第55話

 弥生の位置情報は常に把握出来ているため、そこまで心配する必要は無い。だが心配すべき事柄が他に無い訳でもなかった。


「ダンジョン最奥。何やら妙な気配がするのぅ…」


 ダンジョンは進む程にモンスターの強さが増す。であればダンジョン最奥のボスモンスター、所謂ダンジョンボスがそのダンジョンで最強のモンスターという事になる。

 本来であればボスモンスターはボス部屋から動く事が無いので、たとえ妙な気配があろうともさして危険は無いのだが……ダンジョンブレイク中であれば、その前提は崩れてしまう事がある。


「急ぐかの」


 探索者の大半は比較的浅い階層にいる事が分かっているので、そちらは弥生に任せれば大丈夫だろう。しかし最奥近くにも人間の反応はある。危なくないのであればそれで良し。しかし手遅れになる可能性も考慮して、先を急ぐ事にした。

 歩きで向かえばそれなりに時間が掛かるだろうが、今の瑠華は飛んでいる状態なのでかなり時間が短縮出来る。


「しかしモンスターが多いのぅ」


 そしてその途中途中で間引くのも忘れない。しかし爪と尻尾による物理攻撃は威力が高いが同時に多数の敵を攻撃する事は出来ないので、途中で攻撃手段を魔法に切り替える事にした。


 目的はあくまで間引きなので一体一体丁寧に狙いを定めるということはせず、突き進みながら余りある魔力で魔法を適当にばら撒いていく。すると様々な属性の光を纏う魔法が降り注ぎ、一撃で見境無くモンスター達を葬り去った。

 そうして瑠華が通った後には抉られた壁や床、大量のドロップ品が残され、救援に来た探索者がその光景に戦慄する事になるのはまた別の話である。


 目に付いたモンスターを片っ端から葬り、時に落とし穴の罠を使ってショートカットもしつつ、遂に瑠華はこのダンジョンの最下層へと辿り着いた。しかしそこで暫く進んだ先で待っていたのは、血を流し倒れる男女数人の姿。


「これは……大丈夫かえ?」


 その光景に少しばかりの違和感を覚えながらも、近くの人間に近寄り意識の有無を確認する。


「うぅ…」


「辛うじて意識はある、か……しかし逃げてきて力尽きたという様子でも無いようじゃな」


 しかしモンスターがわざわざ瀕死の獲物を放置するとは考えにくい。有り得るとするならば獲物の保存だが、己の巣に持ち帰って保存する方が自然だ。


 一先ず全員の怪我を治療し、一箇所に纏めて結界魔法で保護しておく。これで命を失う可能性はほぼ無くなった。


 〈弥生、最下層の人間を上に連れて行くのを頼めるかの?〉


 〈わかった!〉


 〈ごほーびは?〉


 〈がんばったの!〉


「………」


 思念によって弥生に頼み事をすると、まさかのご褒美要求に少し思考が停止した。これが先程まで瑠華に怯えていたモンスターなのだろうか…。


 〈………考えておこう〉


 〈やったー!〉


 〈〈がんばる!〉〉


 突然の距離感に戸惑いはあるが、まぁ仲が悪いよりは良いだろうと思う。


 怪我をした人間は弥生に任せ、瑠華は先に進む。妙な気配は、未だこの階層にある。



「…む。あれかの?」


 瑠華の視界に写った人影。それがおそらく妙な気配の正体だろう。近付いて行くと、あちらも瑠華の存在を把握したのか身体を瑠華の方へと向けたのが分かった。


「ァ……二ゲ…」


「! 言葉か…?」


 聞こえてきたのは、明らかに鳴き声では無い音。それだけで相手のモンスターの知能が高い事が窺える。更に近付くと、とうとうその正体が顕となった。


 瑠華と同じ程の小柄な身体。額から伸びる二本の角。口から覗く鋭い八重歯。そしてボロボロの着物に身を包んだその姿は、レギノルカの記憶にもある存在だった。


「…鬼人か」


「ウゥ…ヤダ……二ゲ、テ…」


に呑まれたか。しかし鬼人とは……まぁ今は良いか。妾が付き合ってやろう、存分にその欲を発散するが良い」


「ァ…ガァァッ!!」


 何かに耐えていた様子の表情が、一瞬で怒りの表情に変わる。地面を蹴り瑠華へと一気に近付いた鬼人が、手の爪を立てて襲い掛かった。


「その程度では妾の鱗を貫けんぞ」


 腕でその攻撃を受け止めるが、その鱗には一切の傷が付かない。物理攻撃では有効打にならないと気付いたのか、鬼人が距離をとって何やら唱え始める。それを妨害する事も出来るが、目的は倒す事では無い為に瑠華は動かなかった。


「ガァァッ!!」


「……鬼火、それに呪縛か」


 青白い炎がポツポツと鬼人の周りに現れ始めると同時に、瑠華の身体がズンと重くなる。これらはそれぞれ鬼人の固有魔法にあたるものだ。

 好機と見たのか、動き難い状態の瑠華へと鬼火が迫る。


「この程度で妾を縛ろうとはな…舐められたものじゃ」


 瑠華が少し足を動かせば、それだけでバチンと音を立てて呪縛が破壊される。その後飛んできた鬼火は全て尻尾で打ち消した。


「もう終わりかえ? ならば妾の番じゃ」


「ッ!」


 瑠華が飛び出すとドンッ! と空気が震え、反応する間もなく鬼人の脇腹に尻尾がめり込んだ。


「カハッ…」


「ふむ。思ったよりも頑丈じゃの」


 壁に吹き飛ばされた鬼人が苦しげに息を吐く。しかし瑠華は先程の攻撃で骨すら折れていないのが分かっていた。


「ほれ。はよこんか」


 クイクイと指先を曲げて不敵に笑う。それを煽りと取った鬼人が壁を蹴って瑠華へと飛び込んだ。


「力は十分。じゃが振り回されておるな」


「ッ…!?」


 振るわれた拳を片手で受け止めた瑠華が、冷静にその技量を分析する。


「まぁ欲に呑まれておるのならば無理もないか」


「ッ!? ガッ!?」


 鬼人の空いた腹に掌打を叩き込み、もう一度同じ壁に吹き飛ばした。しかし力は加減していたので、そこまでのダメージは無い。


「ガァァァッッ!!」


「ほぅ…」


 突然ゆらりと鬼人に赤いオーラが立ち上ったと思えば、先程よりも遥かに速い動きで瑠華へと肉迫してきた。


「〖激昂〗か。これは中々じゃの」


「グァ…ッ!?」


 速さも力の強さも先程の比では無い。―――だがだ。一直線に、ただ馬鹿正直に振るわれる拳など、脅威にもなりはしない。


「ガァァァッ!!」


 それでも鬼人は止まらない。何度瑠華に受け止められようとも、連続して拳を振るい続ける。その表情には、今まで浮かぶことのなかった焦りが見え隠れしていた。










「―――――この程度で良かろう」


 そしてその動きに疲れが見え始めた瞬間。瑠華が鬼人の腕を掴んで引き寄せ、拳打を腹に打ち込んだ。


「ガッ……」


「もう発散は十分じゃろ。今は休むが良い」


 眠らせるには少々乱暴な方法だが、興奮状態では魔法による催眠も効きづらいので仕方が無かった。

 意識を失って瑠華へと倒れ込んだ鬼人を、優しく抱き留める。先程まで怒りに染まっていた表情も、だいぶ柔らかな印象に変化していた。


「さて……」


「ガウッ!」


「……来ておったのか」


 どうやら頼まれたお仕事を終えて暇になったらしく、気が付けば弥生が瑠華のすぐ側へと来ていた。


「どうしたものか…」


「クゥン?」


 その場の成り行きで契約してしまったが、この後のことを考えると頭が痛い。【柊】に連れて帰るにしても、説明が何かと面倒だ。


「弥生、そなたは出来るかの?」


「? ワンッ!」


 一瞬何を聞かれたのか分からなかった様子だったが、直ぐに理解したのがひとつ吠えて、その姿が三つにぶれた。


「ワン!」


「ガウッ!」


「クゥン」


「……しもうた。名前が別に必要じゃったか」


 現れたに瑠華が頭を抱えた。これは〖分離〗という、ケルベロスの固有能力の一つによってそれぞれの頭に分離した姿だ。分離するとそれぞれ別の身体を持つようになる他、その大きさも普通の大型犬とほぼ同じになる。


「…真ん中の頭はそのまま弥生で、右を睦月、左を如月とするかの」


 〈わたしやよい!〉


 〈むつき?〉


 〈きさらぎ!〉


「……どう説明するか考えねばのぅ」


 元の大きさのままでは場所が無いと考えて分離させたが、小さくなって数が増えただけで問題は何も解決していなかった。


「鬼人も放置する訳にはいかぬしのぅ……」


 抱き抱えている鬼人は今は安らかな寝息を立てている。疲労も蓄積している事を考えると、今起こすのは忍びなかった。


「……帰ってから考えるかの。睦月、如月、弥生、妾の影に入れ」


 従魔は皆主の影に潜る能力を得る。以前は奏に影に入らないよう釘を刺したが、瑠華と繋がりを持つ存在ならば問題無いのだ。


 無事に全て影に入った事を確認して、鬼人の持ち方を横抱きに変えて来た道を戻る。一先ず放置する訳にはいかないので、【柊】に連れて帰る事にした。


 改めて確認するとダンジョン内のモンスターの数も大分少なくなってきており、この分ならば収束も近いだろう。


「はぁ……軽い気持ちで出掛けるものではないのじゃ」








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