第3話 忘れずにいたかった

 小さい頃、やたらと絡む女友達がいた。小学校で同じクラスになり、いつから仲良くしたかは覚えていない。毎日何かと話しかけられたし、放課後も、一緒に虫採ったりドッジボールやったり、オレの家でひたすらゲームしたり。だいたい手加減してやった。勝ちすぎると、アイツは決まってむくれるからだ。


 それが叶井結菜(かないゆな)だ。小5の夏に結菜が引っ越しをするまで、それこそベッタリつきまとわれた覚えがある。



「結菜……ほんとうに、お前なのか?」



 黒くサラサラな髪質のショートボブ。丸顔の奥二重。後ろ髪にアゲハ蝶の髪飾り。そして浴衣姿。白地に青いアジサイ柄で、桃色の帯を締めている。


 どこか見覚えがある格好だ。そう思ったとたん、鼓動がとつぜん激しくなる。呼吸も浅く、早く、目眩がしそうだ。耐え難いほどの痛みが走り、思わず手のひらを胸に押し当てた。ふさがりかけた傷にヤスリでもかけられたかのような、断続的な痛みに苦しめられた。



「いったい、なんでお前が、そんな姿で……!」



 あえぎつつ、どうにか言葉を吐き出した。しかし結菜はこちらの方を見ない。ただ扉の方をみるばかり。指先を所在なさげに動かしては、一方向だけを見つめていた。


 その視線の先から、ぶっきらぼうな声が聞こえた。



――わりぃかよ。つうか遅れたら面倒だろうが。さっさと支度しろ。



 次に現れたのは、見るからに態度の悪い少年だ。これはどうやら、昔のオレらしい。目つきの悪い、口をへの字に曲げた捻くれ者。頬にバンソウコウがあるのは、意地はってケンカした跡だ。この頃は生傷が絶えなかったと思う。


 幼い結菜も、かつてのオレも、今のオレなど見えていないようだ。たったの1度も視線は向けられなかった。



――お祭りまであと1時間はあるよ。急がなくたって良いじゃない。


――お前な。去年は散々だったろ。帯がどうのとか、忘れ物がどうとかで、すげぇ遅れて大変だったぞ。


――アハハ、そのせつは、ご迷惑をなんとやら……


――わかったら準備しろ。つうか急げ。遅くなると人混みでやばいんだから。


――でもさ、混んでたら好都合じゃない? 学校のみんなに見つからずに済むし。噂されるのが嫌なんでしょ?


――だから離れて歩く。間違っても話しかけてくんなよ。


――ええ! そんなのつまんない! 一緒に行く意味ッ!?


――お前を守るためだよバカ。変質者が出たから気をつけろって、先生が言ってたろ。


――んふふ。そうだよね。ワタルくんはナイト様だもんね。


――ニヤニヤすんな! つうか、準備終わってるならサッサと行くぞ!


――まってまって。今はキンチャクを選んでてね。


――どれだって一緒だろフザけんな!



 この時、オレは怒鳴ったかもしれない。待たされるのが本当に嫌で、色がどうのシルエットや組み合わせがだなんて理由で遅れるのは、とにかく腹がたった。


 だからオレはモテない。乙女心に対する無理解は、この歳からすでに始まっていたらしい。



――えへへ。これでどうかな? カワイイ?


――知るか。準備できたなら行くぞ。


――ねぇねぇ、向こうで何食べようか? わたあめ、かきごおり、リンゴあめ、それとねぇ……


――お菓子なんてガキくせぇ。っぱ射的だろ。特賞だと「追い込め報復の森」ってゲームソフトが貰えるらしいぞ。



 たあいもない会話を聞くうちに、ジワリとした懐かしさと、内臓をにぎりつぶすような痛みが、代わるがわる押し寄せてきた。


 どんな理屈で、この光景を見せられているかはわからない。ただひとつ確かであるのは、これは過去に一度体験したものだという事。



――それじゃあ行こっか〜〜!


――何度も言うが気をつけろよ。あぶねぇヤツには近寄るな。



 2人が鉄扉の向こうに消えていった。音もなくスウッと、さながら飲み薬が水に溶けていくように。


  

「今のはもしかして、地元の花火大会に行った時の記憶か?  結菜と一緒に……ッ!」



 瞬間的によみがえる、おぞましい悲劇。連動して腹がズキリと痛む。考える前に鉄扉の方へと駆け出した。



「お前ら、祭りには行くな! 事件に巻き込まれ――」



 扉を開けたら、その先にあるのは鉄格子。結菜も、子ども時代のオレも居ない。知り合ったばかりの女が、驚き顔を向けただけだった。



「おかえり……。どうしたの? そんなに慌てて」


「いや、その、ここに子供がこなかったか? 二人組の」


「来てないし、誰も見てない」


「そっか。そりゃ、そうだよな……」


「それより大丈夫? すごく顔が真っ青だけど」


「いや、何でもない……。変な事を言って悪かったよ」



 鉄格子まで歩み寄る。そして例のスマホを見せてみた。



「これ、さっき話してたやつ。見覚えは?」


「ううん。知らない。つうかスマホなんて持ってないし」


「今どき珍しいな。毎日不便そう」


「欲しいといえば、欲しいんだけどね」



 女の手がスマホに伸びた。その拍子にオレと指先が触れ合った。すると静電気でも走ったのか、鋭い痛みが走る。バチンと派手な音が鳴り、お互い咄嗟に手を引っ込めた。



「いってぇ……。大丈夫か?」


「今のは、もしかして……。そっか、そういう事なんだ」


「おい、どうしたんだよ。ブツブツ言って」


「ごめんね、何でもないから! そのスマホは使い方も分かんないから、ワタル君が持っててよ」


「オレだって詳しい訳じゃねぇぞ」


「いやいやいや、それよりもさ。何かあったの? すごく真っ青な顔してたよ。たとえば真夜中に、例のイヤな虫の大群を見つけた時みたいな」


「そんな顔してたか?」


「すごく辛そうだった。よかったら話してくれない?」



 オレたちは鉄格子を挟んで、腰をおろした。やるべきことは少ない。少年時代のトラウマを晒すか、スマホをいじくるかの2択で悩み、結局は前者を選んだ。



「言っとくが、楽しい話題じゃないからな」


「良いよ良いよ。打ち明けてくれたら、スッキリするかもだし」


「じゃあ話すけど。あれはオレが小学校高学年のころで――」



 小5の夏、オレは幼馴染の結菜にせがまれて、花火大会に行った。あまり気が乗らなかった。男友達の誘いも全部断って、オンラインFPS大会の練習に没頭する予定だった。


 だがその頃、町に変質者が出るとも聞いていた。結菜みたいな、人を疑わないヤツが一番危ない。そう思って予定変更。お守り半分、ガキの遊びに混じろうと考え直した。


 セミがバカみたいに鳴き、西陽(にしび)の差し込む大通り。そこは歩行者天国で、炭火の匂いで溢れていた。結菜はというと、しっぽを振る犬みたいにおおはしゃぎで、露天を片っ端から制覇していった。かきごおり、わたあめ、バナナチョコで口の周りがベッタベタ。チョコの汚れをぬぐったかと思えば、さらにリンゴあめにも手を伸ばす。


 晩飯がてらに焼きそば食うかと声をかけた頃、結菜はすでに破産していた。



「ほんとバカだよな、あいつ。マジでひたすら食ってたんだ。子供という事を考慮しても、全然計算の出来ないヤツだったよ」


「きっと、嬉しかったんじゃないかな。大好きな人とお祭りに行けて」


「好き? どうだろうな。聞いたこともないし」



 結局、焼きそばは半分ずつ食べた。それからは射的にも挑戦。自信満々で挑んだものの、結果は残念賞で、ゴム製の謎キャラおもちゃを授かった。クソいらねぇ。知らない子が欲しがったから、その場でくれてやった。


 やがて混雑がひどくなり、大通りが人で満ちる。結菜が情けない声で「ワタルく〜〜ん」と泣く。うるさく思って、結菜の袖を掴むことにした。



「すごい人混みで、まともに移動もできなかった。そうするうち、花火があがった」


「そうなんだね。たのしかった?」


「結菜はチビだから、見えないとか騒いでた。だから、見通しの良さそうな方へ行くことにした。オレ達は、ひとけの無い方へ、河原まで……」



 河原は人影もほぼ無かった。あたりはすでに真っ暗で、外灯も少なく、どこに誰がいるのかも分からない。ともかく結菜だと思い、袖をつかむ手に力をこめた。


 花火の見える場所を探そうと思ってウロついていると、突然、強い力で引っ張られた。結菜がころんだのか。イラついた視線を向けると、そこには見知らぬ大男がいた。結菜の口を手で塞ぎ、そのまま茂みに連れ去ろうとしていた。


 オレは全力で叫んだ。結菜を離せと。殴りかかり、蹴り上げ、噛みつきもした。しかし、相手は自分よりも倍は大きな成人だ。追い払うどころか、強烈な反撃を食らってしまう。どこを殴られ、蹴られたのかも覚えていない。この時だけは、不思議なくらい身体の感覚が消えていた。



――待ってろ結菜、必ず助けを呼んでくる!



 そう言い残して、その場から離れた。どうにか人の姿を探し求め、人影を見つけるなり、すがりついた。相手は高校生くらいの男だったと思う。



――おい、お前。その怪我はどうしたんだよ!?



 たしか、ここで気を失った。オレの肩を抱きかかえる仕草が、あまりにも頼もしく、気が緩んだのかもしれない。



「実を言うと、この辺は記憶があいまいなんだ。オレはオレで危なくて、緊急手術が必要になった。腹を蹴られまくったのが、致命傷レベルの怪我だったらしい」


「でも、助かったんだよね?」


「どうにかな。そのかわり長期入院させられたよ。おかげで、看護師さんから可愛がられた覚えがある」


「そういう事は覚えてるんだね」


「うるさいな。話を続けるぞ」



 入院中、お見舞いは多かった。クラスの連中に、担任、親戚。たまに警察も来た。だから、それなりに忙しかったが、結菜だけは1度も来なかった。


 だから母さんに聞いた。結菜は無事かと。そうしたら短い返事があった。あの子の事はお前のせいじゃない。だから気にするな、忘れろと。何度も何度も聞いてみたが、答えは一緒。忘れろとだけ言う。


 担任は、結菜の一家が都内に引っ越しをしたと教えてくれた。クラスメートは、誰も結菜の行方を知らなかった。新しい連絡先も、引越し先さえも。



「オレのせいなんだ、全部……」


「どうしたの? 何が?」


「オレがもっと強ければ守ってやれた! オレが河原になんて連れてかなきゃ、事件に巻き込まれなかった! そもそも祭りに連れていかなきゃ!」


「落ち着いて? 深呼吸しよっか、深呼吸」


「全然守れてねぇじゃん、クソガキが……。簡単に人の人生しょいこんで、無様にミスってんじゃねぇよ!」


「そんな事ないよ、立派だったと思う。必死に守ろうとしたじゃない。そもそも悪いのは犯人でしょ?」


「それだけじゃない。あれだけの事件があったのに、オレはのうのうと生きていた! ちゃんと覚えてるはずだった、忘れたつもりは無いのに……。結菜の家だって、なかなか気付けなかったんだよ!」


「大丈夫だよ、大丈夫。そんなに思い詰めないで」


「クソッ。なんで忘れちまうんだ……。あの日のことを覚えていることが、せめてもの償いだったのに」


「生きていくのって残酷だよね。良いことも、イヤなことも、少しずつ色あせていっちゃう。結局は、自分の毎日のほうが大事になるんだよね」


「オレは嫌だ。いつまでも、ジジイになってボケても忘れたくない」


「……ねぇ、私からも1つ聞いてもらって良いかな?」


「オレに? 薄情で忘れっぽくてどうしようもないクソ野郎に?」


「すねないでったら。良いから聞いてよ、あのね……」



 その時だ。室内は突然、大きな振動で揺さぶられた。同時にけたたましい音も響く。そばの鉄扉からで、何者かが蹴破ろうとしているらしい。



「なんだよ、一体誰が!」



 振動は2度、3度、4度目は無かった。鉄扉は力なく開き、何者かを招き入れてしまう。


 現れた何かを見て、オレは凍りついてしまった。人間のようだが、その姿は尋常じゃない。背丈は2メートルをゆうに超え、筋肉質な身体も大きく膨れ上がっている。とても同じ種族とは思えなかった。



「ばっ……バケモノ……!?」



 その生物は黙して語らない。ただ無機質な視線を、ジッとこちらへ向けるだけだった。


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