一五、絶好の機会

 翌日。昼休みにトイレから戻る途中、何やら向こうが騒がしいなと思っていたら二組からにやけた宮野くんが飛び出してきた。何か黒いものを手に握りながら僕の隣を抜けて逃げるように走る。その際ほんの一瞬だけ目が合った。

 次いで泉くんが鬼の形相を浮かべて飛び出した。しばしば見かける光景なのであまり驚きはない。

 泉くんは走り去る宮野くんを見て追いかけるのを諦め、立ち止まり舌打ちをする。


「どうしたの」

 近寄って訊く。

 泉くんは僕の存在に気づいて少し目を見開き、それから怒り眉になる。

「あいつ、俺の筆箱盗りやがった」

「ああ……」

 眉根を揉む。相変わらず二人の中はよろしくない。いがみ合ってばかりだ。そういえば宮野くん、何か持っていたな。泉くんの筆箱だったのか。

「返してもらうよう言ってみるよ」

 人の物を奪ったり隠したりして遊ぶのは度が過ぎるとからかいでは済まされない。このまま放ってはおけないね。


 宮野くんのあとを追おうとしたが、泉くんに腕を掴まれた。痛い。

「やめろ。お前の出る幕じゃない」

「……力、強いね」

 突き放すようなことを言われて落ち込む。まあ確かに僕は誰かを強く注意したことはないし、力もない。


「でも、困るでしょ?」

「あ?」

 寄り添ったつもりが、すごい睨まれてしまった。そうだった。泉くんは助けてやろうなどと思われるのが嫌なんだ。思い上がるなと言われていた。

「俺は何も困ってない。予備の筆箱がある。勝手に同情するな。お前には関係のない話だ」

 語気強く関係ないと言われ、胸が痛む。

「……でも」

 戻ってこなかったら大問題じゃないか。

「だが……あいつには因果応報という言葉を知ってもらわないといけないな」

「…………」

 ドスのきいた声に目を伏せた。手の平にこぶしを打ちつけて怒り心頭に発する泉くんを前に、何と言えばいいかわからなかった。彼が怒るのは当然で、僕に止める権利などない。かといって彼の報復に加担するつもりもない。どっちつかずだ。泉くんに突きつけられた言葉が刺さった。そうだよね。これで頼りになるはずがない。

 でもこれ以上宮野くんと揉めてほしくないんだ。みんなに疎まれてほしくない。僕も、疎まれたくはない。

 

 泉くんと友達になろうと思い立ってから三週間ぐらいか。僕らの関係性はかなり変わったと思う。いくらか話せるようになった。しかしまだ泉くんに関する問題はまだ何も解決していない。個人的には泉くんに関わるなと忠告を受けた分、状況は悪くなったと言える。

 このままではいけない。


 当初の計画を思い出す。僕が泉くんの友達になることで、周囲との不和をなくす。泉くんと宮野くんを仲良くさせることはさすがにできそうにない。嫌いな人間がいるのは仕方のないことだ。だからせめて互いに距離を置いてもらう。

 その仲介を僕が担う。泰斗が言うような「ハートフル人間」だからこそできる役割が、言える言葉があるはずだ。柿原優子の弟である、僕ならば。

 

 泉くんはポケットに手を入れて教室に戻った。僕も思考を巡らせながら足を動かす。

 泰斗によって「学級委員長だから」という建前は通用しないとわかった。それならもう直接話すしかない。泉くんには止められたし宮野くんのリアクションは怖いけど、とにかく動かないと。本気で向き合わないといけない。



「柿原」

 教室に入ろうとしたら、ドアにもたれて立っていた島尾くんに不意に話しかけられ驚いた。

「何?」

「いや、その」

 島尾くんはしばらく何かためらうような仕草をしていたが、意を決した眼差しになると斜め下のほうを指差した。

「あっちの端にある階段の、一階のところに行ってくれ」

「……どうして?」

 何が何だかわからなくて首をかしげる。

「宮野が待ってる」

「え、宮野くんが?」

 聞き返すと島尾くんはバツが悪そに視線を逸らした。宮野くんはさっき泉くんの筆箱を盗って逃げていたはずだ。一体どういうことだ。


 一階端の階段といえば、普段使われない非常階段のことだ。人気がなく、内緒話をするのに最適な場所だろう。そんな場所に島尾くんを介して宮野くんが僕を呼び出した。

 ……嫌な予感しかしない。

「柿原、俺は別にお前に恨みはないし、むしろ良く思ってる。だから助言する。とにかく大人しくしておいたほうがいい。変な正義感出して、困るのはお前だ。そうだろう?」

「……」

 顔が曇る。


 これでもう呼び出しが明るい用事でないことは確実だ。呼び出されたと聞いた時点で察していたからいいけど。何の用かも明らかで、泉くんのことに違いない。僕が忠告を聞かずに関わり続けるから、痛い目を見せようということだろうか。

 ……嫌だな。島尾くんの言い方的にはまだ最後の忠告をされる段階みたいな感じっぽいけど。

「お気遣いありがとう。……行ってくるよ」

 島尾くんに手を上げて、階段に向けて重い足取りで歩く。


 強制的に退路は断たれた。もう本当に向き合うしかなくなった。あまりの急展開にこれは現実なのかと疑いたくなって、頬をつねる。うん、紛れもなく現実らしい。

 いやー、正直なところ、頭が真っ白だ。


 しかしこれは宮野くんと腹を割って話す絶好の機会だ。僕の器が試される。本当に「みんな仲の良いクラス」を作ることができるのかと。

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