第6話
「ね、健ちゃん。この子お父さんをさがしているそうなの、手伝ってあげて」
「お父さんを?」
振り返ったその人の顔を見た瞬間、幸の心臓がとびださんばかりに高鳴った。どきんどきんと体から音がもれてしまいそう。耳がかーっと熱くなって、じんわりと脇に汗をかく。
「へえ、ひとりでこんな場所に探しに来たのか、すごいな」
健ちゃんと呼ばれた男の人は真っ白いワイシャツの上に黒くてぴったりとしたベストを着て、きちんと整えた髪からは整髪料のにおいがした。彼もまた父とは全く違う生き物のようだ。
「なんて名前?」
「幸です」
ぴんと背筋を伸ばして名乗ると、何故か男の人はぷっと噴き出し幸の頭を撫でた。
その笑顔の美しい事。今まで幸が見てきたどの男の人よりもかっこよくてまぶしい笑顔だった。
「うん、さっちゃん、だね。お父さんのお名前は?」
聞かれたのが父の名だったと気がついた時には遅かった。恥ずかしい。一気に顔が赤くなるのが分かる。
「あっ、あの、
しどろもどろになりながらも父の名前を出すと、健ちゃんは合点がいったように頷いた。
「ごめんね、さっちゃん、今日こっちには来てないようだ。だけど他のお店に聞いてあげるからちょっと待っていて」
健ちゃんは一番奥のテーブルに幸を座らせるとすぐに、緑色の飲み物が入った背の高いグラスを運んできて目の前に置いた。
「クリームソーダだよ、これでも飲んで待っていて」
「あっ、でも、お金が」
こんな高級なお店で何かを買うつもりがなかったからほとんど持ち合わせがない。慌てて腰を持ち上げると健ちゃんはふわりと微笑み「秘密だよ」と人差し指を口に当てた。
「こんな難しいお使いをしにきたさっちゃんのご褒美」
「え、でも」
「いいから。美味しいよ、それ」
まだモジモジとする幸の前に侑子が腰を掛けた。煙草を燻らせニコリと笑う。
「いいじゃない、健ちゃんがご馳走してくれるんだって。遠慮することないわ」
ふたりの大人に進められて、ようやく幸は頷いた。
「ありがとうございます。いただきます」
初めて飲むクリームソーダの美味しい事ったら!
シュワシュワと口の中を刺激するジュースと、とろけるクリームの甘さのコントラストに幸は夢中になった。こんな美味しいものがこの世にあったなんて。
父ばかりがこんなに美味しいものを口にして楽しんでいるのかと思うと、何やら口惜しい。きっと母は知らないのだろう、こんな華やかな世界を。可哀そうに、と同情が萌して幸は首を振った。そんな意地の悪い事を考えたら神様に嫌われてしまう。幸のような何のとりえもない子はせめていい子でいなくちゃいけないのに。
最後の一滴まで残さず飲み干した頃に健ちゃんは戻ってきた。
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