第52話

 ああ、二人にしたのがまずかったなぁ。でも、まさか妊娠だなんて、……。……芸人がジルの頭の真中で餅をついていた。

 ちょっと妬けるなぁ。ボクもしたかったなぁ。できるのかなぁ。……身体の真中がゾワゾワした。

 クライヴ、高校生にしてパパかぁ。元の世界に戻ったら、同級生も両親も、びっくりするだろうなぁ。ちゃんと育てられるのかなぁ。戻れたらだけど。

 人間と青人のミックスって、どんな姿になるんだろう?……黄色と黄緑色の斑の赤ん坊のイメージが浮かんだ。

 ああ、まだ幻覚を見ているのかも。……ギュッと目の前にあるマメの頬をつねった。

「痛い! ジル」

「あ、ごめん。つい……」

 ジルは上半身を起こした。

「……マメさん、あなたってケシ科? それともアサ科?……それでボクは幻覚を見たんだよね?」

「私、分からないケロ」

 獣人が大きな施設を作って青人を集めて飼育しているのは、……考えるのもおぞましいことだけれど、……産まれる赤ん坊を手に入れるだけでなく、幻覚作用のあるガスもなんらかの関係があるに違いない。

「マメさんたちは、ガスで幻覚を見ることはないの?」

「ないケロ」

「きっと免疫みたいなものがあるのね」

「そうだと思うケロ」

「マメさん、念のために訊くけど、妊娠っていうのは子供ができたということよね?」

 話ながら、馬鹿なことを言っていると自分でも分かっていた。でも、訊かずにいられなかった。

 クライヴとナニしたからといって、昨日の今日だ。妊娠を確信するのは、あまりにも早すぎる。でも、種族が違うから……。そうなのかも……。

「もちろんケロロ。百日後、産まれるケロ」

「ひゃ、百日!……早いのね」

「人間は違うケロ?」

 マメが小首を傾げる。その様子は、ジルでも守ってあげたいと感じるほどだ。

「人間は十月十日とつきとおかというから、三百十日かかるのよ」

「それは長いケロロ!」

 彼女が驚いた。

「そうね。長いよね」

 種族の違いを強く実感した。そんなマメとクライヴの関係は長く続くのかしら……。胸を圧迫したのは、疑問ではなく不安だった。

 嬉しそうにお腹をなでる彼女を見ると、不安を口にするのははばかられた。

多様性の時代だ。二人の愛を応援しよう。……強引な理性が不安を押し殺した。

 太陽が傾き、陽だまりだった空間も影にのまれていた。

 ブルブル、とマメがふるえた。ほぼ全裸なのだから、寒いのは当然だ。

「これを着て」

 ボタンが留められなくなったブラウスを脱いで、彼女に着せた。身体の大きさは似たようなもので、彼女もボタンが留められるわけではなかった。それでも、何もないよりましだろう。

「ありがとうケロ」

 彼女が微笑むと甘い香りがした。

 まさか、ガス?……察した時には手遅れだった。頭がくらくらすると同時に幸福感に満たされた。


 ジルはふかふかのベッドに座っていた。周囲は濃い霧で、何も見えない。

 なんだ、ここは? ありえない!

 これから何かが始まる。そうした確信とそれが何かという不安があった。

 霧の中に灰色の影が現れる。それが濃くなって黒く変わり、霧から出たそれはクライヴの形を作った。

「クライヴ!」

「ブヒ」

 クライヴの唇から飛び出したのはブタの声だった。

「トルガル?」

「ブヒ」

 ベッドに上がったクライヴが鳴いた。

「クライヴなの? トルガルなの?」

「ブヒヴヒブー(どっちもだ)」

 彼はそう応じるとジルの肩を抱き寄せた。

「やめて、クライヴはマメさんを愛しているのでしょ」

 そう言ったものの、身体には力が入らず、彼の成すまま。二人は全裸になっていた。

「やめて……」

 言葉だけで抵抗するジルの唇をクライヴの唇がふさいだ。

「ブヒヒ(やめて)」

 ジルは、自分の声に驚いた。ブタ語をしゃべっている。

「ブヒヒ」「ブヒヒ」

 何度言っても、ジルが発するのはブタ語だった。

「ヴブブゥブゥ(僕らはブタだ)」

 唇を重ねたまま、彼が言った。

「ブヒヒ」

「ブゥブゥズッヒー(ブタは幸せだぞ)」

 そうなの?……抵抗する気持ちが失せた。

 目の前のクライヴの顔がブタのそれに変わっていた。よく見れば、ジル自身もブタの姿をしていた。

♪ブタブタ仔ブタ、ブタブタ仔ブタ♪

 頭の中で歌うのはトルガル。明るい曲に快適なリズム。

♪ブタブタ仔ブタ、幸せ仔ブタ♪

♪ブタブタ仔ブタ、真ん丸仔ブタ♪

♪ブタブタ仔ブタ、アイラブ仔ブタ♪

♪ブタブタ仔ブタ、ユウラブ仔ブタ♪

 歌に合わせて、二頭のブタは愛を確かめあう。

 快感は言葉にならない。沼にはまったブタに言葉は要らない。

 二頭は飴のようにとけて一つのかたまりになる。

「ヴール、ヴール(ジル、ジル)」

 耳にざらついた舌が潜りこみ、鼓膜を、ジルの名を呼ぶブタ語が震わせた。

「もう無理、でもやめないで……」

 快楽が全身を震わせた。

「ジル、起きろ」

「止めないで」

「ジル、目を覚ませ」

 太い声がジルの快楽に水を差した。

「ん?」

 クライヴの声だと分かる。意識が明瞭になっていく。

「なんだ、濡れてるぞ」

 彼が笑った。

 また幻覚を見ていた。イヤラシイ夢を見て濡らしているところを、イヤラシイ顔をしていたところを、クライヴとトルガルに見られた。……事態を客観視すると同時に、恥ずかしさに顔が熱くなる。目が開けられない。彼の顔を見られない。

「見ないで」

 両手で顔を隠した。その手が、唇の端から流れていたに触れ、恥ずかしさが倍化した。

「見ないで!」

 彼に背中を向けるような態勢で身体を丸め、そっとをぬぐった。

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