第8話

『GM9、重力波干渉領域に異常が発生しています』

けたたましいアラート音が第9新都心の管理区画へ鳴り響いていた。

「あなた達は分かっていたんだろう、どうして⁉︎」

若き日の深町誠司は叫んだ。深夜2時、慌ただしく動き回る周囲の関係者と彼は、同じピンバッジと黒いスーツを身に付けていた。

「済まないが、これは想定外の事故だ…GM9を停止する」

所長が言った。戸惑う周囲の部下達と絶句する深町。

「沙由里は…沙由里は、どうなるんですか⁉︎」

焦燥する深町へ所長は言った。

「放っておけばGM1~8の重力干渉に同様の異常が発生し、臨界する。人類の未来が閉ざされてしまうんだよ…深町君。申し訳ないが事故だと思って諦めるんだ…これしか無かった。充分な補償金は出そう」

銃声が区画内に響いた。胸を押さえ、倒れる所長。深町の右手に握られた銃から硝煙が立ち上っていた。目を見開き血だまりの中で痙攣する所長。周囲の悲鳴。深町は銃を捨て、両手を上げた。周囲の男達に組み伏せられる、深町。所長の痙攣が、止まった。死亡確認をする、白衣を着た女性。彼女の首が横へ振られると深町は言った。

「…これで生体虹彩認証は使えない。つまりGM9の生命維持装置は停止出来ない…」

臨界。絶望し騒めく周囲。

「馬鹿な…何て事を…」

深町を組み伏せる男達の力が緩む。立ち上がる深町。所長だった死体をふらつきながら跨ぐと先にあるGM9システムの前へ立った。

「…GM9の素子制御圧を限界まで引き上げて封鎖する。直ちに避難するんだ」

制御圧を限界まで引き上げるのは手動。そのまま封鎖をする事は、心中を意味していた。深町が発した言葉に所長の死亡確認をしていた、白衣の女性が銃を構える。

「それでは、たとえ制御出来たとしても世界は大きな爆弾を抱える事になります。あなたは罰を受けなければならないわ!」

その言葉を牽制する様に、銃口を向けられた深町が咆哮する。

「急がなければ臨界するぞ!…君が心中するかね?」

小刻みに振動し始める地面。空中都市が崩れる…そして慟哭が響いた。GM9からだ。およそ人では無い、断末魔の悲鳴のような叫びに、優に70mはある天井と銃口を構える女性の手が震える。怯えた声で逃げ出す同僚達。直後にGM9の中心、SAYURIと底部に刻印された液体ポッドから気配を感じた。−200℃の液体窒素により生体反応を完全に停止させ、白眼を剥いていた筈の、沙由里の眼が女性を凝視している。女性は銃を落とした。

「杉崎君、何をしているんだ!早くこっちへ」

自分に声を掛ける同僚の声へ縋る様に、女性は背後にある非常口めがけ走り去っていった。

「沙由里」

強まる振動の中、深町は液体ポッド内のSAYURIを見つめた。

「お前を制御などしない…子供に母親が必要であるのと同じく我々にはお前が必要だ…戻ろう、優子のところに。1から世界を創り変える…沙由里。お前なら、それが出来る」

GM1~9の非連携を解除した。すると液体ポッド内の、SAYURIの眼が深町を捉えた。直後、耳の奥から、聞いた事の無い声が響き始め、目の前にある景色が徐々に歪んでゆく。

阿頼耶識の前兆だ。阿頼耶識とは無意識の更に奥にある、人々の思念が最終的に集う領域だ。全てが繋がる核…その現出と進化に伴う宇宙への生存領域拡大が、人類存続における最後の砦であり、目前に迫る人類の終焉を変える、唯一の道である筈だった。しかし、そこには阿頼耶識と物理世界が反比例の関係にあるという、大きな問題があった…つまり阿頼耶識の現界に比例して物理世界は崩壊する。そして、それは我々QIFの当初における存在理由でもあった。

5感が崩れ、夢へ堕ちてゆく感覚。人間が夢を見ている時の脳波は、阿頼耶識の重力波と酷似しているが、物理障壁としての肉体がある為、阿頼耶識へ入る事は出来ない。

恐怖…途方も無い妄想…怒り…願望の歪んだ発露。負のイメージが深町へ入り込む中で、際立って明確に声が聞こえた。

"ダメよ…"

沙由里…?

"人を殺すという事が、どういう事か阿頼耶識を知っている貴方なら判るでしょ?"

沙由里の声だ…深町は応えた。

彼は、乗り越える事が出来なかったんだよ、沙由里…自らの、過去の傷口を拡げるように生き、その中で多くの被験者達が命を落とした。更にはそれを自身の中で、人類の、未来の為と正当化する目的で、自らをパーツと見做し罪悪感から逃れ続けた。そして最期は、お前の命を…いや、俺の見苦しい言い訳だな。深町は微笑んだ。

ああ、俺は、お前と同じところへは、行けないな…報いは受ける。でも絶対に沙由里と優子を守るって誓ったんだ。俺は幸せだったよ…お前と出会えて。

"ダメ…優子はどうなるの?貴方を愛しているわ。私と同じように"

沙由里…。

"貴方は生きるの…生きて、償って、戻って来て。私達のいる世界に。私と優子が、あなたを導くわ…あなたが、そうしてくれたように…"

光の流体が身体を抱きしめ、流れ抜けるのを深町は感じた。

待て、沙由里。それではお前が…!

意識が、飛んだ。目覚めたのは4日後だ。

目覚めた時、私は何故か地上にいた。第9新都心の軟化した腐葉土と共に海へ落下し、奇跡的に1命を取り留めた様だった。東京湾へ流れ着き都心を彷徨う私は奇妙な事に気付く。都市部は機能不全に陥り重力制御が崩壊する反面、何故か空中都市は制御を保っていた。

阿頼耶識は意識を司る無意識が集合する一元化された記憶の集合でもある。人類は重力波によりGM1~9に阿頼耶識を制御させていた。後から解った事だが、その重力システムの崩壊により、都市部の制御システムや、記憶情報の全てがGM1~9へ移管されていた。

都市機能は遡行をする様に書き換えられGM1~9の管理下へ置かれた。同時に、多くの人々が消えている事に気付いた時、私は理解した。意識を失っていた4日間の間に阿頼耶識が現界したのだ。阿頼耶識との接続は高齢者ほど深い傾向があり、目覚めた世界では40歳以上の人々の内、約2/3は消失していた。彼らは、戻って来れなかったのだ…阿頼耶識に飲み込まれた者は物理世界の記憶からも消える。人々が奥深い眠りの中で阿頼耶識に接する機会でも無い限り思い出される事は無いだろう。

人を殺めた私が咎められる事は無かった。第9新都心における捜索で同僚の姿が発見される事は無く、私が第9新都心で唯一の生還者…地上にも所長や彼らを覚えている者は居なかった。GM1~9付近に居た者で生還したのは私だけだろう。

程なくして急激な人口減少とソーシャルステータスの大空洞化が社会問題となり、多くの若者が激務の中、社会的地位を獲得していった。そんな中で私は、国家公安委員会の特命により、以前に在籍していた研究機関であるQIFの後継機関、QCCの監査役として、かつて見送った警察庁キャリア採用が確定する…まるで自ら捨てた運命が戻って来たかのように。

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