生み出せるなら、わたしが持って来た水の出番はないはずだ。無駄に荷物を増やしただけである。わたし、残念すぎる!

 お兄様がぽんぽんと慰めるようにわたしの頭を撫でた。


「よしよし、お前はどうしようもない子だけど、優しい子だね」


 わたしのことを優しいなんて言うのは、お兄様とお父様とお母様くらいだろう。

 少なくとも学園の生徒の中でわたしを優しいなんていう人は誰もいないと思う。

 そのくらい、わたしは好き勝手に、他人の迷惑になることばかりしてきたから。


「……あのね、お兄様。実はお水の中に少しだけレモンと蜂蜜を落としてきましたの。疲労回復にいいんですよ」


 スポーツドリンクのようなものを作ろうかと思ったが、この世界の人は飲み慣れていないので嫌な顔をされるかもしれないと思って、レモンと蜂蜜で薄く味をつけただけにしておいた。


「おや、そうなのか。じゃあ、魔法で生み出す水よりも優秀じゃないか。なおさら捨てる必要はないねえ」


 お兄様は意地悪だけど、優しい。

 わたしは「えへへ」と笑うと、自分からお兄様と手を繋ぐ。


 そう言えば、お兄様にこんな風に甘えるのは、ずいぶんと久しぶりだなと思った。



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