}第六話{

 }第六話{


 白い天井と、白く光る蛍光灯。目を開けると、視界いっぱいに白が飛び込んできた。


 カシャッと、カーテンを開ける音がする。


「相田くん、今日もねむ……、えっ!」


 顔を右に傾けると、白衣姿の女性が驚いた顔をしていた。


 何処かで見たことがある。


 そうだ、学校の保健室の先生だ。


「大変、向井さんを呼ばなきゃ!」


 やってきたと思ったら、踵を返して保健室を出る先生。


 向井さん?


 ……そうだ。左腕を失くした俺を、フォリアさんが治療してくれて。でも、フォリアさんが急に現れた男に痛めつけられて。


 それで俺がやつを、殴って、殴って、殴って。殴って、それから、どうなったんだ?


 意識を手放してしまったので、あの後どうなったのか分からない。俺がここに寝ているということは、あの男は倒せたと思うが。


 あれから、どれくらい経った?


 俺は右腕を上手く使って上体を起こす。開け放たれたカーテンから保健室の様子を探るも、誰もいないようだ。


 左腕に目を移す。シャツの長い袖は、二の腕の半分ほどまで膨らんでいる。本当に腕が再生している。これが『回復の魔法印』の力か。ただ、まだ時間がかかりそうだ。


「大丈夫かいっ、桃理くん!」


 ふいに向井さんと思われる声が響き、続いて二人分の足音が俺に近づいてくる。


「よかった!本当によかった!」


 起き上がっている俺を視界に収めると、向井さんが弾むような大声を出した。


 自分のことのよう喜んでくれる彼を見て、俺は心配をかけさせてしまったと申し訳ない気持ちになる。


「左腕は大丈夫ですか?痛みなどはありますか?」


「今は大丈夫です」


「それはよかった。……でも、全く痛くありませんか?」


「そうです。痛くないです」


「……そうですか。そういうなにかがあるんでしょう」


 保健室の先生の問いかけに応えるも、納得がいっていないようだ。


 確かに、きつめの包帯か何かを巻いて止血できたとしても、痛みを消すことなんて不可能なのではないかと思う。


 でも、本当に痛くない。フォリアさんが激しく痛がっていた、あの男の血を浴びても平然としていられたのは、やはり『回復の魔法印』のおかげなのか?


「先生。それはおそらく、彼を治療した神官が刻んだ、『回復の魔法印』というものの効果かと思われます」


「かいふくのまほういん?」


「回復魔法の一種です。刻み込まれた人の痛みをなくし、徐々に体を癒す働きがあるとされています」


 向井さんが流暢に魔法の説明をする。ラノベとかアニメとかを嗜んでいたわけじゃあるまいし、多分サーニャに教えてもらったんだろう。 


 ……そうだ、サーニャ!それに美紀とアレクは!?


「向井さん。美紀たちは無事ですか?」


「……そうだったね。きみはあの後意識を失ったから、その前後の記憶があやふやになっているんだね」


 前後の記憶?


 まさか、美紀たちがあの男に!


「襲撃してきた男は元人間の魔物で、桃理くんが倒してくれたんだ。最後は……、男の肉を食いちぎってね」


 え!?俺そんなことしてたのか!?


 思わず息をのんでしまう。


「私はその場に居なかったけど、アレクくんがそう言っていたよ」


 なら、そうだったのだろう。全く覚えていないが。


「なるほど……。それなら、美紀たちは無事なんですね。それじゃあ今どこに?」


 起き上がった俺を見て、先生は向井さんを呼んできてくれたが、どうして美紀たちは呼ばなかったんだ?


 胸の内にかすかな違和感がやってくる。


「桃理くん、落ち着いて聞いてね。美紀ちゃんたちは、魔王を倒す旅に出かけたんだ。今から四日ほど前にね」


「……どこにですか?」


「王都、と言っても分からないだろう。でも分からなくていい。きみはここで安静に……」


「行きます!」


 美紀が戦っているというのに、俺だけぬくぬくと引きこもってるわけにはいかない!


「ダメだ!……美紀ちゃんに言われたんだ。きみを頼みますと!だから、きみを死なせるようなことはさせない」


 美紀がそんなことを……。


 でも。


「死ぬと決まったわけじゃ……」


「いや、死ぬ!美紀ちゃんがすごいだけで、私たちはただの『地球人』なんだ!魔物に襲われたら、なす術なく死ぬか弱い人間だ!桃理くんもそれを自覚してくれ!」


 向井さんが語気を強めて言う。


 向井さんは、この世界での自分たち『地球人』が、脆い存在であると理解しているんだ。だからこそ、戦わない選択をした。この学校の中に留まり、自分の命を守る選択肢を選び取ったんだ。


 彼が美紀たちに同行しなかったのは、こういう理由だろう。


「ありがとうございます、向井さん。今日まで看病して頂いて。俺に命を大切にするよう、叱って頂いて。でも、俺は行きます」 


「お願いだ!考え直してくれ!!」


 俺がなにもできず、母さんは魔物に食われて死んでしまった。生き延びて美紀たちについていった可能性があるが、俺を助けてくれたフォリアさんも亡くなってしまったのかもしれない。その上、美紀も死んでしまったら、俺は俺でいられなくなる。


 もう、大切な人は死なせない。俺が、戦って守る!


「やりたくはないが、力づくでもきみはここに……」


「決めました。俺が、戦うことで守るって」


「でも!桃理くんはなんの力も持っていない……」


「『回復の魔法印』があるんです。盾くらいにはなれます」


「それじゃあ、桃理くんが……」


「ええ、死ぬかもしれません。むしろその確率の方が高いと思います」


「だったら……」


「でも、俺は美紀やアレク、サーニャに死んでほしくない。非力だけど、なにか力になれると思うんです」


「……」


「美紀が俺を頼むと言ったのなら、俺は、高校にいる人たちを向井さんに頼みます。『地球』の人も、『マナレガリア』の人も、全員守ってあげてください」


「……」


 保健室に重い沈黙が流れる。


 向井さんは渋い表情で、なにかに耐えるような顔のまま口を開いた。


「もう、なにを言っても無駄なようだ。済まない美紀ちゃん。お兄さんを止められなかった」


 向井さんは上を向き、遠くにいるであろうミキに向かって謝罪する。


「……じゃあ、行きます」


 俺は下半身をスライドさせ、ベッドの脇に立った。


「そんな!起きてすぐ行くなんて!」


 保健室の先生が駆け寄ろうとするも、俺は右腕を上げて制止した。


「向井さん、今までありがとうございました」


「礼を言うのはこちらの方だよ。あの男を倒してくれてありがとう、桃理くん」


 向井さんの方を向き、礼を言う。


 それに対し、向井さんも礼を返す。


「先生も、ありがとうございました」


 保健室の先生の方に向き直り、感謝の言葉を告げる。


 先生はまだなにか言いたげだったが、こらえるように口をつぐんだ。ケガ人をほっぽりだすようなことはできないが仕方がない、という複雑な心境なのだろう。


「それじゃあ……」


「桃理くん、ちょっと待っててくれ」


 俺が最後の言葉を紡ごうとすると、向井さんが待ったをかけ、走って保健室を出ていった。


 しばらくして帰ってきた彼の手には、鞘に納められたナイフがあった。


「近所の家から拝借してきたナイフだ。魔物相手には心許ないが、ないよりはましだろう。自分で傷つけないよう、慎重に扱ってくれ」


「はい、ありがとうございます」


 俺は向井さんが差し出してくれたナイフを受け取る。


 スンと、少し重たい感触が掌を覆う。これが、刃物。凶器の重量。


「それじゃあ、今度こそ」


「ああ、くれぐれも気をつけて」


「はい、それじゃあ」


 俺はあいさつもほどほどに、保健室を後にした。



 ※※※


 

「この隙間から出てくれ」


 数分後。校庭に出た俺は校門が土嚢で封鎖されていたので途方に暮れていると、先ほど別れた向井さんがやってきて、通り道を作ってくれた。


「ありがとうございます」


「頼むから、生きて帰ってきてほしい」


「ベストは尽くします。全員で、戻ってきます」


 今度こそ向井さんと最後の言葉を交わし、俺は高校から旅立った。


 なんだか締まらないな。



 ※※※



 王都と言うからには、王城があるのだろう。


 高校の近くの、三階建てのビルの屋上に着いた俺は、辺りの景色を眺めて城を探す。


 木や建物が多く、視界が良好とはいえない。しかし遠くにうっすらと、小高い丘とその上に鎮座する大きな壁が見えた。


 その周辺には木々がなく、地球の住宅や『マナレガリア』の街のものであろう住居たちが並んでいる。


 城らしきものがあり、住宅街と『マナレガリア』の街並みが融和した場所。あそこが恐らく、王都だ。


「行くか……!?」


 あたりをつけた俺は、屋上の出入り口に視線を向けた。


「キチッ、キチッ」


 すると、そこを塞ぐようにして、無数の脚が生えた大きなクモの魔物が蠢いていた。


「くそっ!」


 出口には行けない。飛び降りるか!?


 その逡巡の間に、魔物はこちらに迫ってきた。


 間に合わない。どうして考えた!?

 

 考える前に行動しなければ、あっという間に殺されてしまうのに!


「ギィッチッ」


 瞬時に距離を詰めてきた魔物は大あごを左右に開き、勢いよく閉じて俺を挟もうとしてくる。

 

「ぐううううっ!」


 幸い顎は尖っておらず、体が切断されることはなかった。

 

 だが、俺の両肩はクモの顎でホールドされた。ものすごい力が両側から加わる。


 肩が強く圧迫され、左腕の傷口が開いたのか、シャツの袖が黒く染まっていく。


 ……黒く?


 この色はまさしく、あの男の……血。


「キィッ」


 魔物の顔から細長い管が、ゆっくりとこちらに向かって伸びてくる。


 このままだと、消化液でドロドロにされて魔物のエサになる。


 やってみる価値はあるか。一か八かだ。


「ずわああああっ!」


 俺はかけ声とともに、無理やり左腕を持ち上げる。そして、血で滴るシャツの袖を正面に向かって振り上げる。


 飛び散った血が、魔物の顔面にかかる。


「キチッ!?」


 魔物が悶え苦しみ始める。

 

 顔を左右に揺らし、脚をわしゃわしゃと動かしながら、苦痛に耐えている。


 顎が急に開いたため、俺は床に投げ出された。


 間違いない。俺の体には、あの男と同じ、毒の血が流れている。


 でも、どうしてだ?


 いや、今そんなことは考えない。もう二度と、油断はしない。


 冷静になった頭で、俺は正面の魔物を見据える。


「キチチチチッ!キチッ、キチッ」


 こいつは毒に苦しんでいるだけで、痛みが引いたら再び襲ってくるだろう。


 魔物にも俺の血が効くのなら、俺はこれを武器にする。


「はあああああっ!」


 俺は思いっきり左腕を振る。


「ギッチチチチッ!!」


 飛び跳ねた血が魔物にかかり、さらに苦しみ出す。


「はあああっ!…ほああああっ!…はあああああっ!………」


 何回も、何回も振るう。この魔物が動かなくなるまで。


「はああああっ!………やっ、たか?」


 一度攻撃の手を止め、前の様子を確認する。


「キ……」


 蜘蛛の魔物は一部の脚をひくひくとさせ、ひっくり返っていた。


 多分、大丈夫だ。この位置なら、少し思考に集中してもいいだろう。


 では、なぜ、俺があの男の能力を得たんだ?


 『最後は……男の肉を食いちぎってね』


 ここで、向井さんの一言を思い出す。


 まさか魔物を食べることで、その魔物の力を得られるのか!?


 俺はラノベやアニメなど、その手の作品に触れた過去を振り返って、そう考察する。


 だったら、今目の前にいる魔物を食えば、新しい能力に目覚めるのではないか?


「……」


 まだ生きている場合のことを考え、警戒しながら一歩ずつ前に進む。


 あと数歩だ、気をつけろ。死んだふりをしているかもしれない。

 

 手が届く位置まで来たところで、俺は右手で魔物の顔に触れてみる。


 ……反応がない。この魔物は死んだということでいいだろう。


「ふううっ」


 一息ついて安堵した俺は、額の汗を拭う。


 それじゃあ今度は、この魔物を食べてみよう。


 ものすごく嫌だが、俺には『回復の魔法印』がある。腹を壊しても痛くないはず。

 

 俺は魔物の顔の横に移動する。脚の一本を掴み、関節を逆側にねじる。


 パキッという音がして、関節が壊れる。


 その後、左右に揺らして脚を関節からちぎり取る。そしてこの脚を口元に持っていき、一口かぶりついた。


「ぶへあっ!………まずっ!」


 あまりのまずさに、吐き出してしまった。


 だが、飲み込まないと結果が分からない。意を決してもう一口かぶりつく。


「……っがああっ!」

 

 苦くて渋い。とてもじゃないが食用にできないまずさ。


 だが、今度はちゃんと飲み込んだ。食べた。食べたぞ。


 しかし、この魔物の能力はなんだ。糸を吐き出すとかか?


 俺もできるようになっているかもしれない。


「はっ!……はっ!……はっ!」


 何度も手をかざすものの、一向に糸の出る気配がない。


 これじゃあ、魔物の力を手に入れられたのか分からない。今はこの疑問を解消できないようだ。


 仕方ない。食べただけ損だとか考えるのはなしにして、美紀たちのところへと急ごう。


「毒の血があれば、俺も……」


 活躍できるかもしれない。


 俺は新たに得た毒の血という能力を武器にして、この世界を生き抜くことを決意した。

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