ーーニーー

第3話

 気が付けばもう冬になっていた。


 背中に力を入れて起き上がるのすら億劫だ。だけどタバコは吸いたい。テーブルの真ん中に置いてあるタバコに手を伸ばす。ぐーっと、……いや、どう考えても起き上がらないと届かない。仕方なく諦めて起き上がることにしよう。冷たい床に足をつける。僕はテーブルからタバコを奪い、咥えながら火をつけた。ふう、と息をつくと、怠さが体を蝕んで、アルコールを飲まずにはいられなかった。普通は逆だろうけど、僕の体の感覚は少々違う。


 冷蔵庫にあった冷えたストロング缶を取り出して、僕は水のようにぐびぐびと飲む。


 まあ、今日が仕事だというのは置いておいて、


 今日も一日をやり過ごさなければいけない。


「陸ちゃん、事務所の戸締りだけはしっかりしてって言ったわよね」


 ミチさんが調査から帰ってきたようだ。


「あ、忘れてました」


 僕は階段を下りながら適当に言う。


「そろそろ気を取り直して、依頼の一つくらい引き受けてみたらいいのに。浮気調査を避けるから仕事がないのよ、人探しなんて見つかることの方が少ないでしょ」


「まあ……一応今は、いったん休憩……的な」


 ミチさんの前で堂々と酒を飲む僕は、案外、肝が据わっているのかもしれない。


 一階まで下りてくれば少しは探偵業務意欲が湧いてくるかもしれない、と思ったが、結局、散乱したファイルや証拠写真、資料をどかして、ソファーに横たわり、ストロング缶二本目を飲んでいるのが現実だ。


「飲むなら、もっといいお酒を飲みなさいよ」


 出来立ての新しい資料を机に置きながらミチさんが言う。


「これで良いんです、手っ取り早いですし」


 僕はだらけたまま大あくび。


「もったいない男ね」


 ミチさんが大げさに呆れた表情をする。


「そう、ミチさんってなんでこんな僕の相手をしてくれるんですか」


 僕はふと気になった。


「……それは~、陸ちゃんが可愛いからよぉ」


 ミチさんは突然スイッチが入ったのか僕に急接近して体を摺り寄せてきたので、僕は必死に避けようとした。


「ミチさん、やめてくださいよっ」


 持っていたストロング缶をこぼしそうになりながらも、僕は逃げ回った。


 こういう時、オネエのミチさんはちょっとうざったい。


「まあ、今は戸締りだけはしっかりして頂戴ね」


 ミチさんはそう言うと、また外へ出て行った。


 僕は「いってらっしゃい」と一言聞こえるように言った。


 ――はぁ。


 一日なんて退屈だ。それを言ったら一週間も退屈だし、一か月ともなればもっと退屈だ。――あくまでも退屈なのはこの僕で、他の誰でもないんだけれども。涼香を失ったダメージは大きく、僕の中の殆どが退屈で埋め尽くされそうになっていた。


 今日も一人で留守番をして終わるのかと思っていた。


が、違った。


 僕は突然の呼び鈴に反射的に体をすくめた。僕が探偵を初めて三か月。僕は涼香の失踪を一番に調べ上げようとした。だが、一ミリも情報は得られなく、そのまま意欲も低下して、依頼者を探すことも、依頼を受けることもまともにしなかった。正直、永久凍土の氷塊を研究しながら生活していた方が良かったのではないかとも思ってしまう。


それでも、珍しく依頼人であろう人物が来た。


ひるんでいた僕は対応しようか迷ったが、聞くだけ聞いてみようと、僕はデスクに腰かけてドアのロックを解除した。


 日中からストロング缶二本も飲んだだけあって、頭の回転は普段業務しているときよりはるかに悪いことだろう。もしかしたら、呂律も回らないかもしれない。そんな状態でドアロックを解除してよかったのだろうか。いや、もう遅い。おそらく依頼者であろう人物は、律儀に礼をして事務所のデスクの前に立っていた。


「あなたが美能陸さんですか?」


 老人が穏やかな声で訊ねた。


 突然名前を呼ばれて驚いてしまったが、平然を装って答える。


「はい、私が美能ですが。どのようなご用件でしょう?」


老人は自分を小鳩と名乗り、「少し待ってください」と言って一旦外へ出ていった。どうやら誰か連れてくるようだ。


戻ってきた小鳩老人の隣には、


 隣には…………す、涼香…………? いや……違う……涼香によく似た女性が立っていた。


 僕は暫く女性を凝視したまま、動揺を隠せずにいた。


「美能さん、よく見てください。これはアンドロイドですよ。ティファと言うコードネームで開発されてまだまもない比較的新しいタイプです。美能さんには是非ティファと協力して、ある事件について調べてほしいのです」


 ん? 今、凝視している女性は涼香でもなく、人間でもないというのか? アンドロイドにしちゃ出来過ぎのような気もするけど、今の進化した技術を駆使すれば作れないことはないのかもしれない。


「事件……、具体的にどのような事件ですか?」


「ここ最近、カナガワで失踪事件が多発しているようなのです。私も詳しくは知らないんですが、中には身元不明者もいるようで、その失踪事件の背後には何かがあるように思えるのです。どうか、依頼を引き受けて頂けませんでしょうか」


暫く悩んだが、アンドロイドのティファを見て僕は決めた。


「……わかりました。調査いたします」


「本当ですか?」


 小鳩老人の目がさっきより少しばかり見開いたような気がする。


「ええ」


「なんと、ありがとうございます」


 安心したのか、小鳩老人の声が少し、より丸くなったような気がする。


 ちょうどミチさんが帰ってきたので、僕は依頼を引き受けたことを報告した。


「えぇ、陸ちゃん自ら引き受けるなんて、しっかりやるのよ」


 僕が引き受けた依頼をミチさんは前向きに応援してくれるようだ。


 丁度、アンドロイドの視線を感じた。ティファは僕のことをどう思いながら、どこをどう見ているのだろうと、ふと、考えてしまったがどこをどう見ているかなどの真実はわかることはないだろう。とりあえず、見られているのをわかっていて無視をするのはよくない。


 ティファへ「よろしく」と頷いて見せる。そして、その流れで小鳩老人にも言葉をかける。


「では、詳細情報を提供いただけますか?」


 小鳩老人は鞄からファイルを取り出し、中に入っている新聞記事や写真をテーブルに並べていった。


「失踪者の顔写真と詳細です。あ、そちらの資料は差し上げますから、ご自由にお使いください」


 言葉に老いを感じさせない丁寧で紳士的な口調。


 それから暫く話をした。


小鳩老人は「よろしくお願いします」と言い、ティファを置いて、事務所を出ていった。


 取り残されたティファは棒立ち状態で一言も話そうとしない。これは、僕が話しかけないと会話は始まらないパターンだろうか。


「や、やあ」


「はじめまして」機械っぽいトーンもなく普通の人間のような声だ。


「僕は美能陸だ。君はティファと言ったね」


「はい、その通り、私はティファです。調査の補助役として使ってください」


 ティファはお辞儀をして、それなりの誠意を見せてくれている。白に近い金髪ボブの髪の毛の先を指でくるくるといじっている。僕はその姿を見て驚いた。


 よく考えたらだれでもやりそうな仕草だったが、最初から最後までの仕草が涼香に似ていた。


「……ティファ、単刀直入に聞くが、涼香という女の子を知らないか?」


「……はい? 申し訳ありませんが私には分かり兼ねます」


「君があまりにも彼女に似ているから、見ていると不思議な気持ちになるんだ。ティファが悪いというわけではないんだが、少しだけ、彼女、涼香のこと、思い出してもいいかな」


「その間、私は何をしたらいいですか?」


「黙って聞いてくれるだけでいいさ」

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