十日目
① 栄の屋敷の再捜査、ルーチェの想い、神棚――森の毒の出所と小山過という鍵
翌日、私たちはもう一度栄氏の屋敷を調べることにした。明石氏の話によれば、屋敷のどこかに地下シェルター街への入口がある。分かっているのは有無だけだから、位置と現状を確認する必要があった。再利用に伴う修繕で入口が既に潰され、あるいは埋められている可能性も十分にある。しかし、仮に今もそれが利用可能な状態で存在していたなら犯行の手段に対する見立ては大きく揺らぐことになる。
「ねえ、君はクローバーが犯人だと思ってる」
床を検める私に、壁を調べるウェールスがおずおずと訊いてきた。
「いや。今のところ犯人像は当初の見立て通りかな」
「でも、その理由ってさ。存在しないからってだけなんだよね」
「ああ」
しばしの沈黙。私が笑っていることに気づいて気恥ずかしそうに、
「めんどくさいことやってるって分かってるよ」
昨日はクローバーは既に学府を去って居ないから犯行は不可能だと主張していた。ところが今の彼女が欲しているのは「できない」理由でなく「しない」理由なのだ。思うに、逢坂氏が求めるものも。
「明石氏の主張と諸々を総合すると、仮に犯人がクローバーなら、学府の人々全体を守るため、その手段であるW.S.を守るため事件を起こしたことになる。目的への冷徹な従順さから行なったわけだ。その点はどうも釈然としない」
ウェールスの表情がぱっと明るくなる。
「そうだよね。いくら旧式だからって簡単に心の秤が任務に傾くなんてことないよね」
任務に傾かなかったなら秤は逢坂氏に傾いたことになる。それは偏愛に他ならない。より広範の人々の利益よりも個人への執着を優先すると言うのだから。ところがその方が彼女の美学にはよほど適うらしい。私も人間らしいとは思うが、フーマニットが博愛よりも偏愛にこれほどにも素直に好感を抱くというのは恐ろしくもある。
「日記や逢坂氏の話から垣間見える彼女とは食い違う印象だ」
それにしても。フーマニットを信じ、人を疑うと言う私は一体何者だろう。
「入口は無いみたいだね」
「少なくとも屋敷の中には無さそうだ」
最後の一部屋となった書斎も調べ終わり、私たちは中庭に出た。
「中庭にあっても使いようが無いよね」ウェールスが指摘する。「ここまで来ても書斎には入れない。栄さんの居場所は分からないし、たとえ分かっても書斎じゃなかったらお手上げだし」
コアは高度な表現力を持たない。覚醒能力のような瀝青の使用はできないと先日、彼女が教えてくれた。覚醒者でも透視は難易度が高い。温度分布を視覚的に把握するといった具体的で道具的な機能を表現することも同様。使用者は限られる。使えば足がつくほどだ。
「だが、今何の価値も見出せないことをもって金輪際価値が無いと言うことはできない。調べた結果、中庭に入口があり、私たちが予想もしていない方法でそれが活きていた可能性は常にある」
「
「現代人の基本的な発想だろう。まあ、話は単純さ。思い込みで手を抜いて後悔したくはないだろう」
「そうだね」
私の言葉に彼女は笑って頷いた。
「入口、見つからないね。やっぱり犯人は玄関から出入りしたんだね」
未だ興味の尽きない小さな古山水を橋の上から眺めてウェールスが言う。微笑ましく思いながら、
「そう考えて良いと思う」
答えて彼女を書斎に促す。
「課長さんが来るんだよね」
「ああ、頼んでいた調べものが分かったらしい」
「そっか」うーんと言いながら伸びをして、「あ、待ってる間に訊いて良い」
「答えられることなら」私がそう応じると、
「あれって何」
栄氏の死体があった壁際の暦、その真上を指差してウェールスが言った。
「神棚だね」
頽廃期の中で多くの共同体が情緒的紐帯を喪失して空中分解した。宗教を主題とする共同体も例外でなく、権威や空間、儀式、道具など、信仰心の証明のために規定され共有されたあらゆる構造が拒絶、破壊された。この一連が優れた透明感で進行したために、宗教は共同体崩壊の見本と呼ばれる。
一方で人は信じられずとも信じずにはいられない生き物だ。信仰は対象と個人の完全な二項関係の中で成り立つものに変化して存続する。この極度に個人的で内向的な営みとなった信仰に多神教信仰が当初、適応する(勝手教)。ところがこれが進むと様式が無いことに人々は不安を覚える。勝手教は本人が信じる限りには信じているという代物だ。証明が無い。そこで、信仰の構造はそのままにかつての一神教の様式を取り入れるという悲痛な冒涜的行為に打って出た。今日の一般的な信仰態度である「方法的一神教(方法教)」だ。方法教の様式への忠実さはほとんど必然的に実に恣意的で、その実践は折衷的で雑多だ。
簡単な歴史の話をウェールスにした上で、
「神棚は学府で比較的目にすることの多い信仰の実践形態だ」
「へぇ」神棚を見上げ声を漏らす。かと思えばさっと青ざめて、「だ、大丈夫。指差しちゃったけど。文化侵犯とか言われない」
「大丈夫さ。ここにいるのは君と私の二人だけ。私の胸三寸だ」
「大丈夫じゃない」
怯え嘆く彼女を見て笑う。私の品性を一言二言詰った後、彼女は神棚の下で祈りを捧げた。窓の無い部屋だ。彼女を照らすのは天井に吊られた人工の光に過ぎない。それでも様になった。こちらに戻ってくるまでの姿さえも。ぱっと顔を上げ、私を見てはにかむ。
「僕に神がいるかは分からないけど」
ウェールスの頭に手を乗せる。
「君と君の信ずる神の間に仲立ちは存在しない。信じるなら君にも神はいるだろう」
そう答えると彼女は愉しげに笑って、
「伝道者のようだね」
「だとしたらとんだ詐欺師だ。言っていることとやっていることが全く矛盾しているんだからね」
と、書斎の開かれた戸が叩かれた。
「何から話したもんかしら。毒の話からにしましょうか」
課長に頼んでいた調べ物の一つが毒の出所と森氏に渡った経路だった。学府で製造される毒物には不純物が混じる。成分や割合が製造元の手がかりになるわけだが、それらの記録を按察は今日まで集積してきた。出所は案の定、比較的速やかに判明した。栄技研が製造したものだった。
「栄技研。殺された栄さんの会社」ウェールスが尋ねる。
「今の代表は栄秀秋氏、殺された栄氏の息子だ」
「あの油男」
課長が顔を顰めた。栄秀秋氏は毒を横流ししていた。相手は、
「大家さんの奥さん、あの」ウェールスが驚く。
「紛失したものを何故か大家美央が持っていたと、まあ、そういう体で白状したわ」
彼女は逢坂氏に執心していた。同じく入れ込んでいた森氏の妻を疎ましく思い、森氏を唆して毒殺させた。後にこの件で彼は脅され、ウェールスの毒殺を企てる羽目になる。
「それともう一つ。小山過ね。正式な門下契約の記録は無かった」
大家氏は彼女を貴族の門下に出したと言ったが、虚偽だったわけだ。
「人身売買に巻き込まれた」
「そう思うわ。実はこの人身売買に栄秀秋が深く関わってるの。それで栄と小山には因縁がある。栄からの一方的なものだけど」
栄秀秋氏は小山さんに並々ならぬ執着心を抱いていたという。彼女は元々逢坂氏と一緒に栄氏に引き取られた非市民の子供だった。
「とても綺麗な子だったそうよ。それが不運だった。小山が大家の元で暮らすようになったのは栄が小山を犯していたから。逢坂にバレたみたいね」
その一件から栄秀平氏の計らいで大家氏が預かることになった。だが、それ以降も彼は執拗に小山さんを欲した。大家氏に彼女を譲るよう迫ったことも一度や二度ではなかった。
「栄秀秋氏が大家氏の妻と接近したきっかけは小山さんだった」
半ば独り言のように考えを口にする。課長が首肯した。
「大家美央が逢坂の気を引けるのは夫の財産があるから。そんな夫の傍に若くて綺麗な娘がいる。学は無いけど分別はある。嫌だったでしょうね、吐き気がするほど」
「二人の間で利害が一致していた、と」
「そういうことね。人身売買事件には複数の経済人が関与していた。他の連中が単純な金銭的利益を求める横で、栄には小山という具体的な標的がいた」
「小山さんの所在は」
「掴めてない。この件に関して栄を調べることはできそうにないわ。中央に後ろ盾が居る」
橘さんの話でも事件はそのような性質のものだった。課長は続けて、
「小山は栄の家に隠されているのかもしれないし、もう使い潰された後かもしれない。どうあれ、過酷な結末は迎えた後でしょう」
話を聞いていたウェールスが、
「どうしてそんなこと。大家さんは突っ撥ねるはずでしょ」
その指摘は正しい。大家氏が頑なに拒絶してきたから、秀秋氏は美央氏に接触するという迂回を必要とした。だが、事実として大家氏の元に小山さんは居ない。
「大家氏の発言を信じるならば、小山さんの方から離れていったことになる。大家美央氏が何らかの口実で彼女を脅し、そうするよう仕向けたのかもしれない。大家氏の目を盗んでね。小山さんは大家氏に嘘をついて去っていったわけだ」
「大家さんは小山さんが新天地に向かうと思っていたから止めなかった」
私の説明にウェールスが一定の納得を示したところで、
「どうかしらね」
課長が疑義を差し挟む。彼女の見解は悲観的なものだった。
「大家は自らの意思で手放したんだと思うわ。讒謗か脅しか、利を喰わされたか。まあ、なんだって同じね。最後は負けたのよ」
「そんな」受け入れられず俯くウェールス。
「傍にいる者を軽んじ、遠くの言葉を選び取る。そうして独り善がりに甘美な後悔に浸るのよ。よくあることよ」
課長が誰にでもなくぶつけた言葉は、どこか恨めしい響きを持っていた。
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