第64話 奏視点

「はぁ、はぁ…」


 思考空間でありながら息が荒くなる。それだけ疲労が溜まっているのだろう。

 でも私はやり切った。とうとうあのにっくき鳥を地面に引き摺り下ろす事が出来たのだ。

 狼は既に倒した。残すは翼を失って地に堕ちた鳥だけ。


「私の…勝ち…っ!」


 恨みを込めて刀を上から思いっ切り突き刺せば、形を保持出来なくなった鳥が砕け散る。やっと終わったよ…ほんっと長かった……っ!


「…まさか式神を倒し切るとはのぅ」


「私も予想外でした…流石瑠華様が見込んだお方、と言うべきでしょうか」


「瑠華ちゃぁん! 疲れたぁ!」


「やれやれ…」


 倒れ込む私に苦笑しつつも瑠華ちゃんが近付いて来て、優しく頭を撫でてくれた。んふふ…


「大分脳に疲労が溜まったようじゃの」


「んー…そーかも…」


 本来思考空間だから身体的疲労は無いはずなのに、身体が怠く感じるからね。それも瑠華ちゃんが撫でてくれるからか、少しずつ楽になってきた。


「良く頑張った…と、言いたいところじゃが」


「ぇ…」


 何やら不穏な言葉を言い出す瑠華ちゃんに戦慄する。も、もしかしてもう一戦するとか…?


「まぁ間違ってはおらん」


「やだ!」


 もう疲れたもん! あの鳥と戦いたくない!


「安心せい。鳥と戦う訳ではない」


「…じゃあ狼?」


「それも違う」


 んー? となると紫乃ちゃん?


「何故ここまで候補から外すのじゃ…」


「ふぇ?」


「妾じゃよ」


 ……えっ、瑠華ちゃんと戦うの?


「この場所であれば死ぬ事は無い。この機会を利用しない手はないじゃろう?」


「……私瑠華ちゃんに殺されるの?」


「まぁ気を抜けばそうなるやもしれぬのぅ」


 ……私知ってるよ。こういう時瑠華ちゃん容赦しないタイプでしょ。


「案ずるでない。単に妾が奏の成長を見たいだけじゃ」


「……というと?」


「妾から攻撃するつもりは無い、という事じゃよ」


「偶にならするんだ…でもまぁ、いいよ。やろっか」


 立ち上がって瑠華ちゃんからちょっと離れる。疲労に関しては、多分瑠華ちゃんが治してくれたお陰で心配無い。


「さて。奏が何処まで成長しているか楽しみじゃのう」


「すっごいハードル上げるじゃん……」


 薙刀を手にした瑠華ちゃんに眼差しを向けて、軽く息を吐く。そして意識を切り替えた瞬間――――




 ―――――私は、絶望というものを知った。


「ぁ……」


 ひと目見ただけでは普段の瑠華ちゃんと変わらない。でも、私の本能がけたたましく鳴り響く。アレは、無理だと。

 冷や汗が額を伝い、身体が恐怖で動かない。指一本でも動かせば死ぬと言わんばかりに緊張が走る。


「―――少し遊び過ぎたのぅ」


「ぇ…」


 瑠華ちゃんがそう呟いた瞬間、私に掛かっていた重圧が霧散した。脚に力が入らなくなって、思わずその場でへたり込む。今のが、瑠華ちゃんの本気……勝てる気が、しない。


「…無理じゃない?」


「おや? 諦めるのかえ?」


「………」


 瑠華ちゃんが悪戯っぽく笑って私を挑発する。確かに前そう言われた時は強がった。でもこれは……


「ここまで、差があるなんて思わないじゃん…」


 声が、手が震える。さっき感じた恐怖が、まだ私を蝕む。瑠華ちゃんは瑠華ちゃんだ。私とずっと一緒に生きてきた大切な幼馴染。それは分かってる。でも……


「―――化け物と思ったのじゃろう?」


「それはっ…」


「気にするでない。妾が最も良く知っておる事じゃ」


 ……違う。そんな事言いたいんじゃない。私は…私は…っ!


「……ほぅ?」


 刀を支えに立ち上がる。まだ膝が笑って脚が震えるけど、それでいい。怖いのは、んだから。


「…やろう。それで、答えを見付けるから」


「……ならば、何時でも掛かってくるが良い」


 瑠華ちゃんが切っ先を地面に向ける。あの構えは受けから攻撃に転ずる事が出来るものだ。無闇に打ち込むのは悪手。


「ふぅぅ……」


 ズンと肩が重くなる。心臓が跳ねる。さっきほどじゃないけれど、それでもかなりの恐怖が私を襲う。

 手順を一つ一つ確認するかのように脚から腕に魔力を通し、刀を腰に。脚はもう震えていない。


 瑠華ちゃんは昔から瞬きを殆どしない。だから隙を窺うのは困難を極める。なら、隙を作るしかない。


「……ふっ!」


 一気に飛び出すと同時に魔力弾を別方向から飛ばす。これは途中で瑠華ちゃんに教えて貰ったものだ。ただの魔力の塊だから攻撃力はそこまでだけど、無視するにはちょっと痛い、そんな攻撃。牽制には丁度いい。


 瑠華ちゃんは薙刀を構えると、私よりも速く届く魔力弾を弾くように動こうとした。ここだ…っ!

 一気に速度を上げて、魔力弾よりも遅いという認識を逆手に取る。そのまま勢いで抜刀して―――


「―――狙いが甘い」


 ………気が付けば、私は刀を弾き飛ばされていた。


「力を込め過ぎると、弾かれた時の衝撃で手から離れやすくなってしまうぞ」


「あっ…」


 そのまま無防備になった私に、瑠華ちゃんが容赦無く刃を振るう。そして元の位置に死に戻り。


「…瑠華ちゃんの反応速度を上回るのは無理、か」


「じゃが考え方は良い。後は手札を増やす事じゃ」


 手札か…さっきの私の攻撃すら囮にする動きも必要かな。二手三手先も読んで攻撃を準備する、か……。


 今度は魔法主体で戦ってみる。今の私が使えるのは魔力弾と風の刃、そして疾風の三つ目。でも疾風は追い風を作る魔法だから攻撃には……待って。いける?


「念の為聞くけど、瑠華ちゃん今思考読んでないよね?」


「読んどらんぞ」


 まぁそうだよね。よし、次!


 最初の頃よりも数段早く魔力を練り上げ、呪文を唱えて魔法を発動。


「《切り裂け》!」


 飛び出した風の刃に追従しつつ、次の魔法を使う準備に入る。ここまでは見た目的にさっきとほぼ変わらない。


「同じ手…という訳では無いのじゃろうな」


 当然ながら瑠華ちゃんは騙されてはくれない。でもそれでいい。

 腰を落として体勢低く肉迫。タイミングは風の刃とほぼ同時。でも瑠華ちゃんは後ろに下がって刀を回避するだろう。…うん、予想通り。だから、もう一つ魔法を使う。


「《疾風》!」


「む…」


 呪文の詠唱で使う魔法はバレる。でもこれでいい。

 疾風は追い風を作る魔法だから、基本速さを後押しする使い方をする。だから瑠華ちゃんは私が近付くと思うはず。でも実際に追い風が吹いたのは私じゃない。


「…成程、考えたのぅ」


 追い風によって大きさと速さを増した風の刃が、瑠華ちゃんの認識外から襲い掛かる。けれどそれも薙刀で切られてしまった。


 ここまでは予定していた行動。ここから先は何も準備していない。でもそれは実戦では当たり前の状況だ。今更慌てる必要は無い。

 現状を把握し、何が最善か組み立てる。今の所考えられる行動は三通り。

 一つ目は後退。これは一番安全を取る事が出来る行動。

 二つ目はこのまま突っ込む。でも多分瑠華ちゃんに切られる未来が見える。

 三つ目は魔法を再度使って目眩しを期待する。今からだと魔力弾くらいしか作れない。


 ……いや、四つ目も思い付いた。いけるかな…うん、迷うならやろう。


 [身体強化]で速さを確保。腕には無しで〖魔刀・断絶〗を発動。これは何回も使ってきたからか、声に出さなくても思うだけで使える。

 普段は〖魔刀・断絶〗を切れ味を上げる意識で使うけど、このスキルにはもう一つの使い道がある。それが、刀の硬さを上げるという使い方。つまりどれだけ乱暴に扱おうとも、絶対に折れない状態に出来る。


「ん…?」


 突っ込んできた私に訝しげな眼差しを向ける瑠華ちゃんだけど、そのまま薙刀を構えた。

 刀と薙刀がぶつかって、火花が散る。ここまで力強くぶつけたら流石に刀も只では済まないけど、スキルのお陰で罅は一切無い。


「…刀を硬化させたか。じゃがこの後どうするのじゃ?」


 ……正直予定が狂った。ほんとは瑠華ちゃんに刀を弾く動作をして欲しかったのだけれど、受け止められてしまった。これでは次の行動に移れない。


 鍔迫り合いは不毛だ。瑠華ちゃんに力で勝てる訳無いもん。だからこっちから押し返して反動で離れる。その際用意していたけれど不要になった魔力弾を撃ち込んで、追撃を牽制した。


「…妾に刀を弾かせて、その隙に至近距離から魔力弾を撃ち込む算段じゃったか」


「……簡単に看破されて普通に悔しいんだけど?」


 むぅ…と頬を膨らませて不満を顕にすれば、クスクスと瑠華ちゃんが笑う。瑠華ちゃんを出し抜くのは中々厳しそうだなぁ……。


「さて……では妾からも動こうかの」


「えっ…」


「見逃すでないぞ?」


 その声が聞こえた瞬間には瑠華ちゃんの姿が消えて――――気が付けばグルンと視界が反転していた。あー…これ首切られた系だわ。今日何回も経験した視界だから分かる。……分かりたくはなかったけど。


「どうじゃったかの?」


「…瑠華ちゃんはやっぱり凄いなぁって思ったよ」


 一瞬の暗転の後、戻った視界に写ったのは私を見下ろす瑠華ちゃんの顔。そして頭の後ろで感じる柔らかさから考えて、どうやら私は瑠華ちゃんに膝枕された状態らしい。……普通に嬉しい。


「それで答えは見付かったかの?」


「……追い付くのは無理だなぁって」


「……そうか」


「でもやっぱり諦めたくもないかな」


 私ね、気付いたの。確かに瑠華ちゃんの本気に恐怖したよ? でもね、それと同時にその瑠華ちゃんに憧れてる自分がいたの。


「………」


「だからね、憧れだから追い付けない。でも憧れだから追い付きたい」


 常に自分よりも上にあるからそれは憧れになる。だから決して憧れには追い付けない。


「瑠華ちゃん」


「なんじゃ?」


「…ずっと私の憧れでいてくれる?」


「……この状況で否は言えんのぅ」


 困ったように、それでも何処か嬉しそうに瑠華ちゃんが笑う。あぁ…やっぱり私、笑ってる瑠華ちゃん好きだなぁ。

 

「…………」


「瑠華ちゃん?」


「……そろそろ戻るかの」


「え? あ、うん」


 また視界が一瞬暗転して、次の瞬間にはふわりとした浮遊感が。そして少しすると、まず音が戻って来た。ゆっくりと目を開けば、そこは見慣れた天井。あ、このベッド瑠華ちゃんの匂いする……


「目が覚めたかの?」


「あ…うん」


 瑠華ちゃんに返事をして上体を起こすと、もう窓の外は真っ暗である事に気付いた。


「瑠華ちゃん晩御飯大丈夫?」


「紫乃が準備してくれておる」


 …そういえば途中から居なかったかも。後でお礼言わないと…あ、そうだ。


「瑠華ちゃん」


「ん?」


「…ありがと!」


 漸く見えた背中は随分遠くて追い付ける気がしないけど、身勝手にもそうあって欲しいと願ったのは他でもない私だから。


「礼には及ばんよ。奏がそれを望むならば、妾はただ応えるだけじゃ」


「…そっか。じゃあ私も応えられるようにしないとね」


 先ずは魔法使い熟せるようにならないとなぁ……。








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