帰還後のひととき 3

§ ブレイズ修道院 §


修道院の自室、ベッドの上でぐうたらな時間を過ごしていると、ドアを3回、力強く丁寧にノックする音がした。シスター・アルスの叩き方だ。


「ルウィン、お客様が来ていますよ。かわいらしい女の子で――」

「行きます行きます」


「――キャルラインという子です」

「すやぁ……」


その後、シスターはドアを開け、俺をベッドから叩き起こした。怯える俺に対し、シスターはじっと睨む。


「まさかとは思いますが、女の子を泣かせた……なんてことはありませんよね」

「まさか……むしろ泣かされたことならありますが」


「……? とにかく、お相手して差し上げなさい」

「シスター、テナは? テナはどうしたんです?」


「あの子は『ボク、ちょっと体調が悪くて……ルウィンにお願いして』ということでした」

「え、心配なんだが」


俺はベッドに戻り、薄い壁を叩いた。


「おーい、体調悪いって聞いたが大丈夫かー?」


〈……すこぶる悪いよお〉


なんだと。


「嘘をつくな! 体調悪いときに『すこぶる』なんてテナが言うわけないだろ!」


〈……ミ゛〉


「ミ゛じゃねえ!」


くそ、テナのやつ、仮病を使ったな。


「ルウィン、はやくなさい」

「けどシスター、テナは嘘をついて――」



必死の抵抗もむなしく、俺は一階の広間 ロビーに降りることになった。そして、キャルラインの姿を見て思わずはっとする。


(剣を手に持っていないキャルさんって、ただの美少女だな)


俺の姿に気がつくと、キャルは「おはよ♪」といつもの調子で笑顔を見せてきた。


「おはようございます、キャルさん」


さあ、生死をかけた勝負の時間だ。決してキャルの機嫌を損ねてはならない。



「――ルウィン、これなに?」


金茶を差し出されたキャルは、興味深そうにカップを眺めている。


「金茶です。その見た目通り、金色に輝いても見える美しい茶で、一度飲めば病みつきになること間違いなし」


キャルはぴんと来ていない様子で首をかしげた。


「おいしいの?」

「はい」


俺にとっての命綱はテナだが、今日に限っては仮病でいない。だから、キャルの機嫌を損なわないというミッションを担ってもらうのは、俺が最も信頼する飲み物の一つ――金茶だ。


(頼む……! 美味しいと言ってくれ!)


キャルがカップを掴む。もったいぶるかのようにその香りを確かめてから、少しだけ口につけた。


「ふーん」

「……どうですか?」


「おいしい♪」

「ですよね!」


よし、首の皮一枚繋がった。

であれば、本題に入ろう。


「それであの、今日はどういったご用件で?」

「別に? 特にないよー」


「特にないですって!」

「理由がないときちゃだめなの」


だめに決まっている。理由もなくこちらの神経をすり減らすのは、やめてもらわねば――


「――いいえ。来てはならない理由など、あろうはずがございません」

「変なしゃべり方ー♪」


怖くて言えない。俺の意気地なし。

自分の心の弱さにがっかりしていたそんな時、キャルから恐ろしい提案があった。


「ねえ、隣に座っていい?」

「え、だめです」


思わず真顔で即答したが、


「座るから」

「あ、はい」


A級冒険者の圧に俺が耐えられるわけもなく……。


(いったい、何が目的なんだ……?)


身体が触れ合うことはない距離……だが、一歩間違えれば触れてしまえそうな距離。この間合いが生死を分けると、俺は確信した。



§ ブレイズ修道院 門外 §


ルウィンが凶刃キャルラインに相対している最中、ブレイズ修道院の前では二人の陽気なエルフがキャッキャしていた。シルヴィアとスーシーである。


「あらやだとっても素敵なハウス! まあまあの大きさですわ!」

「奥様! 早く入りましょう!」


シルヴィアたちは興奮した様子で門を開いてから、「ごめんあそばあせー!」と修道院に侵入するのだった。


§ ブレイズ修道院 §


外から不穏な気配を感じ取りつつも、ルウィンは目の前……というより隣にいる問題に対処する必要があった。


「あの、キャルさん……やっぱり、何か俺に聞きたいことがあるんじゃないですか」


隣に座ってからというものの、キャルの口数が異様に減っていたのだ。静かなのもかえって怖い。


「ないよ」という言葉をようやく聞けたが、それでは困るのだ。俺はさらに問いかける。


「じゃあ、してほしいこととか……あったりして?」


あまり聞きたくはなかったが、どうにかして正解にたどり着かなければならない。

と、キャルが身体を動かした。


(俺の方にッ!?)


腕が触れ合った瞬間、ぞっとするような感覚があった。恐怖なのか、それとも……いずれにせよ、どきっとしたことに変わりはない。ただ、しばらくそうしていると、不思議と恐怖がなくなっていった。


「キャルさん……あの……」

「頭、撫でて」


頭……撫でて……何かの暗号だろうか? それとも彼女は、本当にただ頭を撫でてほしいといったのだろうか。などと考えていると、キャルは「ん」と声を出して、俺が撫でやすいように少し頭を低くした。


(撫でても噛みつきませんか?)


思わず口から出そうになったが、口に出す前に理性が働く。むしろ、撫でないと噛みつかれる予感があった。


「……」

「……」


俺はいったい何をしているのだろう。突然客として現れた少女の頭を撫でている。だが、心は落ち着いていた。


「ん?」俺はキャルが寝息を立て始めたことに気がつき、思わず頬が緩む。


「お疲れ様、キャルさん」


この子はいったい、どうして自分の身体がボロボロになるまで戦うのだろうか。本当に、単なる戦闘狂なのだろうか。分からないが、少なくとも言えるのは、彼女はA級冒険者でありながら、寝てしまえばただの女の子ということだ。


「え、ていうかどうしよう。キャルさん、ほんとに寝ちゃった?」


撫でていた手をそっと話すと、キャルは寝息を立てたまま俺の手首を力強く掴む。そのまま、俺の手を自分の頭に戻すのだった。


「この子、寝ながら!?」


手首が痛い。誰が寝てしまえばただの女の子だ。寝たままでもA級じゃないか。

と、修道院内のどこかの扉が開く音がした。


〈ごめんあそばせーッ!!〉

〈控えなさい! 奥様がお通りです!〉


最近聞いた声がする。というか――


「――このままでは何かがまずい!」


修道女たちの悲鳴が聞こえる中、馬鹿でかいエルフの声が遠くから近づいてくる。


〈奥様! あの扉の向こうです! ルウィン様の声がするのは!〉

〈行かなきゃ!〉


行かなきゃではない。というか――


「――なぜ俺の声が聞こえた……?」


その長い耳は飾りじゃないのか。思わず口走ると、耳元で声がした。


「それはワタシのせいよ。ごめんね」

「え?」


突然聞こえてきた声に俺は思わず振り向くが、そこには誰の姿もなかった。代わりに、ロビーの扉を足蹴りで開くエルフの二人組がいた。


「「エルフの蹴撃エルヴン・シュート」」


決まったとでも言いたげなシルヴィアとスーシーの姿に俺は絶句した。


「ここは修道院ですよ!! なに暴れてるんですか!!」


修道院でこの蛮行……いや、修道院じゃなくてもだめだろう!?


ともかく、二人にもそれは伝わったようで――


「あらやだ! わたくし、てっきりルウィン様のハウスかと思っていましたわ!」

「奥様! 私もです!」


ハウスだったらいいのか……。

あと。何が『私もです』、だ。シルヴィアはともかく、スーシーの表情は演技をしているようにしか見えなかった。


シルヴィアは思い出したかのように「そういえば!」と目を輝かせる。


「修道女の仮装をした方々がたくさんいらっしゃいましたわね!」

「確かに!」


仮装ではない。

シルヴィアが「どうしましょう! どうしましょう!」と慌てふためくのを見て、かえって俺の方は落ち着いてきた。


「あの、とにかく静かにお願いします。ここは来客用のロビーとはいえ、修道院の一部なんですから」

「そうですわよね……お騒がせしましたわ」


シルヴィアは落ち着いたようで俺も一安心かと思えば、メイドであるスーシー=スロウスが悲鳴を上げる。


「奥様ぁぁッ!!! 修道院の来客用のロビーで修道院で暮らしているルウィン様が来客らしき可憐な少女を侍らせていますわッ!!!」


「あらやだッ!!! 修道院の来客用のロビーで修道院で暮らしているルウィン様が来客らしき可憐な少女を侍らせているんですのッ!!!」


「ち、違う! これには理由があって!」


俺が反論しようとすると、二階から扉が開く音がした。


「ミ゛ミ゛ッ!!! 修道院の来客用のロビーで修道院で暮らしているルウィン様が来客らしき可憐な少女を侍らせているってどういうことッ!!?」


「ち、違うテナ! これには理由がッ!!」


すると今度はロビーの裏口の扉が開いた。


「ルウィンッ!!! 修道院の来客用のロビーで修道院で暮らしているルウィン様が来客らしき可憐な少女を侍らせているってどういうことですかッ!!?」


「シスター・アルスッ!!? これには深い理由がッ!!!」


くそッ! この伝言ゲーム、完璧すぎる……ッ!



俺はそれから、四対一という絶望的な状況の中で弁明を始める。が、状況は悪化していくばかり。


「――ああもう! キャルさん早く起きてッ!?」

「むにゃむにゃ……きゃはは」

「起きろぉぉッ!」


結局、弁明はキャルが目覚めるまで続き、テナとシスター・アルスの圧に加えて、ノリで生きているエルフたちの追撃が合わさり、地獄のような展開となるのであった。

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