20 誰のために


 黒髪ボブのウィッグに、目つきの印象を和らげるための黒縁メガネ、着こなしも正した。

 誰がどう見ても真面目少女の出来上がり。

 そこに悪女の姿はない。


「い、如何いかがかしら……?」


 言葉遣いも丁寧に。

 これなら楪柚希の悪印象をだいぶ和らげる事に成功しているはず。


「「……」」


「……あれ?」


 しかし、何故か二人とも無言。

 上から下へとあたしに視線を上下はさせるが、口は開かない。

 感想求む。


「……うん、印象はちがう」


「……そ、そうですね。これならゆずりはさんだと怖がる人はいないかもしれません」


 しかし、二人の返事に妙な間があるのがどうしてなのかは分からないままだが。

 とにかく期待通りの見た目にはなっているようだ。


「街頭演説の時に“学園の改革よりまず先に、楪柚稀の改革を優先しろ”みたいな事も言われたから、これはアピールになるはずねっ」


 指摘されていた改革を涼風千冬すずかぜちふゆは当選前から遂行した事になる。

 これは好印象に繋がると思う。

 そして生まれ変わったあたしを認知してもらう事でヘイトも減り、追放ルートを回避できるはず。

 うん、完璧じゃない?


「じゃあこの作戦で行ってみよっか」


「「……うん・はい」」


「ねえ、なんで必ず間が空くの?」


 いつも素早い返事を繰り出してくる二人なのに無言の間が妙に多い。

 何か気になる事があるなら言って欲しい。


「いや、うん、話してた通りの効果は得られるはず。今のユズキに敵対心を持つ人は少ない」


「その通りですっ」


 ……あたしの杞憂だったのか?

 うん、人を疑うのは良くない、二人の言葉を信じる事としよう。




        ◇◇◇


 


 休み時間、廊下を歩いてみる事にした。

 内心はまた人に笑われるのではないかとヒヤヒヤしていた。


 その時は、すぐに訪れる。

 前方から人が通りかかって来たのだ。

 息を殺して、そのまま歩き続ける。


「それで、昨日の事なのですが――」


 素通り。

 何事もなく通過して行った。


「おおっ」


 思わず一人でガッツポーズ。

 行けた、行けたよっ。

 問題はクリアされた。

 これであたしが足でまといにならずに済むっ。


「……何をしているの?」


 背後から冷たいトーンの声が響く。

 季節は夏なのに、急に氷点下を下回ったようだ。


「えと……どちら様?」


 振り返ると、そこにいたのは黒髪美少女の千冬ちふゆさんだった。

 もしかすると、まだあたしの正体に気付いていないのでは?

 とシラを切ってみたのだが……。


「いつからコスプレを趣味にするようになったの、貴女」


「いや、これはそういった趣味とかではなくて……」


「まさか副会長の責任者が、真面目にこんな格好をしているとでも?」


「え……あ……」


 すっごい真面目に考えたんですけど。

 何だったらルナのアイディアでもあるんですけど。


「はあ……こっちに来なさい」


「え、あ、ちょっと」


 あたしは千冬さんに手を引かれて歩き出すのだった。







「外しなさい」


 連れてこられたのは更衣室。

 放課後でも体育でもないため、この時間は無人である。

 よって二人きりだ。


「えっと……ウィッグを?」


「それと眼鏡も」


「あたしのイメチェンが……」


 どうやら千冬さんのお気には召さなかったらしい。

 渋々だが、ウィッグと眼鏡を外す。


「これだといつものゆずりは柚稀ゆずきになっちゃうよ?」


「貴女は楪柚稀なのだから当然でしょ、何で変装なんてしたのよ」


 理由を問われれば……それは千冬さんの生徒会選挙を見据えてのものだ。


「あたしの印象が悪いからさ。これで千冬さんが楪柚稀を更生させて、行動力のある人だってアピールになると思ってさ」


「はぁ……そんな事だろうとは思ったけど……」


 千冬さんから長い溜め息が零れる。

 そこまでおかしな事をしてしまったのだろうか。


「貴女が自分自身を殺してまで私の事を気に掛ける必要はないわ、それはやりすぎよ」


「……そうかな」


「ええ、貴女はもっと自分を大事にしなさい。というか、自分を大事にしすぎるが故に周りとの軋轢が絶えない人物の印象だったのだけれど」


 それは以前の楪柚稀の事だろう。

 彼女は自分の意志を曲げる事はない。

 その強大なプライドが主人公との不和を生んできたのだから。


「そんなプライドすぐ捨てるけどね、あたしには必要ないものだよ」


「……前から思っていたのだけれど、どうしてそこまで貴女は変わったの? まるで別人のような発言ばかり」


 魂が違いますからね。

 なんて、言えたらいいのだけど。

 それを言ったところで信用してくれるはずもない。


「それだけ千冬さんの副会長当選に懸けてるって事」


 これは嘘偽りなし。

 あたしは自身の責任として、千冬さんを当選させないといけない。


「それが、どうしてと聞いているのよ……」


「えっ?」


 ふと、千冬さんの手があたしの頬に触れる。

 何かと思い反射的に顔を上げると、その瞳の奥は揺らいでいた。


「どうして自分を捨てて、そこまで献身的になれるの? 貴女らしくもない……意味が分からないわ」


「え、えっと……」


 普段の冷たい印象の千冬さんと違って、その手は確かな温度を孕んでいる。

 その指先が頬を滑っていく感触は、言葉以外の何かを訴えているようだった。


「理由は言ったよ? あたしは責任者として、千冬さんが当選する為にやれる事をやりたいだけ」


「……それが私には理解出来ないの。他者のために自己犠牲を厭わないなんて、私には真似出来ないわ」


 千冬さんの自己犠牲は、自身の目標達成の為でもある。

 だから、他人のために払う犠牲というものが理解出来ないのだろう。

 更に深掘れば、そんな他者への自己犠牲を厭わない姿勢の方が人として正しいと感じているのかもしれない。

 だから千冬さんにとっては、自身の未熟さを見せつけられている様で心が痛むのだろうか。

 そんな傷んだ表情を浮かべてしまうほどに。


「それは違うよ、千冬さん」


「……え?」


 私はその頬に触れた千冬さんの手に、手を重ねる。

 触ると温かさと、その柔らかさが感じられる。


「あたしは千冬さんが当選してくれる事が、あたしの喜びなんだ。だからこれは自己犠牲と言っても、あたしの為の行為でもあるんだ」


「……そう、なの?」


 千冬さんが目を見開く。

 あたしが責任者を全うする事は伝えていたが、この覚悟までは伝わってなかったのかもしれない。

 でも、この言葉は全て真実だ。


「だから、千冬さんが当選するためなら、あたしは何だってやるよ。気にしないで使ってよ」


「……楪」


 ふるふると、千冬さんは何かを振り払うように首を振る。


「ありがとう、そこまで考えてくれているなんて正直思ってもいなかった」


「うん、だからあたしの事は気にせず助けになる事は何でもやるから」


「そう……そこまで本気なら、私もそのアイディアについて考えてみるわ」


 そこでようやくあたしの気持ちと意図を理解してくれたのか、千冬さんが柔和な表情を取り戻す。

 これからの残り少ない時間、一丸となって生徒会選挙へと望めそうだ。


「ルナが考えてくれたアイディアだからね、効果は期待出来るよ」


「……ルナ?」


 そこで、千冬さんの言葉に温度が消える。

 あれ。


「え、うん……相談したら、イメチェンが効果あるんじゃないかって」


「そう……ルナ・マリーローズの悪知恵だったのね」


「ん、悪知恵?」


「危うく陰謀に引っかかる所だったわね、楪。やはり貴女は今まで通りでいいわ、そんな偽りの恰好なんて必要ないのだから」


 意見が180度変わる千冬さん。

 表情もクールになってるし、なんでこんなに変わるの?


「貴女は私の責任者なのだから。他者の意見を取り入れる必要はないわ、分かったかしら?」


「え、でも幅広い意見を取り入れるのは大事……」


「私と貴女の意見が最も尊重されるべきよ、分かった?」


「あ……はい……」


 あれ、何でまとまりかけたのに、こんな形に落ち着いたんだろう。

 千冬さんの温度は急速冷凍していくのだった。

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