第8話 被害者の証言

 桔梗の通報により、十分もせずに救急車とパトカーが到着すると、被害者と同級生であるということで文香と桔梗は佐奈に付き添い、救急病院へと向かった。

 しっかりとした手当と検査を行い、ひとまず、命に別条がないことを知らされた二人は安堵する。

 ひとまず、状態が安定したこともあり、佐奈は病室に運ばれた。

 文香と桔梗もそれに付き添い、佐奈が目を覚ますまで待っていたのだが。

「文香。わたし、学校に連絡するから、付いててあげて」

 学校に連絡を入れていないことを思い出したのか、桔梗がスマートフォンを取り出してそう話す。

 ならば自分が、と文香もスマートフォンを取り出そうとするが。

「わたしより文香のほうが目覚めた時に安心するんじゃない? それに、わたしはついでに連絡しておきたい人もいるし」

「そ、そう……わかった」

 ついでの用事があると言われ、文香が引き下がると桔梗は病室を出ていく。

 病院という、怪談話の舞台になりやすい空間。そして、佐奈が目の前にいるとはいえ、彼女の意識はまだ戻ってくる様子がなく、実質的に一人だ。

 おまけに文香は現在、『天使さま』で呼び出してしまったかもしれない霊的存在による霊障に悩まされている。

 それらの要素がかみ合わさって、文香の心中には不安が渦巻いていた。

――い、いやいや、大丈夫でしょ……安倍がくれたお守りだってあるんだし

 やや強引ではあるかもしれないが、文香は自分の心中に渦巻いている不安をどうにか鎮めようと努力する。

 桔梗が来るまではせめて、という想いもあったのだろう。

 現に、別の病室へ向かう看護師が押しているのであろう台車の音や骨折患者や足の悪い高齢者が使っている杖が廊下を叩く音など、部屋の前を通過する音という音に強い不安を覚えているのだ。

――厄除やくよけって書いてあるし、悪いことから守ってくれるはず……だよね? まさか、あの夢を見ないようにするだけ、なんてことないよね

 大丈夫、と思っていたが、実際に目の前で『天使さま』に関わった友人が不幸な目に遭ってしまうと、次は自分の番なのではないか、と思ってしまう。

 たしかに根拠はない。

 だが、恐怖や不安を感じることに根拠は必要ない。怖いものは、理屈抜きで怖い。

 正常な判断力が恐怖で鈍っている中、慌てふためいていると、病室の扉が開く。

「ただいまぁ」

 扉の向こうから、戻ってきた文香がこちらに顔を向けてくる。

 見知った顔が視界に入ってきたことで、ほっと安どのため息をつくが、桔梗は文香が起こしていた奇妙な行動にいぶかしげな顔をしながら、文香に問いかけてきた。

「どうしたのよ? 文香」

「え? な、なにが……?」

 できる限り冷静さを保ちながら、文香が問いに答えると、桔梗は呆れたといわんばかりの様子でその問いに答えを返す。

「いや、ベッドの後ろに隠れちゃってさ」

「い、いやぁ、その……何か落としちゃったみたいで」

 誰が入ってくるのかわからないから、怖くて思わずベッドに隠れてしまったことを隠し、苦笑を浮かべながら文香が返す。

 その言葉を信じたのか、桔梗は目を丸くし、大丈夫なのか問いかける。

「え? 大丈夫なの、それ」

「う、うん。見つかったから、大丈夫……それより、連絡付いたの?」

 恐怖で思わず身を隠したことをどうにか誤魔化すことに成功した文香は、桔梗が自分の目的を達することができたのか問いかけた。

 桔梗はこくりとうなずいて返し。

「連絡付いたよ。学校には、成昌が伝えてくれるって」

「へ、へぇ……案外、気の利くところあるのねぇ」

 不愛想な表情と態度からは想像しにくい意外な一面に文香が感心していると、ただね、と桔梗が付け足してくる。

「佐奈が目を覚ましたら、事故ったときのこと少し詳しく聞いてくれって」

「え? それって事故ったときのこと思い出せってことだよね?」

「まぁ、もしかしなくてもそういうことじゃないかな?」

 呆れたと言わんばかりにため息をつきながら問いかけてくる文香に、桔梗は肩をすくめながら返す。

 返ってきた桔梗の言葉にも、文香はため息をつく。

 一歩間違えれば死んでいたかもしれない状況を、あまり時を置かずに思い出せということが、どれだけ精神的に酷か、わかっているのだろうか。

――そもそもなんで事故の時のことを知りたいのよ? 野次馬のつもり? だとしたらデリカシーないわね……それとも、女子が怖い思いしたことをわざわざ聞いて楽しむつもり? デリカシーないだけじゃなくて趣味も悪いっての?

 呆れを通り越して怒りすら覚えてきた文香であったが。

「ん……? あ、あれ? ここは」

「佐奈⁈ よかった、目が覚めた!」

 佐奈が目を覚ましたことで、その怒りは吹き飛んでしまった。

 自分の置かれている状況がわからない佐奈は、突然、視界に飛び込んできた文香の安堵に満ちた顔と声に、さらに困惑するが、そんなことはお構いなしに、桔梗が佐奈に声をかける。

「ナースコール押すけど、その前に聞かせてもらっていい?」

「へ? なんで葛原さんが?」

「あぁ……まぁ、それはひとまず置いといて、内容が内容なんだけど、聞いてもいい?」

「置いておくって……まぁ、うん。いいよ」

 顔見知りではあるけれどもさほど交流があるわけでもない桔梗がいることに、佐奈は少しばかり驚いたが、追及してもはぐらかされるだけと感じ、桔梗の質問に答えることに了承する。

 了承を得た桔梗は、さっそく、佐奈に質問をぶつけた。

「事故が起きた時のこと、覚えてる?」

「え……うん」

「ほんとに申し訳ないんだけど、その時のことを教えてくれない? 怖いこと思い出させて申し訳ないんだけど、あなたと文香がやったことに関わりがあるかもしれないから」

 佐奈と文香がやったこと。

 それが『天使さま』であることを理解するまで、文香も佐奈もさほど時間を必要としなかった。

 桔梗からその言葉を聞いた瞬間、佐奈はぽつりと、やっぱり、と口にする。

 その呟きが聞こえ、文香がどういうことなのか問いかけると、その疑問に答えるように、佐奈は自分の身に何が起こったのか、説明を始めた。

「あの時、信号が変わるのを待っていると――」




 あの時、信号が変わるのを待っていると耳元で何かが聞こえてきたの。

 人の声……のような感じもしたけど、普通の人の声じゃない感じだった。

 何言ってるのかわからない? う~ん……なんて言ったらいいのかな? こう、普通に話している感じの声じゃなくて、布ようなものを通した感じのくぐもった感じというか、お風呂場で話してるときみたいな感じの響き方の声、かな?

 とにかく、普通の人が話しかけてるって感じじゃなかったの。

 そいつがわたしの耳元で。

「前へ、前へ……前へ行け」

 って、言ってた気がするの。あ、本気で前に出るつもりはなかったけどね? 赤信号だったし、事故るなんてことになりたくないし。

 でも、声を無視してたら急に足に力が入らなくなったの。ほら、小学生の頃に「膝カックン」ってあったじゃない? あれみたいな感じで急に。

 でそのあと、何かが背中を押したような感じがして、気づいたら地面に倒れてたの。

 もちろん、立とうとしたよ? けど、その前にバイクが突っ込んできて、はねられちゃって……で、目が覚めたら文香が目の前にいた。

 そんなところかな。

 え? 何がわたしを突き飛ばしたか見たのかって?

 う~ん、人じゃなかったような気はするよ? けど、そんな気がするってだけで、もしかしたら、突き飛ばされたってこと自体がわたしの勘違いで、本当はちょっとふらついて倒れちゃったのかもしれないし。




「まぁ、こんな感じかな?」

 桔梗の問いかけの返答を、佐奈はそう言って締め括る。

 サスペンスやホラー作品のような虚構フィクションにはよくありそうなことではあるが、よほど倫理観が崩壊している人間が近くにいない限り、誰かに突き飛ばされて事故に遭う、ということはあまり起こりえない。

佐奈がいうように彼女を突き飛ばした人間はその場におらず、実は彼女が疲れに無自覚であり、積もり積もった疲労が佐奈をふらつかせ、横断歩道に飛び出させた、というほうがまだ真実味を感じられる。

だが。

「……ねぇ、ちょっと背中見せてもらってもいい?」

「え……なんでまた」

「いいから、いいから。念のため、ね?」

 何が念のためなのか、その意図をはっきりとはしてくれなかったが、背中を確認する以上のことはしない、と約束させて、佐奈は桔梗に背中を見せる。

 目立った外傷やしみのようなものが一つない、しっかりと手入れされていることが容易に想像できる、年相応のきめ細やかで艶やかな白肌なのだが、ある一点に桔梗は眉をひそめ、文香は目を見開く。

「……ねぇ、佐奈。佐奈の家って、犬とか猫とか飼ってる?」

「え? 飼ってないよ?」

 唐突な質問に、佐奈は首をかしげながらそう答える。

 その返答が嘘ではないことを声色から判断した桔梗は、少し考え込むようなそぶりを見せたあと。

「……ありがとう。もう大丈夫だよ」

「うん。ねぇ、何かあった?」

「手形とかあったらなぁって思ったんだけど、なかったわぁ……」

「てか、佐奈の肌綺麗だったよね。お手入れとか何してんの?」

「うぇ⁈」

「あ、それわたしも気になった。何かやってるなら、教えて」

「ちょ、いまここで聞くの⁈」

 自分の背中を見たい、と言ってきた理由について問いかける佐奈に桔梗が返し、文香が少し無理矢理ではあるが、話題を返させた。

 スキンケアという、いつまでも若々しく見られるために必要なボディメンテナンスについて、真剣な表情を浮かべる文香と桔梗だったが、その脳裏には先ほど見せてもらった佐奈の背中が浮かんでいた。

 文香と桔梗がうらやましいと話した佐奈の背中。

 傷一つなく、にきびや小さな発疹すらない白い肌に、赤く浮かんだものがあった。

 大きな丸の上部に等間隔で並んだ小さな四つの丸。

 見る人間が見れば、それが猫や犬のような肉球であることがわかるだろう。

 むろん、家を出る前までの間にそれらのペットに踏まれた、という可能性もある。だが、その可能性を佐奈自信が否定していた。

 である以上、なぜ佐奈の背中にそんな特徴的なあざができているのか。

――もしかして、これって……『天使さま』で呼ばれた何かが佐奈を突き飛ばして、道路に突き飛ばしたってこと……?

 文香が思い至ったその理由は、あまりに突飛で奇抜なものだった。

 だが、桔梗の口から伝えられた成昌の言葉が、文香はどうにも引っ掛かっており、状況証拠もそろっている。

 奇抜で突飛な、ナンセンスと一笑いっしょうされても仕方のないものであっても、文香は現在進行形でその奇抜で突飛な事態に直面しているのだから、どうしてもその考えに至ってしまった。

――いやいや、さすがにありえない……と思いたいんだけどなぁ……これも含めて、安倍にもう一度相談したほうがいいのかなぁ

 自分だけでなく、佐奈も『天使さま』の被害を受けたのだとしたら、次は自分の番かもしれない。

 そう考えると、背筋に冷たいものが走る感覚がした。

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