第8話
城田光は、影村に到着して数日が経過していた。村の雰囲気に慣れ始めていたものの、その不気味さは依然として彼の心に重くのしかかっていた。朝霧の立ち込める村の中心部を歩きながら、光は妹・美咲の笑顔を思い出していた。彼女の死から5年、真相を知るために光はここにいた。
「おはようございます、城田さん」
突然、背後から声がかかり、光は思わず身を震わせた。振り返ると、村長の娘である佐藤美雪が立っていた。彼女の瞳には、何か言いたげな様子が浮かんでいる。
「ああ、美雪さん。おはよう」
光は微笑みを返したが、その表情には緊張が混じっていた。美雪は周囲を見回すようにして、光に近づいた。
「昨晩、おかしな音が聞こえませんでしたか?」彼女は小声で尋ねた。
光は首を傾げた。「音?どんな音だ?」
「影の館の方角から…まるで誰かが叫んでいるような…」美雪の声は震えていた。
その瞬間、光の脳裏に妹の最後の姿が蘇った。美咲も同じように、誰かの叫び声を聞いたと言っていたのだ。
「美雪さん、その話は他の誰かに…」
「いいえ」彼女は首を振った。「父や村の長老たちには言えません。彼らは…何か隠しているんです」
光は周囲を警戒しながら、美雪の腕をそっと掴んだ。「詳しく聞かせてくれないか?」
二人は人目を避けるように、近くの古い神社の境内に入った。苔むした石段を上がりながら、美雪は小声で話し始めた。
「私たちの村には、長年伝わる儀式があるんです。『影の継承』と呼ばれるものです」
光は息を呑んだ。これが、彼が探し求めていた手がかりかもしれない。
「その儀式とは、どんなものなんだ?」
美雪は躊躇いながらも、話を続けた。「詳しいことは私にもわかりません。ただ、20年に一度行われ、その度に村から何人かが姿を消すんです」
光の心臓が早鐘を打ち始めた。美咲が失踪したのも、ちょうど20年目の年だった。
「そして、その儀式が行われる場所が…」
「影の館か」光が言葉を継いだ。
美雪はゆっくりと頷いた。「はい。でも、誰も立ち入ろうとしません。あの館には、何か恐ろしいものが潜んでいるって…」
話し終えた美雪の顔は蒼白になっていた。光は彼女の肩に手を置き、励ますように言った。「ありがとう、美雪さん。この情報は大切だ」
その時、遠くから鐘の音が響いた。美雪は慌てたように立ち上がった。
「もう行かなきゃ。父に見つかったら…」彼女は言いかけて止まった。「気を付けてください、城田さん。この村には、表面に見えない闇があります」
美雪が去った後、光は長い間、苔むした鳥居を見つめていた。彼の心の中で、決意が固まっていった。今夜、影の館に忍び込むことを。
夕暮れ時、光は準備を整えていた。懐中電灯、ロープ、そして万が一の時のための護身用ナイフ。彼は深呼吸をして、宿を後にした。
村はすでに静まり返っていた。街灯もほとんどなく、月明かりだけが道を照らしている。光は影の館に向かって歩き始めた。近づくにつれ、空気が重く、冷たくなっていくのを感じた。
そして、ついに影の館の前に立った光。朽ちかけた木造の大きな建物は、まるで彼を飲み込もうとしているかのようだった。入り口の扉は、驚くほど簡単に開いた。
中に入ると、埃と湿気の匂いが鼻をついた。懐中電灯の光が、古びた家具や絵画を照らし出す。光は慎重に歩を進めた。
突然、2階から物音がした。光は息を潜めて耳を澄ませた。かすかな足音、そして…泣き声?
彼は躊躇なく階段を上り始めた。2階の廊下は長く、両側に多くの部屋が並んでいる。泣き声はさらに明確になった。
最後の部屋の前で、光は立ち止まった。ドアノブに手をかけたその瞬間、泣き声が止んだ。代わりに、かすかな笑い声が聞こえた。
その声は、間違いなく美咲のものだった。
光は震える手でドアを開けた。そこには…
部屋は空っぽだった。しかし、壁一面に描かれた奇妙な模様が、懐中電灯の光に照らし出された。それは、人の影のような形をしていた。
光が部屋に一歩踏み入れた瞬間、ドアが大きな音を立てて閉まった。彼が振り返ると、ドアは消えていた。そして、壁の影が動き出したのだ。
「美咲…?」光は震える声で呼びかけた。
影は人の形を成し、光に近づいてきた。それは確かに美咲の姿だった。しかし、その目は虚ろで、笑みは不気味だった。
「お兄ちゃん、やっと来てくれたのね」影の美咲が口を開いた。その声は、現実とは思えないほど歪んでいた。
「これは一体…」光は後ずさりながら、懐中電灯を影に向けた。
「ここが私たちの世界よ、お兄ちゃん。影の世界。あなたも、ここに来るべきなのよ」
影の美咲が手を伸ばしてきた。光は咄嗟に身を翻したが、背後の壁も影で覆われ始めていた。彼は完全に包囲されていた。
「違う、これは罠だ」光は叫んだ。「美咲、本当の君はどこにいるんだ?」
影の美咲の笑みが更に広がった。「私はここにいるわ。そして、あなたもすぐにここにいるのよ」
影が光に迫る。彼は必死に抵抗しようとしたが、体が動かない。影が彼の足首を掴み、徐々に体全体を覆い始めた。
「やめろ!」光は叫んだが、声は影に吸い込まれていった。
その時、遠くから鐘の音が響いた。それは、美雪が話していた影の継承の儀式の始まりを告げる音だった。
光の意識が遠のいていく。最後に彼の頭に浮かんだのは、美咲の笑顔と、彼女を救えなかった自分への後悔だった。
そして、影の館は再び静寂に包まれた。新たな犠牲者を飲み込み、影の世界はその力を増していった。影村の闇の歴史に、また一つ新たな章が加えられたのだった。
光の意識が完全に闇に飲み込まれそうになったその瞬間、鋭い光が部屋を貫いた。影が悲鳴を上げ、後退する。光は床に倒れ込み、激しく咳き込んだ。
「城田さん!しっかりして!」
おなじみな声が聞こえた。目を開けると、そこには美雪が立っていた。彼女の手には、不思議な輝きを放つ古めかしい鏡があった。
「美雪さん…どうして…」光は言葉を絞り出した。
「説明している時間はありません。早く、ここから出ましょう」美雪は光を引き起こした。
二人は急いで影の館を後にした。外に出ると、村全体が異様な雰囲気に包まれていた。空には奇妙な渦が形成され、あちこちから悲鳴のような音が聞こえてくる。
「何が起きているんだ?」光は息を切らしながら尋ねた。
美雪は真剣な表情で答えた。「影の継承の儀式が始まったのです。でも、今回は何かがおかしい」
二人は村の中心広場に向かって走った。そこには多くの村人が集まっており、中央には村長や長老たちの姿があった。彼らは奇妙な詠唱を繰り返している。
「父さん!」美雪が叫んだ。
村長は娘の声に驚いたように振り返った。「美雪!お前はどうしてここに…」
その時、空の渦が激しく回転し始めた。地面が揺れ、人々の悲鳴が響く。渦の中心から、巨大な影の姿が現れ始めた。
「これは…」村長の顔が蒼白になった。「制御不能になってしまった…」
光は状況を把握しようと必死だった。「村長さん、一体何が起きているんです?」
村長は苦しそうな表情で説明を始めた。「影の継承は、村の安寧を守るための儀式だった。影の力を一人が受け継ぎ、村を守護する。しかし今回、その力が暴走してしまった」
「じゃあ、あの影は…」
「そう、過去の全ての継承者の力が一つになったものだ。もはや、人の手には負えない」
絶望的な空気が広場を包み込む。その時、美雪が一歩前に出た。
「まだ、希望はあります」彼女は手の中の鏡を掲げた。「これは、初代の影の継承者が残した『光の鏡』です。影の力を封じる力があるはず」
村長は驚いた様子で娘を見つめた。「そんなものがあったとは…」
しかし、状況は刻一刻と悪化していた。巨大な影の姿が完全に姿を現し、村全体を飲み込もうとしている。人々は逃げ惑い、混乱が広がっていく。
「どうすればいい?」光は叫んだ。
美雪は決意に満ちた表情で答えた。「鏡の力を最大限に引き出すには、純粋な魂が必要です。そして…生贄も」
「生贄だと?」
「はい。誰かが影の中に入り、内側から力を弱めなければならない。そうすれば、外から鏡の力で封じることができる」
一瞬の沈黙が流れた。そして、光が口を開いた。「俺が行く」
「だめです!」美雪が遮った。「あなたはこの村の人間ではない。影の力を受け入れられない」
「でも、誰かが行かなければ…」
その時、村長が前に出た。「私が行こう」
「父さん!」
「美雪、すまない。父さんは長年、この因習を守ってきた。その責任は、私が取らねばならない」
涙を流す美雪を後に、村長は巨大な影に向かって歩き始めた。光は村長を引き留めようとしたが、美雪に止められた。
「もう決まったことです。私たちは、ここで父の決意を無駄にしてはいけない」
村長の姿が影に飲み込まれていく。その瞬間、影の動きが鈍くなった。
「今です!」美雪が叫んだ。
光と美雪は、鏡を掲げて詠唱を始めた。鏡から眩い光が放たれ、影を包み込んでいく。影は悲鳴を上げ、もがき苦しむ。
村人たちも加わり、皆で力を合わせて詠唱を続ける。影は徐々に小さくなっていき、最後には鏡の中に吸い込まれていった。
空の渦が消え、静寂が村を包む。人々は呆然と立ち尽くしていた。
美雪は鏡を胸に抱き、涙を流した。「父さん…ありがとう」
その後、影村は大きく変わった。影の継承の儀式は廃止され、代わりに光と影のバランスを保つ新たな伝統が生まれた。美雪は村長となり、光の鏡を使って村を守護することになった。
光は警察に真相を報告したが、誰も彼の話を信じなかった。しかし、彼は諦めなかった。影村と外の世界をつなぐ架け橋になることを決意したのだ。
数ヶ月後、光は再び影村を訪れていた。村の入り口で、美雪が彼を出迎えた。
「お帰りなさい、城田さん」
「ただいま、美雪さん」光は微笑んだ。「村の様子はどうだ?」
「少しずつですが、変わってきています」美雪は村の方を見やった。「人々は過去の因習から解放され、新しい生活を始めています」
二人は村を歩きながら話を続けた。かつての暗い雰囲気は消え、代わりに希望に満ちた空気が漂っている。子供たちが元気に走り回り、大人たちも明るい表情で仕事に励んでいた。
「美咲のことだが…」光は慎重に切り出した。
美雪は静かに頷いた。「はい。父の犠牲により、影に囚われていた魂たちは解放されました。美咲さんも、きっと安らかになれたはずです」
光は胸に去来する感情を抑えきれず、目頭が熱くなった。「そうか…ありがとう」
二人が村の中心広場に着くと、そこには新しい慰霊碑が建てられていた。碑には、影の継承によって犠牲になった人々の名前が刻まれている。
「これからは、二度とこのような悲劇を繰り返さない」美雪は固い決意を込めて言った。「光と影のバランスを保ちながら、村を発展させていきます」
光は碑に手を置き、妹の名前を見つめた。「美咲、俺たちはやっと真実にたどり着いたよ。もう安心して眠れ」
その時、微かな風が吹き、二人の髪を揺らした。まるで、美咲が応えてくれたかのようだった。
「さて、これからどうする?」美雪が尋ねた。
光は村を見渡しながら答えた。「俺は、この村と外の世界をつなぐ役目を果たしたい。影村の真実を少しずつ世間に伝え、理解を得ていく。そうすれば、いつかはこの村も普通の村として認められるはずだ」
美雪は嬉しそうに微笑んだ。「それは素晴らしいですね。私たちも、外の世界のことをもっと学ばなければ」
「ああ、お互いに協力しながら、新しい未来を作っていこう」
二人は固く握手を交わした。影村の新たな章が、今まさに始まろうとしていた。
その夜、光は宿で日記をつけていた。
『影村の謎は解けた。しかし、これで終わりではない。むしろ、新たな始まりだ。この村には、まだ多くの秘密が眠っているはずだ。そして、それらの秘密は単にこの村だけのものではなく、人間の心の奥底に潜む普遍的な何かを示しているのかもしれない。
光と影。善と悪。これらの二元論では説明しきれない、もっと複雑で深遠な真理がここにはある。私は、その真理を追い求めていく。
美咲、あなたの犠牲は決して無駄ではなかった。あなたが遺してくれた謎が、多くの人々を救う鍵となったんだ。これからも、あなたの意思を胸に刻みながら歩んでいく。
影村よ、お前はもう孤独ではない。光の中に影があり、影の中に光がある。その調和の中に、私たちの未来がある』
光はペンを置き、窓の外を見た。満月の光が村全体を優しく包み込んでいる。かつての不気味さはなく、ただ静謐な美しさだけがそこにあった。
彼は深呼吸をし、ベッドに横たわった。明日からまた、新たな冒険が始まる。影村の秘密を解き明かし、この地に眠る知恵を世界に伝えていく。それが、彼の新たな使命となったのだ。
光は目を閉じ、穏やかな眠りに落ちていった。彼の夢の中で、美咲が優しく微笑んでいた。
翌朝、光は早くに目覚めた。窓から差し込む朝日が、新たな一日の始まりを告げている。彼は身支度を整え、宿を出た。
村は既に活気に満ちていた。農作業に向かう人々、店の準備をする商人たち、学校に向かう子供たち。その光景は、一見すると普通の田舎村と変わらない。しかし、光は感じ取れた。人々の目に宿る特別な輝き、空気に漂う微かな緊張感。これが影村の真の姿なのだ。
「おはようございます、城田さん」
振り返ると、美雪が立っていた。彼女の手には、厚い古文書が抱えられていた。
「おはよう、美雪さん。その文書は?」
美雪は少し困ったような表情を浮かべた。「実は…昨夜、村の古い倉庫から発見されたんです。父が残した手紙と共に」
二人は村役場に向かいながら話を続けた。村長の書斎で、美雪は文書を広げた。それは、影村の歴史を詳細に記した記録だった。
「これによると、影の力は元々、自然を守護する神聖なものだったそうです」美雪が説明する。「しかし、人々の欲望によって歪められ、制御できないものになってしまった」
光は興味深そうに文書に目を通した。「つまり、影の力自体は善でも悪でもない。それを使う人間の心次第ということか」
美雪は頷いた。「はい。そして父の手紙には、影の力を完全に封じることは不可能だと書かれています。私たちがすべきは、その力と共存する方法を見つけること」
この発見により、二人の前には新たな課題が立ちはだかった。影の力を理解し、適切に扱う方法を見つけなければならない。そして、それを村人全員で共有しなければならない。
数日後、村の集会所で緊急会議が開かれた。美雪は村人たちの前で、発見された事実と今後の方針を説明した。
「私たちは長年、影の力を恐れ、抑圧してきました」美雪の声が会場に響く。「しかし、それは間違いでした。影の力は、私たちの一部なのです」
村人たちの間からざわめきが起こる。不安と期待が入り混じった空気が、会場を支配した。
「これからは、影の力を受け入れ、上手く扱う方法を学んでいきましょう」美雪は力強く続けた。「それが、私たちの村の未来を作る鍵となるはずです」
光は会場の隅で、村人たちの反応を見守っていた。多くの人々が頷き、賛同の声を上げている。しかし、一部には依然として不安そうな表情の人もいた。
会議の後、光は美雪に近づいた。「素晴らしいスピーチだった」
美雪は安堵の表情を浮かべた。「ありがとうございます。でも、これからが本当の勝負です」
その言葉通り、影村の変革は容易ではなかった。古い因習を捨て、新しい考え方を受け入れることに抵抗を示す人々もいた。また、影の力の扱い方を誤り、事故を起こす者も現れた。
しかし、光と美雪は諦めなかった。彼らは村人一人一人と対話を重ね、丁寧に説明を続けた。同時に、影の力を安全に扱うための訓練プログラムも開始された。
月日が流れ、少しずつではあるが、村に変化が現れ始めた。人々は影の力を恐れるのではなく、それを日常生活に活かすようになっていった。農作業や工芸品の制作に影の力を使うことで、生産性が飛躍的に向上した。また、影の力を使った治療法も開発され、村の医療レベルは大きく改善された。
ある日、光は村はずれの丘の上に立っていた。そこからは村全体を見渡すことができる。かつての暗く重苦しい雰囲気は消え、代わりに活気と希望に満ちた景色が広がっていた。
「ここまで来られたね」
背後から美雪の声がした。光は微笑みながら振り返った。
「ああ。でも、まだ道半ばだ」
美雪は光の隣に立ち、村を見下ろした。「外の世界との関係も、少しずつ改善されてきています。先日も、隣村から交流の申し出がありました」
「それは素晴らしいニュースだ」光は嬉しそうに言った。「影村の知恵が、他の地域にも広がっていくかもしれない」
しかし、その時、突如として空が暗くなった。異様な風が吹き始め、村全体が不気味な雰囲気に包まれる。
「これは…」美雪が顔色を変えた。
光も緊張した面持ちで村を見つめた。「ああ、また影の力が暴走しているようだ」
二人は急いで村の中心部に向かった。そこでは、巨大な影の渦が形成されつつあった。村人たちは恐怖に打ちひしがれ、逃げ惑っている。
「みんな、落ち着いて!」美雪が叫んだ。「私たちが学んできたことを思い出して!影の力は敵ではない!」
光も村人たちに呼びかける。「恐れずに、影と向き合うんだ!」
彼らの言葉に、少しずつ村人たちが反応し始めた。彼らは恐怖を押し殺し、影の渦に向き合い始める。
美雪は光の鏡を掲げ、詠唱を始めた。光も彼女に続く。そして、村人たちも次々と加わっていった。
彼らの調和のとれた詠唱が、影の渦を包み込んでいく。渦は徐々にその勢いを弱め、やがて収縮し始めた。
そして、ついに渦は消滅した。代わりに、柔らかな光に包まれた小さな球体が現れた。
「これは…」美雪が驚きの声を上げた。
光がその球体に近づき、そっと手を伸ばす。球体は光の手のひらに乗り、穏やかに脈動していた。
「影の力の本質だ」光は静かに言った。「私たちが恐れていたものは、実はこんなにも美しかったんだ」
村人たちは、畏敬の念を持ってその光景を見つめていた。彼らの心の中で、何かが大きく変化したのを感じる。
その日以降、影村は真の意味で生まれ変わった。人々は影の力を完全に受け入れ、それを村の発展のために活用するようになった。外部との交流も増え、影村の知恵は徐々に世界に広がっていった。
光は、この変化を見守りながら、新たな気づきを得ていた。影と光、善と悪、これらは決して別々のものではない。全ては繋がり、影響し合っている。その調和の中にこそ、真の平和があるのだと。
彼は、この学びを多くの人々に伝えていくことを決意した。影村での経験を基に、光は本の執筆を始めた。その本は、影と光の調和、自然との共生、そして人間の内なる力について綴られたものだった。
美雪も村長としての役割を全うしながら、影村の知恵を外部に伝える活動を続けた。彼女の努力により、影村は次第に神秘的でありながらも開かれた場所として認知されるようになっていった。
そして、影村の変革から5年後。光の本が出版され、世界中で大きな反響を呼んだ。多くの人々が影村を訪れるようになり、その教えを学ぼうとした。
影村は、かつての閉鎖的な村から、世界中の人々が集う学びの場へと変貌を遂げたのだ。
光は村の入り口に立ち、訪れる人々を見つめていた。彼の目には、希望に満ちた未来が映っていた。
「美咲、見ていてくれ」光は空を見上げながらつぶやいた。「僕たちは、君の犠牲を無駄にしなかった。これからも、影と光の調和を求めて歩み続けていく」
そよ風が光の髪を優しく撫でた。まるで、美咲が彼の決意を祝福しているかのようだった。
影村の物語は、まだ終わっていない。それどころか、真の意味での始まりを迎えたばかりなのだ。光と影が調和する新たな世界の構築に向けて、彼らの旅は続いていく。
影村の変革から10年が経過した。かつての閉鎖的で不気味な村は、今や世界中から人々が訪れる学びの聖地となっていた。村の中心には「光影学院」が設立され、影の力と光の調和を学ぶ者たちで賑わっていた。
城田光は、学院の主任教授として日々講義を行っていた。彼の著書「影と光の調和」は世界的なベストセラーとなり、多くの人々の人生観を変えていた。
ある日の講義後、一人の若い学生が光に質問をした。
「先生、影の力を完全にコントロールすることは可能なのでしょうか?」
光は穏やかな笑みを浮かべながら答えた。「完全なコントロールを目指すことは、むしろ危険だ。大切なのは、影の力と共存し、調和を保つことだ」
学生は深く頷いた。光はこの10年間、こうした質問を何度も受けてきた。人々の中には依然として、影の力を完全に支配したいという欲望が潜んでいる。しかし、それこそが過去の悲劇を引き起こした原因だったのだ。
講義を終えた光は、村の中を歩いた。街路には、影の力を利用した独特の照明が灯され、幻想的な雰囲気を醸し出していた。村人たちは明るく挨拶を交わし、観光客たちは好奇心に満ちた目で村の様子を観察している。
村の広場に着くと、そこには美雪の姿があった。彼女は今も村長として、影村の発展に尽力していた。
「お疲れ様です、城田先生」美雪が微笑みかけた。
「君こそ、お疲れ様」光も笑顔で返した。
二人は並んで歩きながら、村の様子について話し合った。観光客の増加に伴う課題、新たな研究プロジェクトの進捗状況、そして村の伝統をいかに守っていくかについて。
「それにしても、10年前には想像もできなかった光景ですね」美雪が感慨深げに村を見渡した。
光も同意した。「ああ。あの頃は、この村が世界中の人々を魅了する場所になるなんて、夢にも思わなかった」
しかし、その瞬間、突如として空が暗くなった。不吉な風が吹き始め、村人たちの間に動揺が広がる。
光と美雪は顔を見合わせた。これは、影の力の乱れを示す前兆だった。しかし、今回は以前とは違っていた。村人たちは恐慌状態に陥ることなく、冷静に状況を分析し始めていた。
「みんな、落ち着いて!」美雪が声を上げた。「私たちが学んできたことを思い出すんだ!」
光も村人たちに呼びかける。「影の力と向き合い、受け入れるんだ。恐れてはいけない!」
村人たちは次々と広場に集まり始めた。彼らは円を作り、手をつなぎ合った。そして、光と影の調和を求める詠唱が始まった。
観光客たちも、最初は戸惑いを見せていたが、次第にその輪に加わっていった。異なる言語、異なる文化を持つ人々が、一つの目的のために力を合わせる。それは壮観な光景だった。
詠唱が高まるにつれ、空の異変も徐々に収まっていった。そして、突如として美しい虹が現れた。それは単なる虹ではなく、影と光が織りなす幻想的な光景だった。
人々は息を呑んで、その美しさに見入った。それは、影の力と光の力が完全に調和した時にのみ現れる現象だった。
虹が消えた後、広場には深い静寂が訪れた。そして、やがて大きな拍手が沸き起こった。人々は喜びと達成感に満ちた表情で、互いを抱擁し合った。
光は美雪の肩に手を置いた。「私たちはやり遂げたんだ」
美雪は涙ぐみながら頷いた。「はい。父や美咲さんの想いを、きっと届けられたはずです」
その夜、村では大きな祝宴が開かれた。世界中から集まった人々が、影村の歴史と未来について語り合った。光は宴の中心で、多くの人々と言葉を交わした。
深夜、祝宴が落ち着いた頃、光は一人で村はずれの丘に上った。そこからは、祝祭の灯りに彩られた村全体を見渡すことができた。
彼は深く息を吸い、夜空を見上げた。
「美咲、見ていたかい?」光は静かに語りかけた。「君の犠牲は、こんなにも大きな変化をもたらした。私たちは、光と影の調和を学び、それを世界中に広めることができたんだ」
そよ風が彼の髪を優しく撫でた。まるで、美咲が応えてくれたかのようだった。
光は村を見下ろしながら、これからの課題に思いを巡らせた。影村の知恵をさらに広め、世界中の人々が光と影の調和を理解し、実践できるようにすること。そして、その過程で生じる新たな問題にも対処していかなければならない。
しかし、彼は恐れてはいなかった。この10年間で彼らが学んだことは、どんな困難も、人々が心を一つにすれば乗り越えられるということだった。
「さあ、新たな章の始まりだ」光は決意を新たにした。
彼は丘を下り、村に戻っていった。明日からまた、新しい挑戦が始まる。影村の物語は、まだまだ続いていくのだ。
そして、この物語は世界中に広がり、多くの人々の心に希望の灯りを灯していくだろう。光と影の調和、それは単なる村の伝説ではなく、人類全体が目指すべき理想となったのだ。
影村の未来は、光に満ちていた。しかし、その光の中には常に影が寄り添っている。それこそが、真の調和の姿なのだ。
物語は終わらない。それはむしろ、新たな始まりなのかもしれない。影村と世界の、そして一人一人の心の中で、光と影の調和を求める旅は、永遠に続いていくのだろう。
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