第4話 友人:林くんの災難④
週末。
俺は再び
場所は庭先、そして手元は泡だらけ。なぜだ。
「もっと強く、ゴシゴシと!でも爪は立てるなよ!」
まさか友人の兄を洗う日が来るとは思わなかった。
そしてそんなこと言われても俺は今まで犬を洗ったことなんかない。
朔乃の指示が飛ぶ中、犬の姿の葉羅さんは全身泡まみれだ。
「悪いな林くん。でも助かる」
「いや、ハハハ……」
乾いた笑いしか出てこない俺はもういっそ深く考えないことにした。
あの晩から、数日が経っていた。
『コイツ、淋しかったんじゃね?』
見つけた人形を手にした朔乃は当たり前のようにそう言った。
『……は?』
一方の俺は、間抜けな声を絞り出した。
『だってこんな暗い所に一人でいたんだぜ?ここにいるって気付いて欲しかったんだろうな』
『足音とか、手形を使って?』
俺の疑問に朔乃は、たぶん、と頷いた。
人形は、きっと前の住人の持ち主だったのだろう。
あんな薄暗くて狭い場所に置いてあった理由は分からない。
意図的に隠されたのか、それとも忘れられたのか。
なんにせよ住民が退去した後も人形だけはあそこに置いていかれたままだった。
見つけてもらうために、存在を主張する。そんな仮説を証明するかのように、妙な現象はあれからすぐにパタリとやんだ。
天井や俺の腕にあった妙な跡も、気付けばすっかり消えていた。
「それであの人形はどうしたんだ」
泡が目に入らないよう、目をつぶった葉羅さんが俺に問う。
「あの人形、今は俺の部屋にいますよ」
俺が何気なく答えると、
「「え?」」
呆気に取られたユニゾンの響きが耳に届いた。
「一階に住んでる大家さんに話したんですけど」
「話したって、起きた出来事を?」
朔乃が驚いたように訊いてきた。
「いや、前の住人の忘れ物がありましたよーってだけ。そしたら人形だからお焚き上げした方がいいって。よかったら近所の神社に持って行くって言われて」
「それでどうしてお前の部屋に」
「……だって持ち主じゃないのに、勝手に燃やすわけにいかないだろ」
祟られても嫌だし。
そう続ければ、一瞬の間があって。
それから「ハッ……ハハハハ!!!」と爆笑が弾けた。
「は……林、お前っ、本当~~に“いい人”だな!」
腹を抱えて笑いながら言われても馬鹿にされてるとしか思えない。
「だから言ったでしょ」
嬉しそうな声に振り返ると、いつからそこにいたのか、月次郎がホースの束を抱えて立っていた。
「やっぱり林さんはいい人だ」
「月、交代な。俺と林はいったん休憩……」
そう言いながら朔乃が立ち上がった時だった。
ぴたりと動きを止めた葉羅さんに「あっ」と月次郎が呟いた。
何だ?と思う間もなく。
ブルルルルル!!!と前触れもなく葉羅さんが全身を振るわせて。
……傍にいた俺と朔乃はもれなく「ギャー!」と悲鳴を上げるはめになった。
借りたタオルで顔まで拭くと、やけにさっぱりした。
ついでに気になっていたことをとうとう訊いてみる。
「なあ、お前のとこの兄貴って……」
俺と同じく縁側に腰を下ろした朔乃がまばたきした。『あ、今訊く?』って顔をしている。そりゃ訊くだろ。
「そうだなあ……」
のんびりと呟く横顔は、はぐらかしているというよりも、どう説明したものか、言葉が見つからず迷っているように見えた。
そのまま沈黙が続きそうだったので俺は質問を変えた。
「他にふたりも兄貴がいるんだろ?そっちも犬だって言わないよな?」
「まさか。
笑って首を振る朔乃に、俺はじれったさが
そんな俺をちらりと横目で見たあと、
「俺はさ」
と朔乃が呟くように言った。
「ここに葉兄がいて、月があんなふうに笑ってる事が嬉しい。何よりもすっげえ嬉しい」
視線の先を追うと、一人と一匹がじゃれ合うように笑っていた。
泡が洗い流されて小さなシャボン玉が弾けて消える。ホースの水が勢いよく飛び散っていく。
朔乃の言葉が意図するところはわからなかった。
ただその横顔は兄であり、弟の顔でもあるようだった。俺は一人っ子だし、推測でしかないけれど。
「いつかちゃんと話すよ。そのうちな」
こちらに顔を向けてそう言った朔乃は、俺がよく知るいつもの表情に戻っていた。
まあ何にせよ、と俺はため息をつく。
「ありがとな。今回のことは助かった」
恐怖体験の半分は、お前に夜中突撃されたことなんだけど。
そうこぼすと「悪かった!」と悪びれなく友人は晴天の下で笑った。
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