魔王と勇者と幹部共⑯

 すると、エリスはお茶の入ったカップを手で弄びながら言った。


「……もっとよく知りたいなって思ったんです。魔族の方々のことも、幹部の方々のことも、もちろん、ガロンさんのことも。わたしが傷つけようとした方々が、本当はどんな方々なのかを知ることが、勇者としてのわたしに出来るたった一つの事だと思ったから」


 魔王城で働きたいだなんてエリスにしては突飛な提案だと思ったが、以前魔族達と戦ったことに対する罪滅ぼしのような意図があったのか。


 正体を明かせない以上、エリスは幹部達に謝ることが出来ない。

 だからせめて今の自分に出来ることをしようというその気持ちはとても尊いものだと思う。


 だが――。


「……辛くなっただけなんじゃないか?」


 相手のことを知れば知るほど、命をかけた戦いなんてものは出来なくなっていく。

 相手が悪人ならいいが、善人だったことがわかってしまったらただ自分が苦しくなるだけだ。

 だったら戦わなければならない奴のことなんて最初から知らないほうがいいに決まっている。


「そう、ですね。ルルヴィゴールさんは真面目で、ガルゼブブさんは優しくて、デルゼファーさんは真っ直ぐで、ロルちゃんさんは楽しくて。みんないい方ばっかりで――わたしは、こんな優しい方々と戦ってしまったのかって思って、凄く……苦しくなっちゃいました。知らないほうがよかったんじゃないかって、そういう気持ちがあるのは否定できません」


 しかし、そう口にした割にはエリスの顔は晴れやかなものだった。


「でも、やっぱり知ることができて良かったと思います。魔族の方々と理由もなく争う事は間違っているのだと、改めて思うことができましたから」


「そうか」


「それに、その……」

 

 尻すぼみに声が小さくなっていくエリスだったが、お茶を一気飲みすると、早口でまくしたてるように言った。


「わたしは確かにまだ子供かもしれませんけど、ちゃんと役に立つんだってことを、ガロンさんに知ってほしかったんです」


「役に立つ?」


 役に立つどころか、俺の中ではいてもらわなきゃ困るくらいの存在になっているのだが……。


 すると、少しだけむすっとしながらエリスが言った。


「ガロンさんが言ったんじゃないですか。『こいつはまだまだ子供だ、魔王城で働かせても役に立つとは思えない』って」


「あー……」


 そういえばそんなことを言ってしまった気がする。


 あの時は幹部が押せ押せでエリスを働かせようとするので、なんとかやめさせようととりあえずで言った言葉だったのだが――確かにエリスからしてみればいい気分じゃなかったかもしれない。


「いや、あれはだな……」


「凄くショックだったんですよ?お前なんか必要ないって言われてるみたいで、泣きそうになっちゃいました」


 え、辛――いや違う、辛くなっている場合じゃない。

 弁明だ。弁明をしなければ。


 しかし、ここにきて今日一日の疲れが俺の頭の動きを鈍らせる。

 焦りだけが募り、身振り手振りはするものの、「あのーそのー」と言うばかりでうまく言葉が出ていかない。


 そんな俺を、エリスはいつのまにか微笑を浮かべながら楽しそうに眺めていた。


 からかわれてしまったか……。


 本来なら怒るべきところなんだろうが、ほっとした気持ちしか浮かんでこない辺り、俺も随分とエリスに心を許してしまっているらしい。


「……魔王をからかうとは、命知らずな人族もいたものだな」


 負け惜しみのようなことを口にすると、エリスは笑顔のまま「すみません」と素直に謝ってきた。


 そんなやり取りが妙に心地よく、それはエリスも同じだったようで、どちらともなく吹き出して笑いあった。


 それから一頻り笑った後、エリスは一呼吸おいて呟くように言った。


「でも、ガロンさんの役に立ちたいって言う気持ちは本当ですよ。わたしに出来ることがあれば、何でも言ってください」


「いいのかそんなこと言って。俺は物凄く我儘だぞ?」


「もちろんです。勇者に二言はありません」


 どん、と胸を叩いて自信満々に言うエリスに、ちょっとした悪戯心が湧いた。


 からかわれたままというのも色々と面目が立たないからな。こう、魔王的に。

 エリスには絶対に出来ないであろうことを言ってちょっとだけ困らせてやろう。ちょっとだけな。


「クク、ではこのまま人族の元には帰らず、死ぬまで我に仕えてもらうとしようか!」


 こんなことを言えば当然、


『もう、何言ってるんですかこのクソボケ魔王。そんなのできるわけないじゃないですか。社交辞令もわからないで本気にするとか、魔王辞めたほうがいいと思いますよ。向いてないと思うんで。バーカバーカ』


 と、こんな感じの言葉が返ってくるはず――いや、こんなに口の悪いことをエリスが言うわけはないが――まぁ普通に断られるだろう。


 さすがに考えるまでもない質問だったからか、エリスはすぐさまにこやかに答えた。


「はい、わかりました」


「そうだろうそうだろう。できるわけな――なんて?」


「え?」


 俺の問いかけに、きょとんとしながら顔を傾けるエリス。

 自分が何を口にしたのかまったくわかっていないというような顔だった。


 しかし、自分が言ったことを再び頭の中で反芻したのか、すぐにその場でぴしりと硬直する。

 そして、額に汗が浮かびあがらせ、目をあちこち泳がせながら言った。


「あの……わたし、今、なんて言いました……?」


 まさか無意識の内に返事をしてたってのか。

 それってかなり――いや、物凄く問題な気がするんだが……。


「…………」


「…………」


 しばらく沈黙が続いた後――。


「こ、紅茶!冷めてしまったみたいなので淹れ直してきますねっ!」


 そう言うなり、エリスはすぐさま俺の部屋を出ていってしまった。ポットも持たずに。


「仲良くなりすぎるのも問題かもしれないな……」


 その呟きは誰に聞かれることもなく、部屋の中に溶けていった。

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