第16話 憑き物落とし

 土曜日。

 文香は成昌からの指示通り、彼の実家である神社の鳥居の前に来ていた。

――えっと、確か鳥居の前か境内で待ってろって言われたけど……中に入ってたほうがいいよね?

 鳥居の前で待っていてもいいかとも思ったが、境内で待っていた方が成昌も見つけやすいだろうし、何かあったときの対応も早いと思い、文香は鳥居をくぐり、境内へと向かっていった。

 最初の鳥居をくぐり、手水舎の前に立つと。供えられていた柄杓を手に取り、左手、右手の順で手を清め、右手に柄杓の水を受けて口を清め、柄杓を傾け、残った水をに伝わせる。

 その手順を終えてから、柄杓をもとあった場所へ戻すと、もう一つの鳥居をくぐった。

 二つ目の鳥居をくぐった瞬間、文香は周囲が変化したように感じ、思わずあたりを見回す。

 別に誰かが見ているというわけでも、ほかの参拝客がいるわけでもないのだが、誰かに見られているという感覚が文香にはあった。

 普通ならば、知らない誰かに見られているかもしれないという状況は不愉快であるし、『天使さま』で呼び出され、自分に憑りついている妖のせいで恐怖を味わったということもあり、警戒心だけでなく恐怖心を抱いてもおかしくない状況だ。

――でも、なんかあいつみたいに嫌な感じはしないんだよねぇ……

 しかし、なぜか文香は『怖い』とは感じていなかった。

 注視しているというよりも、視界に入っているだけなのか、どこか『見守られている』という感覚がある。

 見守っている存在の主を探そうと、境内を見回していると、『社務所』と書かれた看板が掲げられている建物から、水色の袴をはいた成昌が出てきた。

「早かったな」

「あ、おはよう……って、何よその恰好」

「何よって、家の手伝いをするんだからその恰好をするのは当然だろ?」

 何を当たり前なことを、とでも言いたそうな表情で成昌は文香の質問に答えた。

 だが、成昌のプライベートにあまり関心はないらしく、文香は軽く流し。

「で、どうするの? 服装とか、特に指示なかったから普段着で来たけど」

「普段着で問題ない。とりあえず、入ってくれ」

 成昌はそう言いながら再び社務所の中へ入っていくと、その後に続き、文香も社務所の中へ入る。

 純和風の、地方の田舎の家屋を思わせる玄関を通り、廊下を抜け、少し広い部屋へと通された。

 部屋には、小さいながらも祭壇のようなものが設けられており、そのわきには巫女装束をまとった桔梗の姿がある。

――うわぁ……普段から美人って言うか、大和撫子って言葉が似合うって思ってたけど、こういう服がほんとに似合うなぁ、桔梗……

 と、場違いな感想を抱いていると。

「桔梗、着替えてくるからその間に説明を頼む」

 成昌は桔梗にそう話かけ、部屋を後にする。

 いきなり桔梗と二人きりになってしまった文香は、桔梗に話しかけることができなかった。

 巫女装束をまとっているからか、それともこの部屋の雰囲気に引っ張られているからか。

 桔梗からは普段とは異なり、話しかけづらい、むやみに接触してはいけないような、そんな雰囲気が流れている。

 しばらくの間、沈黙していると、桔梗のほうから声をかけてきた。

「大丈夫? なんか緊張してるように見えるけど」

「いやぁ、うん……大丈夫っちゃ大丈夫なんだけど」

 じっくりと、文香は桔梗に視線を向けながら返す。

 その視線の意図を測りかねた桔梗は首をかしげながら、どうしたのか問いかけると。

「桔梗ってほんとに美人だよねぇ……巫女装束が似合う人なんてそうそういないと思うよ?」

「いやぁ、美人だなんてそんなぁ……今度、文香も着てみる?」

「え、いいの?」

「年末年始とか夏の時期とかなら、着ることできるよ? ついでに、お金ももらえるし」

「……ちょっと待って。それってもしかしなくてもバイトに来てほしいってこと?」

「そゆこと」

 桔梗の意図を察し文香が問うと、桔梗はあっけらかんとした様子で返してくる。

 世間には繁忙期というものが存在しており、会社勤めであろうが役所勤めであろうが関係なくやってくる。そしてそれは、神社も例外ではない。

 神社でいう繁忙期とは、年末年始だけでなく夏の時期も大祓や夏祭りなどで走り回ることになる。

 どうしても人手が必要となるため、アルバイトを募集していることもあるそうだ。

 桔梗がそのあたりの説明と、文香にどれだけの利益があるかを語ろうとした瞬間。

「藤原の事情もあるんだ。しつこく勧誘するのはやめとけ」

「ちぇぇ……せっかく夏の大祓おおはらえは少し楽ができるかもって思ってたのにぃ」

「普段からやる気にあふれてるってんなら、俺も父さんに話を通すけど、いきなりそんなこと決められるわけないだろ」

 これまでのやり取りを聞いていたのか、成昌がそんなことを言いながら部屋に入ってきた。

 障子の向こうから姿を見せた成昌の服装は、黒く染められた平安時代の貴族のような衣装をまとっている。

 冠や烏帽子こそかぶっていないが、成昌の服装は直衣と呼ばれている天皇より官位を賜り、内裏で仕事に従事する人間がまとったとされる仕事服だ。

 現代では、年末や新嘗祭で天皇や皇族が儀式を行う際にまとっている映像がテレビを通じて全国に報道されているため、誰でも見たことはあるだろう。

 だが、なかなか現物を目にするという機会はあまりないため、文香はじっくりと成昌の姿を見ていた。

 その視線が不愉快だったのか、それとも照れ隠しなのか。成昌はいつものぶっきらぼうな態度で。

「なんだよ? 見世物みせもんじゃねぇぞ」

 苦情を呈してきた。

 だが、ここしばらくの付き合いで徐々に慣れてきたためか、成昌の苦情をものともせず。

「いやぁ、その恰好見るのってあんまないからねぇ」

「だからってじろじろ見るな。失礼だろうが」

「それは正直ごめん」

 平謝りではあるが、一応、謝罪の言葉を受け取った成昌はそれ以上の追及はしなかった。

 だが、沈黙は長く続くことはなく。

「早速だが、始めるぞ」

「あ、はい……よろしくお願いします」

 文香が姿勢を正し、お辞儀をしながら成昌にお願いする。

 その願いに成昌は沈黙で返し、祭壇の前に座り、振り向くと。

「まず、藤原に憑りついてる狐を引き離す。そのあとで、狐の方をどうにかする」

 茶化すわけでもなく、淡々とした様子で段取りを説明し始める。

 その雰囲気に、ふざけた態度を取ることは許されないことを感じ取ったのか、文香はいつになく真剣な表情を浮かべながら、説明を聞いていた。

「わ、わかった。わたしは何かしないといけないことはあったりするの?」

「緊張する必要はないし、藤原が特別、何かしなけりゃいけないことはない。ただ、こいつからなんとしてでも離れたいって気持ちだけは強く持っててくれ。いいな?」

 成昌の問いかけに、文香は真剣な表情を浮かべたまま、黙ってうなずく。

 緊張するな、とは言われているが、やはり緊張しているらしい。

 その頬には一筋の汗が伝っているし、眉間にも皺が寄っている。

 だが、成昌はその緊張をほぐすような冗談を言えるようなユーモアは持ち合わせていないし、そんなことをしている余裕が彼自身にもない。

「そんじゃ、始めるぞ。まずはうつ伏せになってくれ」

 成昌の口から出てきた言葉に、文香はそれまで張り詰めていた糸がU字を描くほど緩んでしまった。

「あ、あのぉ……なんでうつ伏せに?」

「これから使う呪法が足の裏に灸を据える必要があるんだよ」

「お、お灸……」

「なんだ、灸を据えるのは初めてか?」

「まぁ、うん……別に肩凝りとか腰痛とかないしねぇ」

 お灸というものが本来、どういう目的で使用されるのかは文香も知っている。

 当然、その使用方法と使用した際に何が起こるかも知っていた。

「だ、大丈夫かなぁ……火傷とか、しないよね?」

「しないよう、ある程度は調整するし、そのために桔梗がいる。それに、存外、早く次の段階にいけるかもしれないしな」

 お灸はヨモギなどの薬草を乾燥させ、形を整えたものを体のツボに着けた状態で火を着け、その熱でツボを刺激するもの。

 当然、その熱は体を直接襲撃するし、ともすれば、体にやけど跡を残すことになりかねない。

 帰りのことも考えると、足の裏に火傷を負うことはできるだけ避けたいものだ。

 成昌もそのあたりは理解しているのか、そうならないよう、鋭意努力する意思と一応の対策は講じていることを伝えてきた。

 成昌の言葉をひとまず信用することにして、文香は靴下を脱いで、床に突っ伏す。

 すると、文香の足元へ桔梗が移動し、成昌は祭壇から枯草を丸めて作った小さな塊のようなものを六つ手に取り、桔梗に手渡す。

 桔梗がそれを受け取ると、成昌は祭壇の前に座り直し、文香のほうを向く。

「付くも不肖、付かるるも不肖、一時の夢ぞかし――」

 右手の人差し指と中指を立て、刀印とういんと呼ばれる手印を結び、成昌が言葉を紡ぐ。

 まるで経文を唱えるようにゆったりとした、しかし緊張感を覚える独特のリズムで唱えられる言葉に、文香はなぜか聞き入ってしまう。

 だが、なぜか同時に不快感のようなものも覚えていた。

 その理由は文香自身もわからない。

――これって、わたしに憑りついてるっていう狐の妖に効いてるってことなのかな? だったら、我慢しないと

 成昌から言われた通り、とにかく自分に憑りついている妖狐から解放されたいという気持ちを強く持ち、耳をふさぎ、暴れまわりたくなる衝動を抑えていた。

 そうして、不快感と衝動をこらえながら成昌の言葉を聞きいていると。

「あっついっ⁈」

 突然、両足の裏に熱を感じ、文香は思わず悲鳴を上げた。

 片足で三か所、両足で合計六か所に熱を感じる。

 その熱が、さきほど桔梗が成昌から手渡されたお灸によるものだと、桔梗はすぐに理解できた。

 その熱を感じる中、文香は頭の中で何かが暴れているかのような、ひどい頭痛を覚え、のたうちそうになる。

――こんの! 暴れんじゃないわよ……さっさと、わたしから離れなさい‼

 だが、文香はいままで生きてきた中でも最大の根性を発揮し、体が動かないよう努力する。

 頭痛と暴れまわりたい衝動との格闘は、五分近く続いた。

 実際にそれらと格闘している文香は、その五分が十分にも一時間にも感じられていたため、とにかくさっさと出ていってほしいと願い、必死にこらえ続ける。

 だが、必死に文香の中に潜んでいる存在も強く抵抗しており、なかなか出てくる気配がない。

 これ以上、灸を置いておくと文香の足が火傷する。

 そう判断したのか、桔梗は文香の足に置いた灸を外す。

 この呪法では対処しようがないと成昌も判断し、用意していた別の呪法を使うことにし、再び刀印を結ぶと。

りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん

 印の指先を文香に向け、格子を描くように空中で十字を切った。

 さらに両手の指を組みながら、呪文のようなものを口にし、四隅と中央に「鬼」と書かれた紙を、文香の右足に貼り付ける。

 さらに、文香の額と後頭部に記号のようなものが記された紙を張り付けると。

「昔、霊山在り、法華ほっけと名づく。今、西方に在り弥陀みだと名づく――」

 詩のような言葉を口にする。

 そのすべてが唱え終わったのか、成昌は文香の右わきに膝をつき、手にしている数珠に通されている大きいたまを文香の額に当てた。

 ぐっと力を籠めて珠を押されたため、若干の痛みを感じるとともに、文香はさらに胸のムカムカが強くなったように感じ、ついに。

「げほぉぉっ⁉」

 とても年頃の乙女が出すようなものではない音を、口から漏らした。

 その音と同時に、大量の黒い煙が文香の口から漏れ出ていく。

 吐き出された煙は外へ出ることはなく、部屋の天井に塊となって留まっている。

 塊は徐々に大きくなっていき、部屋の天井を突き破るのではないかとすら思えてきたのだが。

「かっ、はっ! げほ、げほ……」

「大丈夫? 文香。いま、お灸外すからね?」

「う、うん……」

 すべての煙を吐き出し、文香は肩で息をしながら、桔梗の言葉に答える。

 そうしている間にも、文香の体から出てきた煙の塊は徐々に形を変えていく。

 その様子を見ながら、足の裏のお灸をすべて外してもらった文香は、桔梗に支えられながら、部屋の隅へと移動し、成昌は数珠を手首に巻き、両端が尖った金属の棒のようなものを握っている。

「桔梗、藤原のこと頼むぞ!」

「了解!」

 桔梗が成昌に返答すると同時に、桔梗は文香を支えながら部屋の隅へと移動する。

 そうしている間にも、煙の塊は四本の足を持つ獣の姿へと変わっていく。

 ふらふらと動く筆のように膨らんだ尻尾と思われる紐と、特徴的な三角の耳と顔。

 それらから、この煙が狐へと姿を変えようとしているのではないかと、その場にいた全員が理解した。

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