宮廷女鍼灸師~霊獣の愛し子は澱みをはらう

gari@七柚カリン

第一章 旅立ち

序~出会い

第1話


 妙霊ミアリン国には、『霊獣の森』と呼ばれる霊獣たちが住まう聖域がある。

 そこは、標高の高い山々に囲まれた神聖なる場所。

 人は決して立ち入れないはずの森に、一人の少女が暮らしていた。



 ◇◇◇



⦅お~い、小璐シャオル。青龍さまと麒麟さまがお呼びだぞ⦆


 野草を摘んでいた少女のもとに駆けてきたのは、霊獣の一体。二本の角がある龍馬りゅうばだった。


チンさまとチーさまが? わかった、すぐに行くわ!」


 小璐は、十七歳になったばかりの娘だ。

 背中まである長い黒髪を、いつも頭上で一つのお団子にしている。


⦅呼び出されるなんて……おまえ、何かやらかしたんだろう?⦆


「私は誰かさんと違って、怒られるようなことは何もしていないわよ」


⦅お、俺だって、怒られるようなことは何もしていないぞ!⦆


「ふふふ、本当かしら?」


 軽口を叩き合いながらやって来たのは、森の中にある開けた場所。

 一人と一頭を待っていたのは、翠色髪の美丈夫と黄金色の髪を持つ美女だった。


⦅小璐を連れてまいりました。では、俺は失礼します⦆


「待て。其方へも話がある」


 龍馬を引き留めたのは美丈夫。人型となった青龍だ。


「其方たちには、人里へ行ってもらうことになった」


「えっ……人里へ!?」


 驚きに目を丸くしている一人と一頭を、黄金色の髪をなびかせた美女が微笑みをたたえ眺めていた。



 ◇



 数日後、旅装姿の小璐シャオルを背に乗せた龍馬が、深い森の中を駆けていた。


⦅なんで、俺がおまえに同行しなきゃならないんだよ⦆


ロンは、青さまの話を聞いていなかったの?」


⦅ちゃんと聞いていたさ。聞いていたけど……⦆


「私のお目付け役なんだから、がんばって!」


⦅お目付け役ねえ……⦆


 青龍は小璐へ「妙霊ミアリン国の都へ行き、見聞を広めよ」と言った。

 龍馬へは、「都では人型となり、小璐と行動をともにせよ」と。

 

 小璐シャオルは、霊獣たちによって育てられた。

 赤子のときに、籠に入れられたまま川に流されていたところを青龍に拾われたのだ。


 親に捨てられたのか、親とともに川に流されたのかは不明。

 極度の栄養失調に陥っていた小璐のために青龍が一滴の血を分け与え、一命を取りとめる。

 以来、人里からは遠く離れたこの地で暮らしてきた。

 

 周囲は霊獣だけで、小璐以外『人』は一人も居ない。

 世情に疎い自分に、親代わりの霊獣たちが人と触れ合う機会を与えてくれたのだと小璐は思っている。

  

⦅小璐は、都ではで生計を立てていくんだよな?⦆


バイさま(白虎)から教えてもらった技と道具、青さま・ジウさま(朱雀)・シュアンさま(玄武)から授かった術があれば、きっとやっていけるわ」


 小璐は青龍の血を取り込んだことで、その力の一端を受け継ぐ。

 黒かった瞳は青龍と同じ翡翠色に変化。同時に、霊術まで操れるようになったのである。


「それに、技術を人へ広めるお役目ももらったのよ」


⦅たしかに、白虎さまの技を小璐で絶えさせてはもったいないもんな……⦆


 受けた恩を返すためにも、与えられた務めをきちんと果たそう。

 小璐は決意を新たにした。



 ◆◆◆



 妙霊ミアリン国の都にある宮殿では、皇帝が原因不明の不眠症に苦しんでいた。

 宮廷医官たちが様々な薬を処方するが、一向に回復の兆しは見えず。

 眠れぬ日々が続き、心身ともに衰弱していた。

 

 精力的に活動をしていた父が、今は見る影もない。

 皇太子の泰祥タイシャンは、危機感を募らせていた。

 宮廷医官らに任せきりにはせず、自身も新たな治療法を探ろう。泰祥は行動に移す。

 身分を隠すため庶民の恰好をし、護衛官の海喬ハイチャオだけを連れ市井に出向いていた。

 

 町の名医と噂される者たちを尋ね歩く日々が続く。


「海喬、今から東へ向かうぞ」


 町中で聞き込み調査をしていたところ、商人風の男から情報を得た。

 東の外れの一角に、どんな病でもたちどころに治す名医がいるという。


 もちろん泰祥とて、人の話をすべて鵜吞みにするわけではない。

 これまでにも、幾度か偽の情報を掴まされたこともある。

 それでも、もしこの噂がまことであったら……

 そう思ったら、居ても立っても居られなかった。


「畏れながら、泰祥様はお疲れのご様子。東へ向かわれるのは、次回にされたほうがよろしいのでは?」


「陛下の苦しみに比べれば、この程度のことは大した問題ではない」


 皇太子である泰祥は、職務の合間をぬって市井に来ている。

 終わりの見えない捜索に、肉体だけではなく精神的疲労も確実に蓄積していた。


 だからこそ、判断を誤った。

 忠臣の進言に、素直に頷くことができなかったのだ。



 ◇◇◇



 商人風の男に教えられた場所へ向かったが、そこは何もない空き地だった。

 やはり偽の情報だったと来た道を引き返そうとしたとき、怪しげな風体の男たちに取り囲まれていた。


 先ほどの男の顔もある。自分たちは人気ひとけのない場所に誘い出されたのだと気づいた時には遅かった。


「貴様たちは、何者だ! 物盗りならば、金はやる。早々に立ち去れ!」


「名乗るほどの者ではございませんし、物盗りでもございません。あなた方に恨みはございませんが……御命を頂戴いたします」


 商人風の男は淡々と答えた。

 海喬は金銭での解決を試みたが、どうやら交渉の余地はないようだ。

 剣を手に襲いかかってきた男たちに、負けじと応戦する。


 皇太子の筆頭護衛官を務めているだけあり、海喬の剣の腕は確か。

 有象無象を相手に後れを取ることはなく、刺突と殴打で次々と倒していく。


 泰祥も、ただ守られるだけではない。

 過去のある出来事により、幼き頃から護身術を身に着けてきた。

 海喬ほどではないが、無難に敵をさばいていく。

 

「ここは、俺が食い止めます。泰祥様はどうか逃げてください」


「この数では、到底逃げ切れぬと思うぞ?」


「大丈夫です。俺にお任せを! 死んでも敵を通しませんので」


 海喬はいつものように、飄々と答えた。


「その代わり、と言っては何ですが、残される嫁と子はお願いします! きちんと面倒をみてくれないと、俺は化けて出ますからね」


「それだけ冗談を言える余裕があるうちは、大丈夫だな。それに、子が生まれたばかりのおまえを、私が置き去りにするわけがないだろう? ここは、二人でなんとしても生き延びるぞ!」


 配下と自分自身を鼓舞する。

 敵の思惑通りに殺られるつもりは毛頭ない。

 暗殺計画に巻き込まれた海喬を、無駄死にさせるつもりも。

 最後の最後まで足搔いてやるつもりだ。

 

 二人は果敢に立ち向かっていく。 

 しかし、相手の数が多すぎた。

 いくら二人の腕が立つとはいえ、多勢に無勢。

 次第に、追い詰められていく。

 


 ◇



 倒したと思っても、どこからか別の者たちが現れる。

 敵は、容赦なく刺客を送り込んでくる。


(余程、私の命が欲しいようだな……)


 絶望的な状況の中、泰祥は苦い笑みを浮かべるしかない。

 二人共に、体力の限界が近づいてきていた。

 海喬と背中合わせで敵を薙ぎ払ってきたが、どちらが倒れれば一気に押し込まれる。


 もはや、これまでか。


 死を覚悟した泰祥の目の前に、突然、大きな背負しょい籠が飛び込んできた。

 中に入っていた野草が、辺り一面に飛び散る。


 次の瞬間、二人の人物が敵との間に割り込んできた。

 

 

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