第106話

 ダンジョンが瑠華の要望を受けて、目の前の壁に“扉”を開く。本来は瑠華を用意した異次元空間に転移させるつもりだったのだが、瑠華に干渉する事が出来なかったので致し方なく入口を作ったのである。


 用意された入口を潜ると、その先に広がっていたのは先程までとなんら変わりない風景。しかし瑠華は、この場所について瞬時に理解していた。


(余剰空間に一部屋だけ作ったようじゃな。出入口も無い簡易的な閉鎖空間じゃが、まぁこの場ならば影響もそう大きくはなるまい)


『召喚プロセス進行中。既存経路を確認。接続…接続完了』


「既存経路…あぁ成程。紫乃のものじゃな?」


『肯定』


 かつてこのダンジョンで保護した紫乃が、こちらへと渡る際に使用した経路。それを使ってダンジョンは召喚を行おうとしていた。

 因みに召喚術自体はどの世界にも存在しており、瑠華―――レギノルカ達はそれを黙認している。故にダンジョンがそれを行うとしても、瑠華から言う事は何も無かった。


(世界同士が強く混じるのは問題じゃが、文明の発展、変化を齎してくれる可能性もある。停滞した文明は緩やかに衰退してしまうからのぅ…)


 その世界における起爆剤になり得るのならば、レギノルカ達は拒絶しない。それによって何かしら問題が起こったとしても、それに対応する事すら楽しいのだから。


(まぁ何事にも限度はあるがな)


 かつてそれで遊んでいた妹達を叱りつけた事を思い出し、内心苦笑する。


 そうして思考を巡らせていれば時間が経つのは早いもので、瑠華の目線の先に魔法陣が浮かび上がった。

 その魔法陣に込められた魔力が高まり、赤い光が満ちる。それが落ち着いた時には、一つの人影が目の前に立っていて。


「此処は…」


「……成程。確かに骨のある相手じゃのぅ」


 困惑する様子を見せる相手に対して、瑠華はしたり顔で頷く。

 瑠華が呟いたことで漸くその姿を認めたのか、ピリリとした緊張が走った。


「お前は誰だ…?」


「誰何する必要はなかろう」


 瑠華の薙刀と、相手のが激突する。


敵同士なのじゃからのぅ」


「くっ…!」


「こうしてと戦えるとは思わんかったのじゃ」


 魔法陣から召喚されたのは、紫乃と同じく額から二本の角を生やす鬼人だった。それも瑠華にとっては、ただの鬼人ではない存在で。


(じゃが今の妾が誰かなどは理解出来んじゃろうしな。一度本気の此奴と戦ってみたいとは思うておったし、ちょうど良い)


 鬼人が力任せに刀を押して瑠華を下がらせると、ユラリとした赤いオーラが立ち上った。それは以前紫乃も使った事のある〖激昂〗の発動を示すものだ。


 だが次の瞬間の鬼人の動きは、紫乃とは比べ物にならない程早く重く、そして正確だった。


「ふふふ…」


 重く鋭い斬撃を薙刀で受け止め、時には流しながら、瑠華が思わず笑みをこぼす。

 薙刀と刀が何度もぶつかり、その度に激しい火花を撒き散らす。それによって照らされた鬼人の顔に浮かぶは、困惑の色。


「何故…」


「ん?」


「何故、笑っていられる…?」


「楽しいからじゃよ。それ以外に何がある?」


 一瞬動きを止めた鬼人に、今度は瑠華の方から斬りかかる。相手の刀を折らないように加減しているとはいえ、その重さはしっかりと構えていなければ手から落としてしまいそうな程。


「…っ!」


「成程成程。その意気や良し」


 それでも〖激昂〗によって底上げされた膂力で薙刀を弾いて距離を取りつつ、鬼火を瑠華へと向けて放った。

 いつも通りならば薙刀で鬼火を斬り裂くが、瑠華の直感がそれを拒否する。

 その直感通りに身を捩って躱せば、地面にぶつかった瞬間大きな爆発を引き起こした。


「勘がいい奴…!」


「褒め言葉と受け取っておこうかの」


 鬼人が青白い鬼火を纏った刀で瑠華へと斬りかかり、それをエンチャントによって赤い炎を纏わせた薙刀で迎え撃つ。


「見えておるぞ」


「チッ!」


 その隙に瑠華の死角から襲い掛かろうとしていた式神を焔の矢で撃ち抜けば、短い舌打ちが返ってきた。


「はぁっ!」


「おっと…少し油断したのぅ」


 打ち合う刀にばかり注目していたせいで、一瞬の隙を突いて抜かれた小刀に反応するのが遅れてしまう。咄嗟に後ろへと下がったものの、瑠華の袖には浅い切り傷が残った。

 そしてそれは、瑠華が人間へと転生してから初めてまともに受けた攻撃で。


「ふふふ…楽しいのぅ…!」


「私は楽しくないがな…っ!」


 そう強く言い放つも、荒く呼吸を繰り返す鬼人の体力は既に限界。魔力も、あともう一回鬼火を使うのがやっとという量しか残っていない。


「ん…まぁこんなものか。こちらも“欲”を発散出来た事じゃし、そろそろ終いにするかの」


「はぁ、はぁ…」


 瑠華のその言葉で、鬼人が自らを殺すつもりなのかと強く瑠華を睨み付ける。


「そう睨むでない、珠李しゅり


「ッ!? 何故、私の名を…」


「知っておるのかとな? ふむ…見せた方が早かろうな」


 とはいえ元の姿に戻る事は出来ない。戦闘の余波でこの空間も大分不安定になってしまっているので、龍人になる事すら難しい。


(耐えられるのは…瞳だけか)


 ゆっくりと瞬きをすれば、瑠華の瞳孔が縦に裂けた姿に変化する。たったそれだけの変化。しかし、その縦に裂けた瞳孔を見ただけで鬼人―――珠李には十分だった。


「なっ…そん、な…」


 手から零れ落ちた刀が地面にぶつかり、甲高い音を響かせる。だがそれを気にする素振りも無く、流れるような動作で珠李が地に伏せた。


「お久しゅうございます。レギノルカ様」


「…やはりこれだけでも分かるか」


「はい。……申し訳ございませんでした」


「よい。妾が敢えてそうしたのじゃからな。気付かずとも無理は無い」


「感謝致します…しかし、私を呼んだのはレギノルカ様でしたか。その理由をお伺いしても?」


「ん? 単に気晴らしをしたかったからじゃが?」


「………」


「まぁまさか其方が来るとは思わなんだ。息災じゃったか?」


「…はい。私は恙無く。ですが実は私の弟子が行方をくらませておりまして」


「弟子? 其方、弟子は取るつもりが無かったのではないかえ?」


「ええ。しかし旧友からの頼みでして…生まれながらにして鬼人である特異な存在故、せめて力の使い方だけでも教えてやって欲しいと」


「……ん?」


 その内容に少しばかりの引っ掛かりを覚えた瑠華が、眉を寄せる。


「…もしやとは思うが、その者の名は紫乃か?」


「! はい、確かに紫乃という名でしたが…」


 迷い無い肯定が返ってきて、瑠華が思わず天を仰ぐ。


(……そうじゃな。紫乃の繋がりを利用しておるのならば、関係者が呼ばれても確かにおかしくは無いのじゃ)


 取り敢えずダンジョンに干渉して、これ以上呼ばれないように経路を潰しておく。珠李を返す分には瑠華が自前で用意出来るので問題は無い。


「…同じ人物かは分からぬが、紫乃という女子おなごならば妾が保護しておる。会うかえ?」


「お許し頂けるのならば」


「…分かったのじゃ」


 もう面倒なので【柊】直通の転移を準備しつつ、どう奏に言い訳をしようか考える瑠華なのであった。


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