第12話 王都【サカルドニア】攻略戦 ~その四~

 玄室を思わせるような、暗く沈んだ室内の中で。

 

 「ア、グッ……」


 一人の小鬼ゴブリンが、耐えかねるかのように膝から崩れ落ちた。

 白く濁るその眼球の奥の瞳孔は開き、脈拍も、呼吸すらもない。

 ——息絶えていた。


 最早、ピクリとも動くことは無い深い緑の体躯が灰になって消えていく。

 一瞬の後には、何も残らない。


 周囲の亜人種デミ・ヒューマンたちも、同様に、苦しみ、藻掻き、足掻きながら消えていく。


 「苦しい……!苦しいよ……ッ!」


 「大丈夫、大丈夫だから……!」


 人面豚オークの母子も、その例外ではない。

 昏き死が、忍び寄っていた。


    ◆


 「ラアッ!」


 カミーアの剛拳がシュウの鳩尾に食い込む。


 「——ッア!」


 意識が飛びかけながらも必死で直立を維持しようとするシュウの太腿に、ナイフが突き刺さる。

 イユレが跳躍しながら投擲したナイフ。

 

 「セイッ!」


 ガクン、と態勢を崩したシュウに剣戟が襲い掛かった。


 縦の右手一閃の隙を埋めるかの如き、短剣の一突き。凌いだ時には既に右手が横薙ぎに備えて引き絞られている。


 首を狙った軌道のそれをバク宙で回避、続けざまに振り下ろされる短剣を地面に転がって躱す。


 「ラァァッ!」


 やけくそ交じりの一撃。仰臥の体勢から体を捻って右足の蹴りを叩き込もうとするがこれは長剣の鍔に防がれる。


 「セイッ!」

 

 カウンターの斬撃がシュウの胸元を深く抉った。

 深手にシュウの口から血が溢れる。何回味わおうと慣れることのない、鉄の味。ツンとした匂いが口内を満たす。


 「——<砲弾キャノン>!」


 爆発。動きが止まったシュウの体に容赦なく一撃が叩き込まれた。

 寸前で甲殻の<武装アームド>を発動し、致命傷だけは回避するものの衝撃は殺しきれず吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。


 「——ァ、ズ……!」


 死ぬ。

 死ぬ。死ぬ。

 死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ——


 冷えてゆく体がアラートを放つ。

 恐怖。

 例え復讐者を気取っても、怪物たらんと心を固めても、恐ろしいものは恐ろしい。


 ギャアアアッ!

 轟音と火花を挙げながら、城壁の頂上に設置されたレールに沿って南門の防衛兵器が西門に姿を表す。


 「すみません!遅れました!これより火力支援、開始します!」


 兵士達が叫びながら兵器のトリガーを引いた。

 バリスタ、大砲、ガトリング。選り取り見取りの兵器達が一斉に火を吹き弾幕を形成する。その数、100余機。ずらりと壁沿いに並ぶその威容は、空想の怪物にも似て。


 (――ッ、不味い!)


 どうにか身を起こしているものの、回避は間に合わない。触手で防御しようにも数が多すぎる。


 「グッ……ァ……!」


 雨霰と叩き込まれる矢弾の数々がシュウの体に穴を開けていく。全身から血が噴出する。

 どうにか頭や内臓と言った致命部位だけは甲殻の<武装アームド>で懸命に守るものの、それ以外の末端はどうにもならない。


 (ヤバい、甲殻の<武装アームド>が持たない!このまま動けなけりゃ頭ブチ抜かれて終わる!せめて足だけでも――)


 激痛の中、それでも補修するべく肉塊を体内に生成しようとするシュウに、


 「——この弾幕の中じゃ、俺たちは攻撃できねえって踏んでただろ。」


 土塊兵ゴーレムの右腕が叩き込まれた。

 土塊兵ゴーレムは多少の損耗を無視して戦闘行為を継続できる。この弾雨の中でも戦闘が可能である。


 「ク、ッソがァァ!」


 毒づきながら触手で殴りかかるシュウ。

 太腿の筋肉が絶ち切られているからか、その動きはぎこちがない。

 叩き潰した土塊兵ゴーレムから散る瓦礫を掩体に弾幕域を一時離脱。

 

 ——どうにか、どうにか態勢を、立て直す隙を。


 「――<猟30-06弾>spring-field。」


 決死の防戦を強いられるシュウの思考を切り裂くように、イグニスの声が飛ぶ。

 先ほど北門でこれに煮え湯を飲まされているシュウとしては、反応せざるを得ない一言。


 「——ッ!」


 高密度のエネルギー体がシュウの頬を掠めて彼方に消えた。間一髪で首を逸らし、どうにか回避を成功させたものの、目の前の脅威に専心したシュウはそれの接近に気が付かない。


 「——カミーア卿!」


 「——応ともさ!」


 「ゴアッ!?」


 地面スレスレを滑るように近づいた浮上型土塊兵ゴーレムがシュウの腹に直撃。重量のある一撃にシュウが怯む。

 その瞬間にカミーアは、シュウの視界外——頭上に消えている。


 「――土剛脚!」


 カミーアの脚部に土砂が収束し、巨大なレッグアーマーが形成される。

 完全な不意打ち、意識外からのオーバヘッドキックがシュウの脳天に突き刺さった。

 首根っこが引き抜かれそうな程の衝撃。白く飛んだ意識がシュウの体のバランスを失わせる。


 「終わりにしましょうか——」


 「ここ以外に機はない、仕留めるぞ……」


 イグニスが右手を突き出し、壁上の砲兵たちが標準を合わせる。


 「——<砲弾キャノン>!」


 「……ーッ!!」

 

 業火と爆音が、シュウの全身を包みこんだ。

 

    ◆


 いつまで弾雨がシュウを打っただろうか。指揮官が声を上げる。


 「撃ち方、やめ。イユレ卿が首級しるしを挙げられる」 


 半死半生と言った体のシュウに、イユレがゆっくりと歩み寄る。

 寄ってみれば、傷がないと言える箇所がない。銃創、矢傷、火傷、打撲、骨折、欠損。

 ありとあらやる傷痍が、彼の体を埋め尽くしていた。

 息があることが奇妙と言える惨状。


 「ゥ……ァ……」


 「……終わりですね。思っていたより、あっけない」


 呻く頭を足で踏みにじって固定。咎人にそうするが如く、罪人の首を落とすが如く、右手の剣を振り上げたイユレの姿は、処刑人にも似て。


 ――終わる。終わる。終わる。

 何もかもが途絶えるあの不快感と共に、世界が終わる。自らが終わる。

 

 逃れ得ぬ死が、抵抗出来ぬ終焉が。確かな痛みを伴って落ちてくる。

 ならば、受容する他ない。下手に抗えば、苦しみが増すだけ。ならば――


 なら――、もう――


 刹那、銀鈴の声が、シュウの耳朶を打った。 


 「チッ――見損なわせるなよシュウ、我に掛けたあの言葉は紛い物か?」

 

 最早誰が語ったかも分からぬその言葉。

 その言葉一つで、あの日の光景がノイズを伴ってシュウの脳裏に蘇る。

 

 無残な躯。甘く痺れる肉の味。血の匂い。赤く染まった地面。彼女の言葉。彼女の笑み。彼女の、彼女の、彼女の、彼女の彼女の彼女の――

 幾星霜経ようと、決して忘れえぬであろう、あの日の地獄。


 ――ああ、そうか。


 ――これは、呪いだ。


 目を逸らすことなど断じて出来ないあの日、あの時に歪み果てた俺の生きる意味。自らの身を縛り付けて決して離さぬ行動指針。


 そうだ、思い出せ。

 お前はあの日、何を誓った?

 お前は今、何を捨てようとした?


 一瞬、ただ一瞬だけでも、俺は楽になろうとした。高々死を言い訳にして、怒りを、彼女の苦しみを捨てようとした。俺が、背負わなければならない業を。


 ――それは、罪だ。

 彼女の生を嘘に貶める罪科だ。自らが奪った命からも目を背ける罪過だ。


 許されない。

 終われない。

 まだ死ねない。


 シュウの全身を殺意が満たす。

 触手とは思念で動かすもの。彼の怒りと殺意に反応した圧縮筋繊維が活性化し、傷口を瞬く間に埋めていく。

 片方が欠けた視界が燃えるような錯覚。萎えた両腕に力を込める。

 顔面を土と泥に塗れさせながら立ち上がる。自らを踏みつける邪魔な足は強引に払いのける。

 

 「——赦さない。」


 「えっ——」


 突然のことに体のバランスを崩したイユレの顔面に、復讐者の触手が伸びた。

 その一撃はカミーアが生成した土塊兵ゴーレムが防ぐものの、発生する衝撃でイユレは弾き飛ばされる。


 「ガッ―—!」


 「大丈夫かイユレ!」


 「はい、何とか、カミーア兄ィ……」


 「野郎、あれだけしこたま撃たれて、まだ余力を残してやがったってのか……!?」


 カミーアが冷や汗を流す。


 「……ガラにもねえこと言ってくれる。お陰で目が覚めた、ありがとうな」


 顔を拭いながらシュウが横に舞う妖精に話しかける。


 「感謝される謂れなどないわ。我は共犯者として当然の叱咤をしたまで。この程度の演技で動くのなら安いものよ。というか貴様、腑抜けすぎじゃぞ、見ておれぬ」


 「へーへー、そう言うことにしときましょう。1000年の間で素直な話し方とか覚えなかったのか?」


 「貴様、根本的に我の事舐めておるな?」


 「まぁ、何はともあれ……」


 黒く変色したの中指がベキリと音を立てる。キュリアス戦でも披露した、圧縮筋繊維製の義手による欠損の再生成。


 深く息を吐く。

 竜の息炎にも似た、怒りの籠もった息。

 周囲の空気が濃度を増したかのような錯覚を全員が覚える。


 「……反撃開始だ。」


 呟くと同時に触手が展開される。

 全身に溜め込まれた力が解放の時を待ちわび、今か今かと嘶く。


 嗤う血塗れの異形を見て、カミーアは。


 「——ありゃ、本物の怪物だ。」


 そう、誰にともなく漏らした。



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