第5話 痩せると噂の

 頭に血が上るのがよく分かる。何て奴。何て奴。何て奴という感想しか湧かない。


「だから何だと言うんです。お言葉ですが、それを疑うのはあなたの交友関係に問題があるんじゃないでしょうか。相手の事を、パートナーの事を信じられないんですか」


 八俣は両手をサッと広げ、目を瞑った。首を何度か揺り動かし、勉学に後れた生徒の世話を焼くかのように接してくる。


「いやいや、信頼するが為の通過儀礼さ。疑う事は信じない事と同意義ではないよ。むしろ、私は問いたい。信じていないのはどちらかな、とね」


「こちら側と言う気ですか」


 耳を、神経を疑うかのような言葉に八俣は肯定の意で返してくる。


「相手との子でなきゃ捨てられる、そう考えての事だろう。それを信用と呼ぶのか? いっそDNA検査を法で義務付けるべきだ。生まれてすぐ血液を調べるように、病気の有無を確かめるように、双方共にすっきりと育児に励む為にも、だ」


「それは──、別にそこまでしなくても」


「何故、そうまで拒むのか。信頼する相手との子供だろう。誰が親か、本人も知らないとは言うまい。どこに後ろ暗い事がある」


 極論だ。それは極論だけれど。言い返す言葉が見つからずに口の内側を甘噛んだ。


「よって、私はその子の親ではない」

 と八俣は結論付けた。


 一瞬、納得しかけてから過ちに気付く。いつの間にか一般論とすり替わっている。世間がどうのとそんな事は関係ないのだ。私は目の前の愛生ちゃん。この親子二人の話をしているのだから。ブンと首を振る。


「そんなの親だという事実を受け入れない言い訳、ただの現実逃避じゃないですか。あなたの身勝手な言い分、屁理屈はまかり通りませんよ」


「親ではない、当の本人が言っとるのだ。信じたまえよ。そもそも君が、私をその子の親だと言う理由はなんだ?」


「え」

 

 戸惑う。


 この子が言っていたから。写真を見た。署長からも事情を聞いていた。人を信じるのに、それ以上の理由は必要ないと思う。それに、それにだ、何よりも。


「子供が親を間違えるはずないでしょう」


「何だね、その根拠薄弱な理由は。そこながきんちょを信じて、なぜ私を疑うのか。子供は嘘をつかない、とでも言う気か? 大人は、嘘ばかりついているとでも?」


 またも口をつぐまさられる。妙な感覚。暖簾に腕押し、糠に釘だ。のらりくらりと気付けば話がはぐらかされてばかりいる。先手を打とうと、相手の言葉を借りた。


「ですが、DNA検査をされていないなら、あなたが親じゃないという確証もどこにもありませんよね」


 少しは動揺を見せるかと思ったが、八俣は眉をピクリとも動かさず易々と答える。


「証拠ならあるさ。ゆすりたかりの被害に合わぬよう、こういう事もあるかと思って一線を越えた相手に家族が増えていないかどうかを、十月十日後、必ず連絡するようにしてきたからな。どんな相手にもだ」


 驚き、ポカリと口が開く。


「うええ。あなた、そんな気持ち悪い事をしてきたんですか」 

 

「放っとけ、私の勝手だ。それに知らずに家族が増えるよりかは幾分とマシだと、私は考えるがね。結果、該当者は未だない」


 彼の妙な生態はさて置き、どうするべきだと自問自答する。彼の言った事が本当かどうか、わたしには判断がつけられない。


「愛生ちゃん」


 声をかけるが、俯いたまま反応がない。署長に確認を取った方が良いのだろうか、だけどそれは署長の言葉を疑うのと同じ。何が何だか、さっぱりとわからなくなる。すこし混乱し始めたわたしを眺め、八俣はやれやれと嘆息をついた。


「急に警察がやってくるので心配もしたが、こんなつまらん内容だとは。安心したよ、てっきり私はこちら関連だと思っていた」


 積まれていた段ボールを、ポンと叩く。そこにはスリムチックと印字されていた。どこかで見た覚えがあった。すぐに友達に勧められたダイエット薬だと思い出す。


「知ってます。痩せると評判の薬ですね」


「薬じゃない、ダイエット食品だ。そして痩せるかどうかは個人差による所が大きいという代物だよ」


 いかにも胡散臭い説明である。わたしは飲んだ事はないけれど効くと評判な物だ。それをこの会社で取り扱っているらしい。前評判は良かったが、八俣が関わっていると聞いただけで怪しげな物に思えてくる。


「本物ですか、それ」


「どういう意味だ。何を本物と呼ぶのかは知らんが、まあ痩せるぞ。何せ食欲を削ぐのだからな。食わなきゃ痩せるは必然よ」


 ますます大丈夫なのかと、怪しく思う。


「詐欺、では?」


「あいにく、法に触れてはいない。君たち警察の厄介になるような事にはならんさ。時々、悲劇は起きているようだけどもな」


 聞き捨てならず、目を光らせた。


「悲劇って?」


「食欲は削ぐのだが、効果が切れた途端に元に戻ってしまう。するとだ、元以上に食う愚か者が現れてくるのだよ。食えば太る、自然の理と思わんか。文句なら理に言え」


 八俣は肩を竦めた。事が済んだら友達に連絡するとしよう。すぐにスリムチックを捨てるようにと。でも、その前に。


「わたしが警察と、なぜ知っているんです」

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